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2018/1/1 住職コラム:多死と孤立の時代、お寺にできることは何か〜新年の所感に代えて~

2018年、あけましておめでとうございます。

年末年始、應典院の本寺である大蓮寺では、お墓参りラッシュが続きます。この時期には広大な墓地が真新しい供花で色づく、毎年変わらぬ光景です。

故人を思い、家族で参る。私たちはそれを長い間、「普通ごと」として保ってきましたが、一方で大きな変化の波が迫ってきています。去年、それを切実に感じる出来事がありました。

新年の所感としてはいささか重い内容かもしれませんが、ご一読ください。


ある孤立者との別れ

一人の檀家が人知れず死んだ。母と息子二人でつましく暮らし、母の死後はその菩提の供養を続け、そして自分はひとり静かに逝った。十年以上音信が途絶えていたが、電話があったのは甥からだった。叔父が亡くなった、施設で死後は始末した、身寄りはないので家も整理する、ついては仏壇を処分したいのでお参りに来てくれないか。そういう連絡だった。

その家を若い頃、私は先代とお盆に参っていたことをよく記憶している。戦後間もなく建てられた質素な木造家屋で、老朽化は否めないが、親子の情愛の時間が滲み込むものであった。風情のある坂道を登りつめると黒ずんだ板塀の家があり、玄関を開けると揃って色白な親子が柔和な表情で迎えてくれた。部屋は質素であるが、よく整えられ、仏壇の前の机にお供えが山盛りに置いてあったことを覚えている。私の中で時間が止まっている。そこへ何十年ぶりに伺うことになったのである。

家の様子は、解体を待つ寸前のようであった。すでに遺品処理をした後ということで、伽藍堂の家の中にポツンと取り残されたように仏壇があった。遺品の中にはお寺からの便りや記念品が丁寧に仕舞われていたという。信心深い人だった。彼の後半の人生は、ただ母を弔うための時間ではなかったか。

甥と二人きりで、仏壇の撥遣式を行った。読経を進めるうちに、私の胸中に惜別の念とは別の感情が沸き起こった。多死と孤立の問題に直面しながら、それに気づきもできず、立派な信仰者である彼の葬儀さえ勤めることができなかった慚愧の念だ。住職としての務めを果たしていない、そんな忸怩たる思いが重くのし掛かったのである。

先人たちの死生に学ぶ

一方で励まされる出来事もあった。まだ記憶に新しい、11月に実施したシンポジウム「上方から考える葬儀と墓〜近・現代を中心に」のことである。この堅苦しいタイトルの、研究者たちによるかなり専門的な内容の場に、應典院満堂の120名が参加した。みな普通の市民である。

シンポジウムの内容は、関西における葬送の近代文化史みたいな内容で、我々の先人がどう葬り、どう弔ったかをこの百年スパンで論じ合うものだった。葬式一式いくら、といった話は出てこない。現代の終活にはまるで役立たない内容ながら、満堂の聴衆は息を詰めて聞き入っていたのである。私には、その関心も態度も感銘に値するものであった。

私の思い込みかもしれないが、それはテレビで喧伝される終活ブームに距離を置こうとする人々の知的な佇まいではなかったか。誰もが避けることのできない死の問題を、消費情報(終活)で処理するのではなく、文化や歴史、風土、あるいは宗教から読み込もうとする営みではなかったかと思う。

朝のワイドショーでは飽きもせず終活番組が組まれる。これが便利、これが安い、とコメンテーターがいくら解説しても、そこには死を思念する哲学や思慮は一片として見られない。死生観は情報では買えないからある。

葬式仏教による社会貢献

多死と孤立(単身)と貧困の時代である。死は、圧倒的なボリュームで押し寄せて、その川下に「葬儀」「埋葬」「供養」といったさまざまな習わしが堆積している。これらは法的に定められたものではない。通夜を省略しようが、戒名をなくそうが、何のお咎めもない。消費者は王様だから何でもありなのだ。

私にそれを非難する立場にない。伝統もまた時代に書き換えられていくのだから、無節操であろうが無秩序であろうが、それが多数の合意となるならば、やがて常態として受け入れていく他ないだろう。未来の判断を、過去にこだわって批判することはできない。

しかしと、そんな批判や判断以前に、現場の一僧侶として為すべきことについて思いを致すのである。世相の移り変わりより、私にはどうしてたった一人の檀家を送ることができなかったのか、信心に応えることができなかったのか、そのことにひどく心が痛む。葬送の場は、檀家でさえかように閉じられていくのか。

いや、彼ばかりの身上ではなく、同様に葬式や墓、埋葬の意味や方法がわからずに、ますます孤立を深めている人は少なくない。求めようのないところで、致し方なく目の前の終活情報を頼っているが、かのシンポジウムに押し寄せたように、死生の営みを人生の課題として向き合おうとする人々は確実に存在している。問題は、それに応える場があまりに乏しい、ということだ。

寺があるいは僧侶が、そこにどう立ち臨むのか、果たしてどこまで求められているのか、具体像はまだ見えない。しかし、これほど大きな変転の中で、寺が知らん顔を決め込むのはあまりに無責任だろう。間違いなく、私たちは歴史的当事者なのだから。

葬儀や埋葬、供養の姿や形は、伝統不変にこだわるものではなく、時代や社会のそのままの陰画である。多死、孤立、貧困がセットで迫り来る現代、そこに人々の不安や焦り、諦めが浮かび上がってくる。死は、悲しみであっても絶望や悔恨であってはならない。
それを、少しでも安心の境地へと近づけるために、寺に何ができるのだろう。葬式仏教による社会貢献とは何か。大蓮寺と應典院、対照的な二つの寺院の役割とは。ごく原則的でありながら、すこぶる今日的な課題について年初からしばらく考えつづけている。

秋田光彦

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)