イメージ画像

11/17 いのちと出会う会 第154回「カウラ捕虜収容所からの大脱走」 を開催いたしました。

去る11月17日、いのちと出会う会 第154回「カウラ捕虜収容所からの大脱走」を開催いたしました。話題提供者に日豪文化交流協会名誉理事長の戸倉勝禮さんを迎え、カウラ捕虜収容所からの大脱走を通して築き上げた日豪の関係について語っていただきました。

旧満州国に生まれた戸倉さんは、満州国官僚であった父の転勤に伴い、生活の場所を変えながら幼少期を過ごされていました。ソ連軍の満州侵攻により、母の郷里である山口県に引揚げし、その後は日本で過ごされます。仕事の都合上海外出張が多く、様々な国で過ごされるなかで、子どもの教育のためにはシドニーで過ごすことが最適だと考え、シドニーへ移転されます。過ごしていくなかで驚いたことは、オーストラリアの人々が戦争で亡くなった他国の方々のお墓を掃除していたことです。「なぜ、他国の者のお墓を掃除するのか。」と問うと、「土に還った人間に敵味方はない。だからお墓を掃除する。」と返ってきたそうです。日本人だから、オーストラリア人だから、という考えに縛られていたことに気づきます。

日豪親善の裏には「カウラ捕虜収容所からの大脱走」が関係しています。昭和19年8月5日未明、カウラ捕虜収容所にいた1万5千人弱の日本軍捕虜の内、9百余りの捕虜が暴動を起こし、230名余りの死者と4百人余りの負傷者を出して終焉した暴動事件です。日本兵の心のなかには「生きて捕囚の辱めを受けず」との戦陣訓への葛藤があり、その葛藤が暴動を起こす契機となりました。この考えは、戦後の日豪間にも影響を与えます。「死ぬまで戦うのが軍人である」とする日本兵と、銃弾が尽きるまで戦った将兵は「名誉ある捕虜」になる、と考える白人兵の戦争観の相違が、日本軍の「捕虜蔑視」の潜在認識となり、捕虜虐待へと繋がります。このことが戦後のオーストラリア国内での「反日感情」を助長する要因となりました。ですが、燃え上がる反日感情のなか、カウラ出身の将兵たちが故郷に帰還し、「土に還った人間に敵味方はない。」との人道的な見地から埋葬地の清掃を始めたことを契機に、オーストラリア人の反日感情も少しずつ沈静化していきました。戸倉さんはシドニー以転後すぐに「日本人戦没者墓地」に初めて訪れました。そこで目にしたのは、金髪の幼女が母親とともに訪れ、小さな草花を墓前に供えている姿でした。この光景に感動し、まさに人生観が変わる経験をし、以後の日豪親交に邁進される原動力となります。

そのような心境の変化から、戸倉さんは日本とオーストラリアの親交を深めるために様々な活動をされます。88年には「日豪文化交流協会」を設立し、姉妹都市締結、各種文化、スポーツ交流、ミス・オーストラリア代表選考会等を主催されます。日本の女性は夫を大切にし、子どもをよく育てると評判になり、日豪での婚約も多くなったそうです。また、シドニー移転直後から「カウラ日本庭園」第二期工事建設の支援を開始し、二千本の「日豪親善カウラ桜並木道」建設を提案し、今日まで完成を目指し、活動を続けています。桜並木道の完成を目指す傍ら、88年10月には「カウラ桜祭り」を提案し、以後今日まで毎年開催する人気行事となりました。綺麗に咲き誇る桜の下、綺麗な着物を召した芸者さんたちが舞い、日豪間の交流がはかられております。

小さな出会い、行動から始まった日豪の親交は、今もなお活動の場を大きくしながら繋がっています。人と人とのご縁、繋ぐ場の大切さを感じる会となりました。