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2017/11/15 住職コラム:墓こそ、大阪ローカルの極北~「上方で考える葬儀と墓」を終えて~

流行りの終活セミナーではない。専門の研究者が近代、現代の墓制や葬送を論じるというカタい内容なのだが、應典院本堂は一般の参加者であふれかえった。11月12日に開催した「上方で考える葬儀と墓」のシンポジウムのことである。

葬儀・墓にまつわる情報が、うんざりするほど氾濫している。先日書いたエンディング産業展のように、安くて便利なシステムばかりが横行するが、だいじな本質を見失っている、そう考える人は意外に多いのではないか。

研究者の話一つ一つは時間も限られており、盛り込み過ぎの感は否めないが、ここは講義のための場ではない。近代から現代へのパースペクティブを用いながら、もう一度、墓を通して生者と死者との関係を取り戻そうとする「良識」の場を目試みたのだ。

時代を跨いで話題の中心となったのは、「大阪七墓巡り」である。近世大阪の庶民は檀家寺か大阪市内にあった七つ墓のいずれかに埋葬されたのだが、以後これを巡る「七墓巡り」が流行する。明治以降七墓は再編(最近墓が発掘された梅田もその一つ)されほぼ消滅したのだが、これを才人・陸奥賢が現代に復活させたことによって、再び墓と死者との物語が蘇ったのだ。

昔も今も墓は、それが立つ地縁(地霊?)によって存在を定義される。その土地に深く埋め込まれた情念や畏怖の記憶を現代に取り次ぐ。それは大阪という都市の成り立ちや、社会の運用にもかかわる文化装置であり、大阪人の生き死にを雄弁に物語る文化財でもある。墓こそ、大阪ローカルの極北と呼ぶにふさわしい。

多死・単身・貧困の現代、あちこちにあったローカリティは痩せ衰え、代わって東京的グローバリズムが席巻する。それに従っていけば、葬儀はいらない、墓はいらない、とやがて死者の記憶は途絶していくのかもしれない。

いや、これだけ共同体が分断された現代において、新たなコミュニティをもつことは容易ではない。シンポの総括で鈴木岩弓が取り上げた「群れの死者」としての、代替する共同性をどこに見いだすことができるのか。墓を巡る課題は山積しているが、この難しい時代だから、われわれは次の行方について、大阪の死者たちに足跡に尋ねる他ないのである。

秋田光彦

※「上方で考える葬儀と墓~近現代を中心に」寺務局報告記事はこちらから。

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)