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サリュ 第103号2016年5・6月号

目次

巻頭言
レポート「山口洋典主幹の10年を送る会」
コラム 秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職、パドマ幼稚園園長)
インタビュー hige(ステージタイガー 代表) 虎本剛さん(ステージタイガー 作演出)
編集後記

冒頭文

往生は不定に思へば不定なり、一定と思へば一定することなり。 法然上人

report「渡」

山口洋典主幹・事務局長が退任
決意のバトンを繋いでいく

10年の歩みを語りなおす

去る3月24日、應典院本堂ホールにて「山口洋典主幹の10年を送る会」が開催されました。山口は2006年に浄土宗應典院二代目主幹および應典院寺町倶楽部事務局長に就任、以後現在にいたるまで應典院における事業統括を担いました。また、並行して大学教員として教壇に立ち続け、近年は東日本大震災の復興支援に尽力するなど、市民僧として社会と寺院をつなぐ多彩な取り組みを行ってきました。任期を終えて、2015年度をもって退任するにあたり、秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職)、アサダワタルさん(日常編集家)、山口悦子さん(医師)、上田假奈代さん(詩人)、戒田竜治さん(演出家・脚本家)、陸奥賢さん(観光家)の6名が呼びかけ人となり、今回の送る会が行われました。
冒頭、秋田住職が導師を務め、ご本尊への奉告法要を執り行った後、呼びかけ人の皆さんと山口とのリレートークによって10年の活動を振り返りました。それぞれの対話の中で扱われた問いは、順に「二代目をどう迎えたか?(秋田光彦)」「築港ARCで何を生み出したか?(アサダ)」「お寺と病院はどうつながるか?(山口悦子)」「アーツカウンシルで大阪はどう変わるか?(上田)」「演劇は現代社会をどう扱えるのか?(戒田)」「現代でもコモンズは成立できるのか?(陸奥)」といった、この間の活動を多様な視点から切り取ったものでした。呼びかけ人の皆さんとともに記憶を辿りながら、そこに込められた想いを語りなおす時間となりました。なお、今年度サリュのコラム欄には、呼びかけ人の皆さんにお一人ずつご寄稿をお願いする予定です。

来た道と行く道を重ねて

リレートークの最後には、2016年度より三代目主幹および事務局長に就任する秋田光軌(浄土宗大蓮寺副住職)が登場し、「20年後の應典院はどうなっているのか?」という問いについて、山口と応答が交わされました。秋田光軌からは「他者の願いを聞き取りながら事業を形作る、山口の姿勢を引き継いでいく」、また「上から引っ張りあげるリーダーでなく、皆のところに積極的に降りていく者でありたい」と、今後の活動に向けて決意が語られました。奇しくも山口の主幹就任時と同じ、30歳での新主幹お披露目となりました。
その後は、気づきの広場に場所を移しての大宴会となり、参加者の方にもおことばをいただきながら歓談の場をもちました。たくさんの笑顔が溢れる和やかなひとときを過ごし、最後に山口からは「3月末をもって還俗する決断をしたが、これからもひとりの念仏者として愚者の自覚を忘れずに努めていきたい」と退任にあたっての挨拶がありました。
当日の参加者には、2008年7月発行のサリュ第56号以降、「アトセツ(幕が下りた後の説明の意)」として山口が毎号執筆した文章を収めた、記念の冊子をお渡ししました(ご希望の方は事務局までご連絡ください)。その中でも述べられているように、リニューアルということばの中にある「Re」という接頭語は、続くことばに対して「再び」という意味を付与します。2017年に再建20年を迎える浄土宗應典院、そして應典院寺町倶楽部も、これから様々な形でリニューアルを試みることとなりますが、単に新しく変えるだけでなく、同時にこれまでの歩みを「再び」引き受ける営みとなるよう務めてまいります。

小レポート

新スタッフ入職
演劇の可能性を探る

2016年4月より、角居香苗と沖田都の二名が新たにスタッフとして参加しています。二人とも、主に演劇をバックボーンとした学びや活動を重ねてきました。
角居香苗は奈良県天理市に生まれ、兵庫の大学で中高の教員を目指す中で、舞台表現に出会いました。大学卒業後は、演劇の力を教育に活かすことができないかと考え、舞台の照明や音響を勉強するため専門学校に通学するなど、演劇と教育の結びつきをテーマに学びを続けてきました。沖田都は北九州市の大学在学中より、劇団に所属して活動を開始。街の商店街の空きテナントを劇場空間へ改修し、運営事業に携わりました。その後、大阪西成のアートNPOに勤務、生活の中にきらめく演劇的な瞬間を喜びにして、表現について見つめなおす日々を送ってきました。
二人と一緒に、「演劇的な学びとは何か」を探求していくことができるよう願っています。新しい顔ぶれを迎えた事務局をよろしくお願いします。

小レポート

上町台地のつながりを継承する

去る3月26日、上町台地マイルドHOPEゾーン協議会まちづくり提案事業の報告会が四天王寺本坊で行われました。應典院寺町倶楽部からは「世代間をつなぐ『子どもアート』プロジェクト2015」というテーマで、昨夏に開催したキッズ・ミート・アートの報告をいたしました。
2003年に始まった「上町台地からまちを考える会」から、大阪市都市整備局の補助事業として引き継がれた当事業ですが、この日の総会をもって協議会は解散となりました。2016年度からは自発的な地域ネットワークとして、その役割が新しい世代に継承されます。應典院寺町倶楽部も共に活動を続けていきます。

小レポート

寺町に根付いた春祭り

今年で20周年を迎える「なにわ人形芝居フェスティバル」が、去る4月3日に開催されました。記念すべき20回目となる今回は、過去最高となる9000名の方が来場され、ご家族で下寺町界隈を巡りながら満開の桜を楽しんでいらっしゃいました。
應典院では百鬼ゆめひな「化身」が上演され、艶やかな等身大人形(ひとかた)の娘と山の精霊による演舞が披露されました。また、大蓮寺境内には10店舗以上の手作り市場が並び、パドマ幼稚園では北海道から来られた人形劇団えりっこ、結成68年の歴史を誇る人形劇団クラルテの公演が順に上演されました。これからもこの盛大な春祭りが続いていくことを願っています。

コラム「僧」

山口洋典前主幹の10年を辿る 第1回

市民僧、誕生

「市民僧」ということばは、私の造語である。90年代の終わりから00年代初期にかけて、市民社会とか市民団体とか、大きな「市民ブーム」が起きていた。「市民」が新しい公共の担い手として注目される反面、それとは真反対な「僧」ということばを接続させたのは、当時の私の思いがあったからである。
1997年に再建された應典院の別名は「市民参加型寺院」。まだ耳に新しいNPOが引きも切らずやって来て、現在の社会拠点の基盤を成した、その初期にあたる。確かに新しい時代の気運もあった。だが、それ以上に、自己の利益を顧みず、社会的使命や貢献に生きようとする人々の姿に、「菩薩行」のあるべき姿を見ていたからだ。ヒューマニズムというのではない。他者の痛みや悲しみに寄り添う慈悲の心が立ち現れる、その人格を、私は「市民僧」と名付けたのだ。
「お寺は元祖NPO」と言って、多くのNPOの理論家や実践家と交流を続けたが、逆に除外視されたこともある。市民社会では宗教はタブーだから、と高名な活動家から面と向かって言われた。剃髪と墨染めの僧侶が公共世界に参加するには、まだ時間を必要としたのである。
2001年、大学コンソーシアム京都に「寺子屋NPOフォーラム」の企画を持ち込んだ時、利発な若者が職員として窓口を担当してくれた。彼は阪神淡路大震災のボランティア経験をもとに、NPOの世界に入ったという。「京都には宗教系大学がたくさんある。一緒に呼びかけましょう」。
それが、のちに應典院二代目主幹となる山口洋典との出会いだ。寺に生まれたわけでも、仏教学を修めたわけでもない。でも、タブーを超えて、こころに袈裟をかけた「市民僧」が現場から登場したのである。

秋田光彦(浄土宗大蓮寺・應典院住職、パドマ幼稚園園長)

(プロフィール)
1955年大阪市生まれ。明治大学文学部演劇学科卒業後、東京の情報誌「ぴあ」を経て、映画制作会社を設立。プロデューサー兼脚本家として「狂い咲きサンダーロード」「爆裂都市」などを発表。1997年に浄土宗應典院を再建、初代主幹としてコミュニティ・地域資源のあり方を具体的に提案し、市民活動や若者の芸術活動を支援してきた。また、人生の末期を支援するエンディングサポートをNPOと協働して取り組むなど、「協働」と「対話」の新しい地域教育にかかわる。2009年、パドマ幼稚園園長に就任。近著に、責任編集を担当した『生と死をつなぐケアとアート』(生活書院)など。

interview「輝」

hige(ステージタイガー 代表)
虎本剛さん(ステージタイガー 作演出)

かつて託された願いを、今、引き受けて。
「可能性の交差点」で育まれた劇団が、
最後の演劇祭を全力で駆け抜ける。

應典院寺町倶楽部は、1997年から行ってきた應典院舞台芸術祭space×dramaを今年度をもって終了し、新たな事業の形を模索することとなった。その歴史の最後を飾るspace×drama2016が、5月12日(木)よりスタートする。前身の「特攻舞台Baku-団」で2008年度優秀劇団に選出され、今年度は「ステージタイガー」として特別招致枠での参加となるお二人に話を伺った。
――2008年度優秀劇団に選出されるまでの歩みを教えてください。
虎本(以下T) 関西大学在学中、演劇サークルから特攻舞台Baku-団を旗揚げしました。人がやっていないことをするのをポリシーにしていて、とにかく目立ちたかった。色んな演劇祭に応募する中で、はじめてspace×dramaに参加したのが2003年度です。好きな劇団が使っている憧れの場所でしたが、集客面で苦労する結果となりました。
hige(以下H) 2008年度は3回目の参加でした。その頃にはもう中堅になっていて、体力と動員力には自信がありましたし、制作者会議でも全体が俯瞰できるくらい経験を積んでいた。選出された時は、虎本と抱き合って大声で叫びましたね(笑)。その頃の應典院での様々な人との出会いは、今も活きています。
――2009年、應典院での協働プロデュース公演が、特攻舞台Baku-団として最後の公演となりました。
H たまたまタイミングが来てしまって、せっかく選んでいただいたのに最終公演をすることになり、本当に申し訳ない気持ちでした。時期を外すべきだったかとも思いますが、もう1公演続けていたら良い形で解散できなかったかもしれません。
T 劇団員の足並みが揃わなくなり、続ける者と離れる者をはっきりさせた方が健全と考え、区切りをつけることにしたんです。尊敬するプロレスラーで、2代目タイガーマスクとして活躍した三沢光晴さんがお亡くなりになったこともあって、「舞台」と組み合わせて、ステージタイガーという新たな劇団名をつけました。
――久しぶりにspace×dramaに帰ってきて、印象はいかがですか。
T 情報が簡単に入手できる時代になったのに、参加劇団が減少しているのはもったいない。最近の若い劇団の技術は昔よりレベルが上がっているので、自信をもって挑戦していけば、それに見合った成果が返ってくるはずです。
H ネットの影響もあり、若い劇団と上の世代の距離が近づいている感じはします。いきなり制作に有名な人がつくなんて、以前は考えられなかった。僕らは大きく売れていくのを劇団のゴールに設定していたけれど、今は狙っている着地点がそもそも違うのかもしれません。
――最後に、space×drama2016にかける意気込みを聞かせてください。
H この演劇祭を価値あるものにしたいと、制作者会議でも一貫して発言してきました。僕らはきっと背中を見られているので、少しでも参加劇団の刺激になり、演劇祭の魅力が伝わるように励んでいきます。
T 2008年にチャンピオンベルトを託されたのに、輝かせる前に一度捨ててしまった。今回このポジションで参加する以上、自分たちの公演が盛り上がって終わりではなく、この演劇祭全体を潤さなければならない。全劇団全ステージが満員になるために何ができるか考え、実行することが、ベルトを持っている人間の役割だと思っています。

〈編集後記〉

第56号以来〈アトセツ〉として執筆してきた本コーナーですが、今号からスタッフが一言ずつを寄せる〈編集後記〉へと変わります。このお寺でどんな人たちが日々を営んでいるのか、感じていただく一助となれば幸いです。

今年度より浄土宗應典院主幹ならびに應典院寺町倶楽部事務局長に就任しました。皆さんの力もお借りしながら、宗教空間だからこそできる事業に取り組んでいきたいと思っています。若輩者ですがよろしくお願いします。南無阿弥陀仏。(秋田)
春は日本人の多くが好きな季節。咲き誇る櫻、散りゆく櫻、万感の思いを込めて櫻に人生観をなぞらえるのも、日本人特有の美的感覚なのか。應典院も節目の年を次に迎える春。次年の櫻を思い、水と肥料を運ぶ日々。(齋藤)
2007年から演劇担当として在籍しております。5月12日からはじまる演劇祭に向け、企画運営や広報に追われております。今年の演劇祭は、毎公演ホットドッグを販売します!美味しいです!ぜひとも應典院に足をお運びください!(森山)
舞台全般が好きで、企画に携わりたいという夢が実現しました。應典院で働くことのできる喜びと楽しみで溢れています。どんなことでも吸収する気持ちを持って、元気いっぱい頑張っていきたいと思います。(角居)
ありがたいご縁から應典院に関わることになりました。このお寺にくると呼吸が楽になるので嬉しいです。そんな應典院のふとした瞬間を日々お届けしたいなと思います。少し人見知りですが、皆さんどうぞ仲良くしてください!(沖田)

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