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11/25.12/2.12/5 セッション!仏教の語り芸を開催いたしました。

霜月から師走にかけての三日間、練心庵と共同企画の「セッション!仏教の語り芸」が應典院で開催されました。三日間とも満堂の皆様をお迎えして、「語り」を中心とする諸芸能の世界を宗教学者の釈徹宗先生が監修・進行してくださいました。特に今回、登壇頂いた落語や能楽などに見られる日本文化・芸能の「型」は、仏教の読経や声明から産まれたものであり、日本の諸芸能の根源であることを実感する時間となりました。第1回目で取り上げた「節談説教」は、日本仏教が布教の中で発達させてきた節付の説教ですが、その節や内容は落語などに大きく影響を与えており、また、第3回目に披露された、浄土宗の若手僧侶の会・三帰会による「声明」は、「能」の節回しにも大きく影響を及ぼしていることを体感致しました。また、伝統芸能に対し、現代的にアレンジされた新たな表現を同時上演し、近代以降、変貌する仏教パフォーマンスや新しい形の「語り芸」の世界も併せて紹介しました。

まず、第1回「教えを語る」で、直林不退先生がお取次ぎ(浄土真宗では仏の教えを「取り次ぐ」人として僧侶を捉えます)をしてくださった節談説教は、江戸時代後期、浄土真宗で成立した大衆の感性に訴える情念の布教技法として流布したものでした。節談の特色は、「七五調」「美声」「節回し」など、「型の伝承」が行われていることで、特に安居院流伝持の「説教五段法」というものが固定化されてきたそうです。(関山和夫先生『説教の歴史的研究』)そして不思議なことに、この説教五段法は、同日「現代説法:豊かに生きる」をご披露してくださった、北海道の僧侶・坊守で構成された「チームいちばん星」の皆さんの説法にも見られたと、直林先生が指摘されたのです。関山和夫先生の研究によれば、説教五段法の型とは、「はじめ(讃題・法説)しんみり、中(譬喩・因縁)おかしく、終(結勧)尊く」、「讃題について(法説)、はなれて(譬喩・因縁)、またついて(合法)、花の盛りにおく(結勧)が一番」と言われています。子どもが作ったユーモラスな詩、親を喪うグリーフを描いた詩、牛の解体業者の父と子の語りから成る朗読劇のお話をもとに、巧みな照明や音響、素晴らしいコーラスなどの様々な表現を凝らした現代説法パフォーマンスにも、この説教五段法の型をしっかりと見ることが出来ました。「チームいちばん星」を代表してトークセッションに出演してくださった加藤泰和上人が、驚きとともに漏らされていた「そうだったのか‥これで良かったんだ…」という言葉の通り、説教の型というのは、時代を超えて「自然に染み込んでいく」ものであることを感じました。

また、第2回「弱者を語る」は、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表で詩人の上田假奈代さんが、釜ヶ崎の風景や人についての詩を朗読してくださいました。上田假奈代さんは、長らく應典院で「詩の学校」を主宰されており、普段の釜ヶ崎の生活の中で感じられた情景を、まるで聞いている私たちが追体験するような、人々の表情や色までもが浮かび上がってくる素敵な詩の朗読でした。

後半は「弱者を語る」というテーマに沿って、落語家の桂文我師匠に「弱法師(よろぼし)」を語っていただきました。気の弱い息子が家出をし、四天王寺近辺で乞食に身をやつし、春のお彼岸にその両親と再会する、なんとも苦々しい話です。故五代目桂米團治はこの噺に入れ込み、ガリ版で台本を書いたともいわれる演目であり、能の「弱法師」から着想を得たともいわれる話です。当日、文我師匠が街の賑わう様子の噺しをされたとき、我々はそこにたくさんのお店や人々の賑わいを実感したのです。語り手は「見えない風景」を語るのですが、そこにいる観客は、その語り手の言葉や声から「風景がありありと見える」という経験をし、それこそが「語りの技」であると感じました。

第3回「死者を語る」は、近代の自我を語る「浪曲」と、自我を棄てた忘我の「謡曲」という、両極の語りと共演の世界でした。風雨の吹きさらしの中で語られ、近代に成立したといわれる「浪曲」は「浪花節」とも言われる芸能です。明治時代後期から昭和中期にかけて庶民的な人気を博し、日本の近代文化史・メディア史に欠くことができないものとなりました。今回は玉川奈々福さんと曲師(三味線)の沢村豊子師匠にご登壇頂きました。一つの物語は七五調の節(ふし)と啖呵(たんか)で演じられますが、節とは物語の状況や登場人物の心情を歌詞にして歌う部分、啖呵とは登場人物を演じてセリフを話す部分です。今回の演目「陸奥間違い」は、田舎から出てきたちょっと抜けている「使者」が主人公。客席からも、その使者の台詞に大きな笑い声が湧き、奈々福さんへの掛け声がにぎやかな舞台となりました。

後半の謡曲は、安田登さんが舞われる「隅田川」と「夢十夜」という「死者」を語る演目でした。一人っ子を人買いにさらわれ、子どもを亡くすという母親の物語である「隅田川」、子どもを亡くした女性の悲嘆が、安田登さんに憑依し、圧倒的な声量や声質の世界の中に内包されるような舞台でした。また、その後は夏目漱石原作の「夢十夜」を安田登さんが創作能として演じられました。人の罪と死の問題を描いた漱石のこの作品。本堂ホールに響き渡る「死者」の声は、参加者の耳にはどう届いたのでしょうか。

その後の釈徹宗先生とお二人とのトークセッションの中で、安田さんがおっしゃった言葉で非常に印象的だったのが、「能のワキ方」というのは脇役のワキではなく、「生と死の境界線」を演じるのが「ワキ」、という言葉です。扇でいうと、ちょうどその扇の放射線状に開いた先の部分、身体でいうと、表でも裏でもない、いわゆる「脇」の部分のことであるといいます。一方の玉川さんが、應典院の周りに偏在する崖や坂に「生と死の境界」を感じ、そこに生じたものから「語らされている」「憑依されている」ように感じる、とおっしゃったことにも通じます。中世の<無我>の境地である「謡曲」と、近代の<自我>が語られた「浪曲」、その二つを通じて「生と死の境界」で語ることへの思いをうかがったことが、このような芸能が育った土壌はお寺であることを再認識する機会となりました。