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5/27「ビヨンド・サイレンス」第2回「宗教の社会貢献は、本物か」を開催いたしました。

去る5月27日、研修室Bにて「ビヨンド・サイレンス~ポストオウムの20年を語る」第2回が、「宗教の社会貢献は、本物か」と題して行われました。この企画は、秋田光彦住職と関西学院大学准教授の白波瀬達也さんがホストとなり、この20年の日本宗教をめぐるトピックについて問い直すものです。

ゲストには大阪大学人間科学部准教授の稲場圭信さんをお迎えし、「宗教の社会貢献活動研究プロジェクト」をはじめ、宗教が社会に関わるポテンシャルを可視化し、その意義を問うてきた、これまでの研究の歩みやその成果についてお話いただきました。稲場さんは、非常時における宗教者へのニーズの高さに言及するとともに、臨床宗教師だけが特に注目をあびているが、それ以前から様々な社会活動を行ってきた宗教者にとっては違和感がある事象ではないかと指摘。また、大きなものへのつながりを感じる『無自覚の宗教性』が、多くの「無宗教」の日本人にもいまだ共有されている以上、マニュアル化したお説教や小手先の寺院経営ではない仏教のあり方が求められると、仏教に対する批判と期待を語られました。

後半に移り、参加者の皆さんとの対話がスタート。ある参加者が問われた「宗教の社会貢献には、本物と偽物があるのか?」という問いがひとつの軸となりました。稲場さんは本物の要件として「苦の現場に長く寄り添うことの持続性」を語られ、秋田住職は従来の「布教」と比較することで、改めて社会貢献の意義を見直されました。また、ひとりの参加者から「そもそも、宗教者が社会で困っている人のために手を差し伸べるのは当たり前。社会貢献という言葉をもっともらしく主張するのは、宗教者として社会に関わることができない者だけではないか」という根本的な問題が提起され、白波瀬さんが「宗教団体という組織として、他者に伝わる言葉で説明するには、社会貢献という言葉が必要になるのでは」と応答されるなど、さまざまな議論が交わされました。

「宗教の社会貢献」という概念があることで、宗教者の社会活動が可視化され、その動きが組織的に促進される。一方で、その概念は宗教界の内外に批判的反応(「宗教の社会貢献とは何なのか?」)をも呼び起こし、そのことが大きな議論の火種となっていく。「宗教の社会貢献」という概念は、そのような多角的な役割を担っているのかもしれません。

第3回は、7月18日(土)に北海道大学の岡本亮輔さんを迎えて行われる予定です。