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2018/3/18-19 滝口史郞!:Forum Enters The Theater #0 「ヤミウルワシ」レビュー

3月18日(日)から19日(月)にかけて、應典院寺町倶楽部共催事業としてForum Enters The Theater #0 「ヤミウルワシ」が気づきの広場にて上演されました。【演じるフォーラム(演劇はフォーラムを舞台に上げる)】として、演劇上演作品を各分野の“知恵”でひも解く、様々な“知恵”を舞台に招き入れる本企画。その試行として、「仏教の知恵」を舞台に招き入れました。今回は舞台照明、落語家の滝口史郞!さんにレビューを執筆していただきました。


FETT「ヤミウルワシ」を観た。2018年3月19日(月)19時30分開演。

 チラシを見て、「ああ、これは戒田さんの作品だ。つまりは満月動物園の作品だ」と思い込んでしまっていた。

 作・演出の戒田さんは多才な人で、舞台照明も宣伝美術もやる。脚本、照明、演出を一人の人間が務め、その人が宣伝美術もやると、視覚的に非常に筋の通った印象的な情宣を見られる事になる。

 勢い、作品の個性が滲んだチラシを見て「ああ、戒田さんだ!満月だ!」と思い込んで、開演前説を聞くまで主催団体を認識していない始末。

 公演は三部構成で。

 一部が劇作品の「ヤミウルワシ」。二部が女優と副住職の即興芝居。三部がアフタートーク。

 本公演メインディッシュたる第一部「ヤミウルワシ」。

 戒田さんの作品は、タイトルが片仮名のみで表記されるものが多い。これは個々の作品の区別をつけにくくて、いつも困っている。満月動物園の公演アンケートに「過去、御覧になった作品」として作品タイトル群が列挙されていても、どれが観たやつでどれが特にお気に入りのやつだったかさっぱり分からないのだ。

 ヤミウルワシ。「闇、麗し」なのだろう、まさか「病み得る鷲」とかではあるまい、と思いながら観はじめた訳だが。観終えてみると病み得る鷲でも和紙でも有り得るじゃないかと迷宮入り。こうしてまた、作品自体は印象的なのにタイトルを忘れる公演となってしまうのだ。

 本作は2011年の作品の再演だそうな。終演後、観劇仲間が初演の時はああだったこうだったと興奮気味に話すのを横目に聞いてようやく、

「あ、私この作品の初演観てたわ」と気づいた。それだけ、初演は印象的だったのだが今回の上演が異なる印象だったと云う事だ。

 

 物語は、心肺移植を受けた主人公が、夢にいつも現れる女性がドナーである事を知り、その母に会いに行く話。

 主人公に村井友美。主人公の親友に竜崎だいち。夢の女性と、その母に河上由佳。

 戒田さんの女優の選び方と使い方がいつもながら素晴らしい。

 冒頭からの、主人公に絡みついた赤い紐を、夢に現れる女がずっと持っている演出。初めは何らかのしがらみや呪詛の比喩かと思っていたが、そう云う重い良くないものにはあらず。物理的にいつも共にあり、切っても切れない関係にあるのだと云うしるしだ。

 赤い紐なのも、運命の人とかではなく循環器の血管のイメージに思える。

 紐を持つ女の表情が良いのだ。母にもあらず、友にもあらず、より近くで共に立つ者の眼差し。

「自分のことが好きではなかった」事に気づいた上で自己肯定をする夢の女が、主人公を見る目はやはり自己の肯定なのだと思う。主人公が元気に生きて、動く事に、自分の生が繋がっているような。

 

「お母さんのこと、好きだよ。」

と云うチラシのコピーを読んで、好きと嫌いのない交ぜになったややこしい肉親愛の話を見せられるのだろうか?(だったらやだなあ)と思いながら観はじめたのだが。

 とんでもない。

 夢に現れる女の、結構まっすぐで、でも伝えられなかった想いが。バイクで走る風の心地よさが。遠くまで走った先で見られる景色が。主人公を強く押してくれる。

 素直に「お母さんのこと、好きだよ。」と伝えに行くのがすとんと腑に落ちるのだ。

 

 親友が「夢に現れる女」に会う方法に気づくのが、また夢の中であると云うのも良い。

 

 上演場所が本堂ホールではなくて、「気づきの広場」だと云うのがこんなに良い形になるとは思っていなかった。(気づきの広場がどこだか分からなかった、と云う事はさておき。)

 相内さんが要所要所で映し出すプロジェクターの映像が、打ちっぱなしのコンクリート壁を塗り替えるのが、舞台に写幕を吊るの以上に効果的に思えた。あれはずるい。

 舞台が暗く、役者にだけ明かりを当てた時に、上手のガラス窓に綺麗にその姿が映るのも何とも美しかった。

 スピーカーから度々カチカチと音が出ていたのはラップ音だったのではないかとも思うが。まあこれはさておき。

 

 舞台照明としては、ホールのような一般照明機材が使えないので相内さんのムービングLEDを持ち込んで使っていたが。これが非常に素晴らしい明かりを出していた。

 砂浜で、夕焼けからゆっくり日が沈んで行き、黄昏時を経て夜の暗さに移り変わって行くなど、私が舞台照明を触り始めてからずっとやってみたかったけども実現できていない明かりではないか。こいつをじっくり見せつけられて。心の片隅で歯がみをしながらも、日没を見つめ続ける主人公の眼差しに見惚れていた。

 

 些細ながら困った事に。一般的な舞台組みならば、役者は正面から浴びるシーリングライトの明かりで観客達の顔などは見にくいものなのだけども。今回の照明配置では、舞台を染める背後からの明かりのせいで、役者は客席の我々の様相がよく見えていた筈なのだ。

 つまりは、惚けたように見上げているこちらの表情も役者からすんなり認識されてしまう訳だ。少々ばつが悪い。

 こんな事考えていては、芝居など観られないのは分かっているのだが。つい。

 

 物語終盤で、主人公と夢に現れる女が連れ立って駆け去るシーンで。本堂前の廊下を駆け抜け、階下への階段を降りていく空間使いに驚かされた。小劇場演劇ではそうそうお目にかかれない奥行き感だ。何たる場所の使いこなしようだろうか。

 

 主人公が親友と共に夢に現れる女の実家を訪ねて、女の母と話をして物語は幕を閉じるのだが。

 今回の企画の内容上、休憩など入れずにすぐ第二部開始となった。これは正直困った。

 第一部終了後、変に休憩など入れたら観客の一部は帰ってしまいかねないし、終演があまり遅くなるのも避けたいと云うような都合があるのだろう事は容易に想像がつくけれども。

 今観終えたばかりの劇作品についてじっくり余韻を感じたいのだ。できれば2,3分は時間をおいて欲しいところであったが。

 

 第二部は、應典院副住職 光軌さんの所に竜崎さん演じる主人公の親友がふらりと訪ねて来たという体の即興芝居。エチュードのようでもあり、ロールプレイのようでもある。

 亡くなった祖母にどう接したら良かったのだろうかと云う話を、家族愛と仏教の視点から話をしていた。

 と、思う。多分。

 何しろこの時私は第一部の余韻を咀嚼し、物語を反芻するのに忙しかったのだ。

 まあ第一部の作品を観た席にずっと座って考え込むのを許されている分、「終演後すぐにアンケートを書いて客席を退出」するよりは豊かな時間だったのだけども。

 

 しかし、副住職光軌さんは普段から人前で話をするのには慣れているだろうけども、如何せん役者ではない。直前まで、それはもう精度も練度も高い演劇表現を堪能していた所なのに、引き続き素人芝居観させられちゃうって一体どう云う企画なのだ。

 この二人の会話は、他の時ならもう少し興味を持って聞けたかも知れないのになあ。

 

 そして第三部はキャスト、スタッフ揃ってのアフタートーク。

 色々話を聞けて面白かったのではあるけども。結局は「云いたい事は、作品に全て込めました」と云う所に帰結する訳なので。別に無くても良かったような。

 尻すぼみな印象はあるものの、ヤミウルワシと云う演劇作品が素晴らしかったので。トーク企画つき公演としては非常に豊かな企画だったと思います。

 出演女優陣の、凜とした表情と優しい眼差しを思い出しつつ。

 

〇レビュアープロフィール

滝口史郞!

舞台照明、落語家
旭高校演劇部、京都工芸繊維大学落語研究会、劇団アシデマトイ、彗星マジックを経てフリー。
観劇本数は年間百本ちょっと。
最近は不定期に天気輪寄席を主宰している。