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7/18「ビヨンド・サイレンス」第3回「スピリチュアルは、宗教を凌(しの)ぐのか」を開催いたしました

去る7月18日、大蓮寺客殿にて「ビヨンド・サイレンス~ポストオウムの20年を語る」第3回「スピリチュアルは、宗教を凌(しの)ぐのか」を開催いたしました。この企画は、秋田光彦住職と関西学院大学准教授の白波瀬達也さんがホストとなり、この20年の日本宗教をめぐるトピックについて問い直すものです。

3回目のゲストには北海道大学准教授の岡本亮輔さんをお招きし、「聖地巡礼」に見られる宗教の世俗化・私事化についてご講演いただきました。現代の多くの人にとって、伝統宗教の提示する物語をまるごと信じることは難しいけれども、各宗教が持っている要素を個別的に消費する形で、宗教的なものは人々のあいだに残っている。それが、スピリチュアル及びスピリチュアリティと呼ばれている現象だといいます。
このような「見える宗教」(伝統宗教、新宗教)の衰退と「見えない宗教」(スピリチュアル、世界観・価値観)の興隆を踏まえた上で、スペインのサンディアゴ・デ・コンポステラ巡礼において、信仰を持っていない人々が、神との交流ではなく巡礼者同士の共感や自分自身への気づきを求めて、熱心に巡礼にのぞむ様子を紹介されました。そこには確かに感動体験があるかもしれないが、神とは全く関係のない体験として消費されている、と指摘。また日本の事例においても、今戸神社など、もともと宗教施設である場所が、非宗教的なイメージによってパワースポットとして再構成されていくプロセスをお話くださいました。

前半のお話を受けて、後半は参加者との対話の場をもちました。「個人化が進んでいるのは分かったが、他者への共感や自分への気づきだけでは救済性が足りないように思う。伝統宗教はこのまま不要となるだけなのか」という秋田住職からの問いをきっかけに、「見える宗教」と「見えない宗教」の重なり合いが大きな論点となりました。たとえば、宗教者のあいだに広まっている「臨床宗教師」の活動は、宗教や宗派を超えたスタンスで行われており、宗教というよりスピリチュアルに近い立場となっているように見える。あるいはパワースポットに関しても、人気がある所は伝統宗教にもともと依拠している場所であり、伝統宗教のイメージの良さは依然として残っている。伝統宗教とスピリチュアルが互いを含み合っているとするなら、両者の覇権争いを避けつつ、どう補完し合うことができるのか。参加者の皆さんに多角的な視点からご発言いただき、その筋道を考察することの重要性が明らかになりました。

次回「ビヨンド・サイレンス」第4回は、浄土宗総合研究所の戸松義晴さんをお迎えし、9月30日(水)應典院研修室Bにて開催する予定です。