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2018/7/17 汐月陽子:寄稿「おてら終活カフェ~美しい人生の仕舞い方~」に参加して

去る7月17日、應典院で初となる「おてら終活カフェ」を開催いたしました。ゲストに、タレント・女優・美しい人生の仕舞い方プロデューサーの、おちあやこさんをお迎えして「美しい人生の仕舞い方」についてお話いただいたのち、應典院住職と主幹を交えて、終活にまつわる話を深めていきました。また最後には、会場のみなさま同士の意見交換の時間をもち、和気藹藹としながらも、みなさまの大切なお話を聞かせていただける貴重な場となりました。今回は、應典院寺町倶楽部会員の汐月陽子さんから当日の様子についてご寄稿いただきました。


 

應典院の階段を上がった2階のロビー「気づきの広場」は、壁が一面ガラス張りになっていて、晴れた日のお昼前後におとずれるととても気持ちのいい場所です。お寺らしからぬモダンなコンクリートの造りでありながら、ガラスの壁のすぐ向こうに見えるのは、親寺である大蓮寺のお墓。7月なかばの強い日差しに照らされたお墓たちは、死の悲しいイメージを纏っているというよりは、都市のなかに突如現れた、宗教的な砂浜のようにおもわれました。

 

 

7月17日の「気づきの広場」では、「おてら終活カフェ」という催しが行われました。ゲストは、「おはよう朝日です」の レポーターとしても知られるおちあやこさん。おちさんは、タレントや女優業のかたわら、200人以上の片付けられないことに悩む方の「心と頭と空間の片付け」に関わってこられたといいます。「自分の人生を見つめ直しながら、片付けをするといいんじゃないかと思っていて」と語るおちさんは、技術を駆使して家をピカピカに磨き上げるタイプのお片付けのプロではなく、片付けという入口を通して、人の生きることに向き合う方であるように見えました。

モノや情報が溢れている現代で、私たちはどうしても、選べるものの多さに人生を翻弄されてしまいます。「人生の中で最も必要な何かを、最優先してください」「やらなくていいことも決めてください。時間は有限で、私は、時間はいのちだと思っています」。おちさんのその言葉を聞いて、私は、生きることは選ぶことであり、そして、選ぶことは、死が決まっている人生の中で、終わりに向かってよりよく生きようとすることなのだと感じました。大事にしていたモノを手放すことや、ずるずる続けてしまっていた習慣をやめること、大切な人とべつべつの道を選ぶこと。そのようなできごとに直面して、淋しさをおぼえながらも、自分の輪郭が一層はっきりしたように感じられた経験は、程度の差はあれ、誰にでもあるのではないでしょうか。

 

おちさんは、終活カウンセラーとしての資格もお持ちだそうですが、私は「おてら終活カフェ」にお邪魔して、おちさんの考えかたが「終活」に結びつくことがとてもすんなり理解できました。若い頃は、気力も体力も充実していて、自分がどこまでも成長できるような気がしているので無敵ですが、おとなになって、自分の限界が分かって、守るべきものもできると、そのなかで本当に必要なことを選ばなければいけない。誰もが年を経るにつれて少しずつ、できること、できると思えることが狭まっていく中で、何を大切に残していくかを考える必要に迫られる。「終活」は決して、終末期だけを特別に切り取った話ではないのだな、と感じます。お話の序盤で、おちさんから「あなたが亡くなるときには、棺に何を入れてほしいですか?」という質問がありました。カフェにお越しになられた方からは、「主人の写真」や「子どものへその緒」などの回答が上がり、自分とこの世のつながりということを考えさせられました。私だったら何を入れてほしいか、今でもぼんやり考えています。

秋田住職からは、「最期を意識して今をしっかり生きるということは、仏教にも通じる話」とコメントがありました。医療が発達したことによって、死は克服されなければいけないというふうになりやすく、生活相談も専門分化してしまう。そのような社会で「ヒトの生と死に関するさまざまなストーリーを受け止めながら、よろず相談を受けていきたい」という発言に、お坊さんならではの情熱を感じました。大蓮寺の生前個人墓「自然(じねん)」の契約相談に来られる方は、話しているうちに、ご自身がお父様やお母様を看取ったときのことを語りはじめる方がとても多いそうです。連綿と連なり、時間の経過に堪えてきた記憶の存在によって、人の心は立体的になっているのだな、と思わされるエピソードでした。

 

私自身は今30代の半ばで、明日死ぬ可能性がないとはもちろん言い切れないのですが、やはり「人生の仕舞い方」についてはどこかまだ自分には遠い話と思っていたところがありました。けれど、無限ではない時間の中で、自分がどのように生きて、どのように自分を満たしたいかを考えるとき、そこには「人生の終わり」のイメージも含まれていることに気付かされた1時間半のカフェタイムでした。お茶とお菓子をいただきながら、終盤には小さなテーブルを囲って、他にお越しになられた方と話す時間があったのですが、みなさん和やかながら活発にお話をされているのが、とても印象的でした。眩しい太陽の下のお墓を望みながらみなさんとお話をするのは、まるで、あの世とこの世をつなぐビーチのテラスにいるような気分で、すごく不思議な体験でしたが、清冽で前向きな気持ちになれたように感じています。

 

人物(五十音順)

汐月陽子
(應典院寺町倶楽部会員)