イメージ画像

2018/1/6-8 荻野みどり:演劇ワークショップ「暮らしのクロニクル」を開催しました。

コモンズフェスタ2018にて、1月6日から8日にかけて3日間連続で行った演劇ワークショップ「暮らしのクロニクル」について、企画主催者の荻野みどりさん(演出家・シアタープラクティショナー)から、開催報告をご寄稿いただきました。実践・研究の両面で応用演劇の可能性を探求する荻野さんの視点から、演劇、記憶、いのち、お寺の関係を紐解いてくださっています。ご一読ください。


かつて、そこにいたあなたへ

稽古場はあるいは舞台は、ひとつの異界である。「いま」「ここ」と「かつて/いつか」「そこかしこ」を、俳優のことばとからだが橋渡しする。それを私たちは見届ける。演劇の基本には、私とあなたがここにいること、その原事実があると思っている。

2018年1月6日から8日にかけて、演劇ワークショップ「暮らしのクロニクル」を実施した。延べ40数名の方の参加を得ることができたこと、何より、ワークショップの場がとても充実した表現の場所になったことに、進行役としては大いに可能性を感じている。

といっても「暮らしのクロニクル」は決して何か斬新なことを試みたワークショップではない。現代口語演劇、ポストドラマ、定まった方法論が存在するわけでもなく、その場に集まったひとたちと話しあって、作品をつくる。また話しあい、作品をつくりなおす。そのことが安心してできる場所。私はそれを用意したに過ぎない。

もちろん、ワークショップの中では作品をつくるための補助線となるような「仕掛け」めいたものも施してはいるのだけれど、それらはこの企画の本質ではない。

私たちの演劇団体は、その名前を「記憶の劇場」という。

「記憶の劇場」は、記憶という不連続で、あいまいなものに定位しながら、大文字の歴史、教科書に書かれる正史に対する、生活者の歴史、小文字の歴史を上演することを通じて、ひとの生の軌跡をわかちあい、そしてまた共に問うことを目指している。

代表である私が演出家であると同時に、社会学者でもあることから、「記憶の劇場」のプロジェクトは演劇の試みであると同時に、あたらしいエスノグラフィーを制作する試みでもある。生きてきたということ、生きているということをどのように表現するか、そのありようや可能性について、いつも思い巡らしている。

今回、應典院のスタッフから企画のお話を頂いて、打ち合わせをする中で挙がった主題は2つある。ひとつは「いのち」に関係する企画であること。もうひとつは應典院の劇場としての性格ではない、もうひとつの性格、「お寺」としての性格を意識した企画の内容にするということだ。

これまでも語られてきたことを繰り返すようだが「お寺」は「結び目」である。第一には水平方向の、第二には垂直方向の。水平方向の結び目であるということは、地域のひとびとの結節点となることでコミュニティの広場のような場所になるということを意味しており、垂直方向の結び目であるということは、こなたとかなた、此岸と彼岸、「いま、ある」ひとと「もはや、ない」ひとを交錯させる地点であるということだ。

演劇とはことばとからだで「ここ」から「ここでないどこか」を橋渡しする表現だと書いた。だとするならば、本質的に「お寺」の垂直方向の結び目であるという性格と演劇というメディアの持つ根本は親和性が高い、共通する点が多いのではないか。

3日間にわたるワークショップのテーマは「会えなかったひと」「伝えられなかったこと」だった。会えなかったひととは、私が会うことの叶わなかったあなたのことであり、あなたに会うことの叶わなかった私のことでもある。

記憶の中にしこりのように残る「会えなかった」「伝えられなかった」を紡ぎ出し、どうしたかったのか、どうしてみたいのか、どうできるのか、演劇であれこれと考えてみたかった。

「お寺」という異界で、あるいは劇場という異界でこなたとかなたは淡い重なりをみせ、それらは離れていながら同時に存在するものとなる。「いま、ある」ひとと「もはや、ない」ひとは混じり合い、互いが互いにそっと佇む空間がそこには現出する。現在と過去は同時に存在し、存在と不在は重なり合い、交錯する。

若いひとたちから持ち出された「伝えられなかった」ことのなかには、たくさんの切実な経験があった。家族の中の暴力をとめられなかったこと、自死した友だちに声をかけられなかったこと。

私はセラピストではない。そしてそれらの記憶が負の記憶であり、何かポジティブでヘルシーな記憶に塗り替えることが必要だとも思わない。

ただ、演劇のもうひとつの大きな前提、それは「もしも」を用いて、それらの記憶と向かい合ったとき、そこでひとは何を経験することになるのか、そんなことに関心があった。いや、関心があったという書き方は傍観者的だし、無責任であるかもしれない。実際の私はもっとその場の人間関係の中に深くコミットし、できることならば、経験が異なって捉えられるようになることを、やはりどこかで期待していた。

演劇は演劇だ。誰が何といおうとそれ以上のものでない。

でも、演劇には演劇をこえていく力も備わっていると私は信じている。

「いま」「ここ」から「かつて」「そこかしこ」へつながり、そして自分たちを投げだしていく、新しい未来へ向けて。

個人的な生活の歴史を、生の物語の一部を演劇として上演し、経験に他者を介在させ、異なった角度から光をあてること。それが参加者にとって、どのような意味をもつ経験であったかは、まだ十分にはわからない。ただ、ひとつの充実感のある体験であることは確かだったようで、そしてまたその場所にいたみんなにとって、そこは安心して表現をすることのできる場所だったようで、それらのことだけでも、いまの私はとりあえず満足し、ほっとした気持ちでいる。

ワークショップの総括については他の場所でも手紙というかたちで少しちがったことも書いた。関心のある向きはそちらにも是非目を通してもらいたい。(http://midori-blog.hatenablog.com/entry/2018/01/27/012631

3日間のワークショップは終わったが、「暮らしのクロニクル」、そして「記憶の劇場」の旅は終わらない。あなたの街で、あなたの記憶を、あなたの手で演劇にしよう。そのとき、もしかしたら演劇はもはや通常の意味で「演劇」である必要さえないのかもしれない。個人が表現することで変容すること。記憶をそっと抱きしめられるようになること。そんなことにこれからも伴走していきたい。

そうすることがささやかながら私なりの社会に対する関わりでもあり、歴史を修正しようとする運動、あるいは正当な歴史を定めようとする向きに対する、地べたからの小さな抵抗の試みでもあるのだ。

 

人物(五十音順)

荻野みどり
(演出家・シアタープラクティショナー)