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サリュ 第105号2016年9・10月号

目次

巻頭言
レポート「人間を見つめる営みが寺院という場を育む」
コラム 山口(中上)悦子さん(医師・大学教員)
インタビュー 中川真一さん(遊劇舞台二月病 主宰) 松原佑次さん(遊劇舞台二月病 主宰)
編集後記

冒頭文

おのれを愛すべきものと知らば、おのれを悪に結ぶなかれ。『阿含経』より

report「所」

人間を見つめる営みが
寺院という場を育む

詩で死を想う一夜

2001年以来、詩人の上田假奈代さんが取り組みつづけている「詩の学校」は、市民がそれぞれの生活へ還元する表現活動を行うことを主眼に、毎月應典院を会場にして長く親しまれています。去る8月4日に、こちらも今年で15回目を数える、年に一度のお盆特別編「それから」を大蓮寺・應典院にて開催しました。お盆という季節柄、〈詩〉を通して〈死〉に触れる一助となればと、事務局も共に場づくりにあたっています。
はじめに大蓮寺本堂で読経を勤め、秋田光彦住職によるお盆についての法話の後、灯りを点したグラスを手に、一人ひとり墓地に移動して詩作に耽ります。真っ暗闇の墓地にぽつりぽつりと微かな光の空間が生まれ、その中で参加者が想いを巡らせる様子は、大変美しい光景となりました。頃合いを見て墓地の一角に集合し、できあがった詩を朗読する機会を持つと、亡くなった知人に想いを馳せる人、後悔や自責の念を吐露する人など、時に涙でことばに詰まりながらも、自由なスタイルで心に響く朗読がなされました。
極めて個人的な想いを詩にのせて表現することで、また表現を他者と共有することによって、人が死と生に向き合う力を確かに与えられるということ。私たちの〈いのち〉がそのような不思議さを含んでいると、改めて感じさせられる一夜となりました。
最後は、應典院研修室Bに場を移し、全員で歓談しながら交流を深めました。次回の「詩の学校」は、同じく研修室Bにて9月14日夜に開催される予定です。

それぞれの方法を通じて

現在、「詩の学校」をはじめ、特に應典院に関わりの深い4つの事業については、應典院寺町倶楽部協力事業として位置づけをさせていただいております。
まずは、大阪スタタリングプロジェクトの伊藤伸二さんを中心にして、毎週金曜日の夜に行われている「大阪吃音教室」。吃音を治すのではなく〈吃音と上手に付き合う〉ために、より良いコミュニケーションを探る講座や、自己と他者への気づきを促す講座を行っています。回によっては禅仏教やアドラー心理学から学ぶなど、吃音ではない方にも多くの発見がある内容です。
そして、毎月第4日曜日に開講されている「ポタラ・カレッジ」は、チベット仏教の伝統のおしえを、分かりやすい日本語で学ぶことができる講習会です。クンチョック・シタルさんの講義は、ツォンカパ大師の『真言道次第広論』など、入門者には簡単でないテクストを丹念に紐解きながら、人が生きる上での苦の滅却をチベット仏教の見地から伝えてくださいます。
最後に、2016年度より開催している「基礎戯曲講座」。劇作家の岸井大輔さんが、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』やイプセン『野鴨』など、これだけは読んでおきたい戯曲を選定し、参加者の感想も交えながら3時間にわたってお話されます。戯曲が歴史的に培ってきた物語の型からは、人間の本性をも知ることができるはずです。不定期開催のため、第5回『ギリシア悲劇』の開催日は未定ですが、決定しだいお伝えいたします。
詩・吃音・チベット仏教・戯曲と、異なった立場から〈いのち〉を見つめなおす各事業が継続的に取り組まれていることで、應典院という寺院の持つ場所性が日々立ち上がっています。いずれも研修室Bで開催されておりますので、ご関心を寄せていただければ幸いです。

小レポート

應典院寺町倶楽部を
根本から問いなおす

去る7月8日、2017年度以降の当会の運営を検討する「新運営検討会議」が開かれました。来年4月に應典院再建20周年を迎えるにあたり、組織運営体制の大幅な刷新を検討しています。これまで以上に開かれた場として、現代のお寺の機能を果たしていくために何ができるのか。先日の「会員のつどい」で承認された、専門委員を中心としたメンバーが集まり、事務局とともにさまざまな議題について意見を交わしました。
第1回目となる今回は、「お寺である應典院という場で、どのような事業を行うべきか」、「自立的な組織として、どのように社会に開くべきか」といった根源的な問いを立て、議論がスタート。さらに、会員が担う役割とは何か、どのような意思決定機関が必要か、会則や本紙のあり方の検討など、出席者からは多くの課題があげられました。この会議は年度末まで続けていく予定です。今後の進捗についても報告を重ねてまいります。

小レポート

暮らしの中の生と死を語る

去る7月18日、秋田光軌事務局長と齋藤佳津子事務局次長が奈良県の「ホームホスピスみぎわ」を訪問し、NPO法人みぎわ副理事長の櫻井徳恵さんに面会させていただきました。櫻井さんをメインゲストにお招きして9月24日に開催する「エンディングセミナー2016」に向け、日々の暮らしの様子や宗教的なバックボーンなど、さまざまなお話を伺うことができました。
当日はホームホスピスについて考えることを通じて、家族や地域について、また、生活の根底に流れる宗教性について深められる時間となるよう準備を進めてまいります。たくさんの方のご参加、お待ちしております。

小レポート

演劇を通じた学び合いの場

7月21日から8月2日まで、Highschool Play Festival(HPF)2016が開催され、今年も應典院に高校生演劇の熱気溢れる季節を迎えました。参加校は総勢25校、ウイングフィールドや吹田メイシアターとも連携し、應典院では11校が連日公演を行いました。
舞台美術や音響、照明にいたるまで、高校生が自ら考え、取り組み、持てる力を出し切って表現に挑んだことで、未来につながる学びが得られたのではないでしょうか。今後も、彼らを支えるスタッフの側も多くを気づかされるような、成長と共有の場でありつづけることを願っています。

コラム「触」

「山口洋典主幹の10年を辿る」第3回
“いのち“の岸辺で

山口洋典前主幹は、大学院時代の同級生だ。最初に出会った入学試験の面接時、待合室の教室で私たち二人だけが“仕事”をしていた。どちらも社会人入学である。互いに「はじめまして、山口です。」と挨拶して、笑って、すぐに打ち解けた。以降、洋典君の似ていないモノマネや言葉遊びにツッコミを入れるという、私の役柄が定着し現在に至る。さて、大学院時代の彼のフィールドは應典院と上町台地だったので、得度して主幹に就任したと聞いたときも、特段、驚かなかった。主幹時代の10年間は様々な場面で声をかけてもらった。お寺と病院。それは現代の日本において唯一(二?)かもしれない、“いのち”に直接触れる岸辺ともいうべき場である。「生まれること」は「死へ向かうこと」のスタートだし、「生きていること」は「死につつあること」だ。病院やお寺は、“いのち”を身近に感じ直し、寄り添い直す場としての機能を、本来、備えているものではないだろうか。たとえば、2008年の3月に実施した写真展「好奇心星人の冒険」では、2005年の春に大阪市立大学医学部附属病院で闘病の後に亡くなった一人の少年が、“いのち”の岸辺で人々をつないだ。当時、病院とお寺のコラボ開催という異例の展覧会だったはず。単なる回顧展や個展ではなく、故人と遺族の思いを昇華させ、生も死も過去も未来も「今、ここに集う」不思議な感覚を共有する場の演出は、應典院の持つ場の霊力と洋典君の手腕によるものであったように思う。また、洋典君が演出する「学びの應典院」。秋田光彦住職とご一緒させていただいた「死生塾」と、應典院寺町倶楽部会長の西島宏氏とご一緒させていただいた「ルーマン『システム理論入門』読書会」の、短くとも深く味わい深い時間は、私自身の仕事に今でも影響が大きい。人々が集うあらゆる場を学びに変える手管は、ちゃんと盗ませてもらったよ、洋典君。これからも切磋琢磨とボケ&ツッコミで互いに学び続けましょう。“いのち”の岸辺に佇みながら。

山口(中上)悦子(医師・大学教員)

(プロフィール)
大阪市立大学大学院医学研究科医療安全管理学准教授・大阪市立大学医学部附属病院医療安全管理部副部長。専門は、小児悪性腫瘍・血液学、患者安全学、グループ・ダイナミックス。大阪市立大学医学研究科で学位取得後、大阪大学人間科学研究科に進み、山口洋典前主幹と出会う。現在は「組織の学習と発達」をテーマに、医療安全管理業務と医学部学生および病院職員の教育に携わりながら、医療の質・安全向上のためのアクション・リサーチを進めている。

interview「窓」

中川真一さん(遊劇舞台二月病 主宰)
松原佑次さん(遊劇舞台二月病 主宰)

想いを放ち、観客の心に問いかける。
実在の事件を多様な視点で見つめ、
生きることの希望を伝える社会派劇団。

6月に幕を閉じた應典院舞台芸術祭space×drama2016で、最後の「優秀劇団」に選出された「遊劇舞台二月病」は、被差別部落問題や子ども置き去り事件など、社会的主題を扱って当事者の苦悩を描きとってきた。今回、作品に込める想いについて、作・演出を務める中川真一さんと、役者の松原佑次さんの二人にお話を伺った。
――space×dramaに参加していかがでしたか。
松原(以下 M) やっと充分に準備できる環境が整ったのが今回でした。念願の参加だったので、優秀劇団に選ばれてうれしかったです。
中川(以下N) アイデアを出し合う「制作者会議」が興味深く、他の劇団の集客力に圧倒されたりと、刺激的でした。公演では連合赤軍の事件を扱いましたが、当時を知る人に見てもらえたことも感慨深かったですね。
――演劇をはじめたきっかけはどういうものでしたか。
N 中学生の頃、姉の持っていた劇団「大人計画」のDVDを何度も観ていました。当たり前ですが、こんなに鑑賞に参加しているのにクレジットに僕の名前がなく、突き放されているようで悔しかったんです。ならば、自分で演劇をはじめてやると決意しました。
M ずっと続けていたバスケットボールに挫折し、大学で友達に連れて行かれたのが演劇部でした。そこから物語を演じることに夢中になり、気づけば10年続けています。中川はその演劇部の一つ後輩。お互いの第一印象は最悪でしたけど(笑)。
N 新人歓迎公演で、ものすごく面白くない芝居を観せられて。僕が入ったら、この劇団を意のままにできる…と思っていました(笑)。
――劇団を一緒に立ち上げ、続けてこられた経緯を教えてください。
M 演劇部の公演で、中川の脚本と僕の主演で阪神淡路大震災とオウム真理教事件を扱い、評判も良かったんです。その時は社会派という意識はなかったのですが、今思うと、現在の作風の原型でした。
N その4年後に遊劇舞台二月病を旗揚げしました。その頃、大学の同期が大きな事件に巻き込まれ、犯人扱いされてメディアに出続けたことがあったんです。その一件から、加害者・被害者・傍観者、それぞれの立場を考えさせる芝居を書きたいと思うようになりました。
――どのようなスタンスで演劇に臨んでいらっしゃいますか。
M 演じる側としては、実際の事件に解決を与えるのではなく、作品を具現化して問いを投げかけたいという想いでやっています。僕自身は作中で死ぬことが多いのですが(笑)、本当に亡くなった方々の存在が未来に残っていくよう祈りながら演じています。
N 漠然とした言い方になりますが、「窓を開きたい」と思いながら創作しているんです。まずは、忘れ去ってはいけない事件のことを知ってほしい。彼らは必ずしも事件を起こしたくて人生を歩んできたわけじゃない。そこに至ってしまった因果関係を描きたいんです。
――2017年の協働プロデュース公演、またその後の展望について聞かせてください。
N すでに書きたいテーマが生まれつつあるので、温めている最中です。「僕なんかが世の中を分かったような顔して脚本を書くなんて、おこがましいのではないか」と葛藤もありつつ、地道にリサーチを進めています。
M 劇団員には「二月病は社会現象になるから!」と発破をかけているんです。うちのようなストレートで泥臭い演劇は少ないはずだから。来年も劇団の力を全部出し切ってやりたいです。

〈編集後記〉

應典院の本寺である大蓮寺にて、今年もお盆棚経を勤めさせていただきました。時として、私たちの人生には想像を絶するほどの悲しみが訪れます。生きることを単なる「負け戦」に貶めないためにも、仏教の思想や物語を伝えていかねばならないと、改めて考えさせられました。南無阿弥陀仏。(秋田)
暑いお盆が過ぎると、月夜の美しい季節が巡ってきます。小さな頃、インドのジャータカ物語から今昔物語へと流伝された、月に住む兎の仏教説話を聞いて、小さな胸が痛んだことを、ふと思い出すこの頃です。(齋藤)
あっと言う間に、2016年もあと4ヶ月しかありませんね。日々の時間の流れが以前より早くなっている気がします。残り4ヶ月ですが、應典院では大阪短編学生演劇祭からエンディングセミナーまで、まだまだ様々な企画が盛りだくさんです。是非とも足をお運びください。(森山)
宗教とはなにか。この問いを考えるべく、先日、應典院スタッフで他宗教を学びに行きました。他の宗教に触れることで、別の角度から物事を見て得られる気づきがありました。この気づきを、今後の應典院の事業にも活かしていきたいと思います。(角居)
オリンピックを見ていて、スポーツは不思議だなぁと、つくづく思う。競技のルールが決まるまでの経緯を知りたくなる。民族性が関わってくるのだろうか。そしてアートとスポーツは重なり合っているのではないかと思う。生きることの息吹を存分に感じさせてくれる。あ、また日本がメダル獲得や!(沖田)

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