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サリュ 第106号2016年11・12月号

目次

巻頭言
レポート「エンディングセミナー2016」
コラム 上田假奈代さん(詩人・詩業家)
インタビュー 弘田陽介さん(大阪総合保育大学准教授)
編集後記

冒頭文

仏は慈悲の父母、一切衆生は皆これ仏の子。『涅槃経』より

report「汀」

暮らしの中の生死に
ケアと宗教の交点を見る

人生の最期に向き合う

大蓮寺・エンディングを考える市民の会との協働により、死生観を見つめなおす場として毎年開催している「エンディングセミナー」。浄土宗平和賞受賞記念セッションとして、時期を秋に移した今回は、「もうひとつの『終のすみか』~ホームホスピスから家族・地域を考える」と題し、2016年3月に奈良県初となる「ホームホスピスみぎわ」を開設された、NPO法人みぎわ副理事長の櫻井徳恵さんにご登壇いただきました。
9月24日、会場の大蓮寺客殿が満堂となる54人の参加者を迎え、第1部では櫻井さんによる講演を行いました。「人生の最期をどこで迎えたいですか?」と切り出された櫻井さんは、昭和50年を境に病院での看取りが一般的となり、死が私たちの手の届かない場所に隠されていったこと、また、病の治療が優先されるのではなく、生の尊厳こそが大切にされなければならないことを話され、「病院や施設は最期にふさわしい場所ではない」と問題提起されました。
ホームホスピスとは、在宅での最期を望みながら叶えられない方に対して、自宅に近い環境で終末介護サービスを提供する場所を指します。その基本理念は、「本人の意志の尊重」「安心できる環境の中での暮らしの継続」「最期まで生を全うできる、悔いの残らない看取りの支援」「医療・介護の専門職やボランティアなど、多様な人々による生活の支援」「死への過程を、今を生きる人とともに歩む〈看取りの文化〉の涵養」の5つ。これらの理念に沿って柔軟なケアを行うため、あえて国の制度の枠組みに則っていないといいます。実際に写真を映しながら、日々の暮らしや看取りの様子について、具体的かつ丁寧にお話をいただきました。

信仰心がケアを支える

休憩を挟んだ第2部は、奈良県のホスピスとがん医療をすすめる会会長の浦嶋偉晃さん、大蓮寺・應典院住職の秋田光彦を交えて、櫻井さんとの対話セッションを持ちました。緩和ケアの普及に向けて活動されている浦嶋さんは、母親の介護経験から既存のシステムに疑問を持ち、オルタナティブなケアの場としてホームホスピスにも大きな関心を寄せているといいます。ケアとは「他人の世話がやける人」にしかできない行為であり、そのような利他的な人々を少しでも増やすことが自分の使命だと発言されました。
一方、秋田住職からは「家族のような関係でケアをしていると、嫌になっても逃げられない。体力的精神的にハードな現場だと察するが、どのような使命感をお持ちなのか?」と問いかけがありました。実は「みぎわ」の理事長は牧師であり、スタッフも全員クリスチャン、その名称も「憩いの水際(みぎわ)に弔われる」という一節が聖書にあることに由来しています。櫻井さんは「神様から与えられた仕事だと思っている。すべて神様にお任せしているので、バーンアウトすることはありません」と力強く応答されました。スタッフが信仰を明らかにすることで、自身の信仰に目を向ける入居者もいらっしゃるといいます。
最後に、秋田住職は「かつて仏教にも、仲間を看取る『二十五三昧会』という結社があった。今日のお話はケアの原初に立ち戻っていると思うし、『みぎわ』には日常生活をともにするという儀礼がある。〈看取りの文化〉とは、私たちが取りこぼしてきたものを拾い集める営みだと感じた」と締めくくりました。宗教が私たちの生死を支える資源となりうることに、大きな気づきを得る時間となりました。

小レポート

アートが紡ぎ出す
子どもと大人の出会い

去る8月27・28日、キッズ・ミート・アート2016を、應典院とパドマ幼稚園にて開催いたしました。今年は「みえないもの?さわれないもの?」というテーマで、共催の城南学園大阪総合保育大学・大阪城南女子短期大学の先生方をお迎えし、クラシック音楽、願いごとを込めたお地蔵さまの造形、身体を使ったワークなど、計4つのプログラムを行いました(各プログラムの報告は、應典院HP内コラムをご覧下さい)。また、両日とも設置された食事コーナーでは、美味しいカレーやお菓子が訪れた人々の元気を満たしていました。
かたちを持たないものに対する子どもの感性が大人を触発し、一方、大人の技術が子どものイメージがかたちを持つことを支援する。アートを通して子どもと大人の協働が導かれる、そんな新鮮な驚きをともにする二日間となりました。自らの声や指先を感じ、隣人の願いごとを想像する、まさに「お寺×アート×子ども」にふさわしい、健やかで濃密な時間が流れました。

小レポート

和をもって、輪をかたちづくる

去る9月8日、2017年5月に開催予定の「應典院舞台芸術大祭space×drama○(わ)」実行委員会が、歴代space×drama優秀劇団メンバーを中心に発足しました。2016年度をもってspace×dramaは一旦終了し、舞台芸術祭の次の形を模索する段階に入りましたが、これまでの総括と継承を試みるべく、今回から実行委員会形式で開催までの準備を進めてまいります。
第1回目のミーティングでは、顔合わせとコンセプトの共有、実行委員長の選出などを行いました。今後の会議では、具体的な企画案を協議しつつ、広報面での話し合いなどが行われる予定です。

小レポート

大学生が見据えた生と死

9月17・18両日、第3回大阪短編学生演劇祭が本堂ホールにて開催されました。今年は大阪だけでなく、京都の学生劇団からも参加があり、全6劇団での公演となりました。観客賞に京都で活動する劇団の大阪組「現逃劇場」が、そして優秀賞には「劇団カマセナイ」が選出され、幕を閉じました。
「劇団カマセナイ」脚本担当である小野明日香さんは、ハイスクールOMS戯曲賞で優秀賞を受賞するなどの経歴があり、大学生となった今、高校生の時に書いた作品を等身大に表現しなおした作品を上演しました。30分という限られた時間で「生と死」という主題を扱い、親友の死を受容する過程を描きました。

コラム「議」

「山口洋典前主幹の10年を辿る」第4回
入り組んだ道の途上で

現場で日々格闘する。常識や価値をずらし日常を再発見していく試みに、汗する喜びもそこにあった。そうした経験を重ねるうちに、現場もまた「社会」に密接に関わっていることに、一周回って気がつき、アートNPOである立場から文化政策という社会との関わり方に関心を持つようになった。
2003年に大阪市の新世界アーツパーク事業に参画した。大阪市と4つのアートNPOが協働し、公設民営という仕組みで現代芸術の拠点形成を担った。10年の約束だったが市の政策が変わり、5年で退去。この経験から市民とアートの溝、文化政策の担い手と仕組みの問題、そして民主主義を学ぶ大切さを強く思った。
退去のさなか、仲間たちと「大阪でアーツカウンシルをつくる会」を立ち上げた。世界の事例を学びくらくらした。大阪にアーツカウンシルができるには50年かかると思ったが、一歩をはじめなければ50年後がこないと思って、勉強会を続けた。一冊の報告書にまとめたが、現実は何も変わらない。
そして3年後、全国のアートNPOの底上げを担うアートNPOリンク事務局長・樋口貞幸さん、政策に詳しい應典院主幹・山口洋典さんと「大阪でアーツカウンシルをつくる会」を再開した。基礎的な言語や制度設計を山口さんに教わり、妄想をたくましくして、「芸術文化で自治、創造するねん」と題したフォーラムを開いた。多様な分野の方に関わってもらえることを意識した。数ヶ月後、大阪府市でアーツカウンシルが立ち上がるという知らせが入った。
2013年の設立後も、市民が文化政策に参画する意思があることを表すために「考える会」として継続し、勉強会や哲学カフェ的な場をつくってきたが、また停滞している。大阪がどう変わるかは、アーツカウンシルだけの働きではなく、さまざまな人たちが話し合い知恵をだしあい行動していくことにかかっている。それが私たちの共通の想いである。

上田假奈代(詩人・詩業家)

(プロフィール)
1969年奈良県吉野生まれ。3歳より詩作、17歳から朗読をはじめる。2001年「詩業家宣言」を行い、03年ココルームをたちあげ「表現と自律と仕事と社会」をテーマに社会と表現の関わりをさぐる。08年から西成区通称・釜ヶ崎で「インフォショップ・カフェ ココルーム」を開き、釜ヶ崎芸術大学を運営する。16年春、移転し「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」を開く。NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)代表理事。(一社)リヴオン理事。大阪市立大学都市研究プラザ研究員。

interview「底」

弘田陽介さん(大阪総合保育大学准教授)

格闘技から、子どもとアートまで。
異なる領域を渡りつづける哲学者が、
私たちに「底なし沼」を垣間見せる。

弘田陽介さんは、2013年度から主催事業として開催している「キッズ・ミート・アート」に立ち上げ当初から関わり、専門分野としては哲学者カントを中心とするドイツ教育思想、実践的身体教育論など、多岐にわたり活躍されています。来る「コモンズフェスタ2017」にも参加が決まっている弘田さんに、その半生を振り返っていただきながら、異領域をむすぶ興味深いお話を伺うことができました。
――大変幅広い専門分野をお持ちですが、どういった経緯を辿ってこられたのですか。
弘田 実は、子どもの頃からプロレスラーになりたかったんです。若いうちは「真剣勝負をしたい」と思って、中高で柔道、大学では総合格闘技をやっていました。本も好きだったのですが、学校の勉強には全然興味が持てず、結局なんとなくドイツ哲学を選んだと言わざるを得ません。そういえば、小学校2年生のとき、インフルエンザで寝込みながらテレビで見た、ドイツ人プロレスラーの異様な佇まいに惹きつけられた経験があり、ドイツに対して憧れのような感覚は持っていました。
――子どもの頃からの格闘技への想いと、大学生活の不安感、真剣勝負への憧れが入り交じって、哲学に向かっていったということでしょうか。
弘田 おそらく、そうなんでしょうね。ある名物雑誌編集長は「プロレスは、底が丸見えの底なし沼だ」と言いましたが、僕はそういう不気味な世界に惹きつけられていたと思います。昔から、目に見えている世界と、その後ろに広がっている世界を一緒にして考えていました。それが私の哲学のはじまりだったのかもしれません。
――應典院との出会いについて教えてください。
弘田 秋田光彦住職とは1998年に一度お会いしています。映画『狂い咲きサンダーロード』のプロデューサーだと聞いた時は驚きました。2012年に再びご縁があって、住職から声をかけていただいた頃、自分の子どもが幼稚園に通っていたんです。幼稚園に足を踏み入れると、うさぎさんが並ぶ「かわいいワールド」が広がっていて、子ども向け全開で嫌だなと正直感じました。ふと、カントの「何かのために使うアートは、アートではない」ということばを思い出し、子どもには不気味な底なし沼みたいな世界を見せていいのではないかという想いが芽生え、「キッズ・ミート・アート」の着想につながりました。
――弘田さんにとってアートとはどういうものでしょうか。
弘田 文学の普遍的なテーマである「悲劇」とは、自分ではコントロールできない宿命のようなもの。仏教でいうところの「生老病死」です。アートはそれを再現し、乗り越えてみることで、疑似体験する技術なのかもしれません。しかし、現代では分かりやすい表現が好まれ、自分自身が揺さぶられるようなアートは求められない傾向がありますね。
――今後、應典院や「キッズ・ミート・アート」に期待することはありますか。
弘田 お寺でこのような取り組みを行っているということが大事だと思います。難しいのは、表現者にとって、ワークショップが想定内のシミュレーションになってしまいがちであることです。アントニオ猪木は、急に試合のルールまで変えてしまうような破壊的な人でした。未来のカタルシスを用意するために動くことがない、天性の「不協和音」の人でした。表現者には「世界を持った人」として、子どもに出会ってほしいと思っています

〈編集後記〉

今年度も総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」の開催が近づいてまいりました。毎回必ず恵まれる新たな出会いと出会い直しの機会に、これも仏縁と感じ入っております。それぞれの日常を異なる視点から問いなおす、そんな場になることを念じて今日も準備を進めてまいります。南無阿弥陀仏。(秋田)
月の美しい夜が続くこの頃。茄子にお箸を刺して穴をあけたところから、十五夜お月さんを見ると目が良くなるという言い伝えを、小さい頃、祖母から聞いた。いびつな穴から見るお月さんの美しかったこと。目を閉じると、祖母の声とともに思い出す。(齋藤)
この時期、應典院では「芸術の秋」を感じ、パドマ幼稚園の運動会や遠足では「スポーツの秋」と「行楽の秋」、実家では稲刈りがあり「実りの秋」と満喫しておりますが、最近は秋を感じる時期が短く、残念に思っています。(森山)
すっかり冷え込み、寒さに震えておりますが、バスケットボールの新リーグが立ち上がったことに、内心とても熱くなっております。ずっとバスケットをしていた私。これからの運営を、一ファンとして応援していきたいと思っております。(角居)
演劇出演と子ども向け演劇ワークショップの機会がありました。出演時は「集中・瞬発・腰を据える」みたいな感じですが、ワークショップ進行では「忍耐・回転・飛び回る」という感じ。大人向けになるとまた違います。対面する事柄や風景によって、身体は自由に変容しますね。(沖田)

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