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サリュ 第107号2017年1・2月号

目次

巻頭言
レポート 浄土宗應典院主催・お寺MEETING vol.7「〈寺葬〉リバイバルプラン~古くて新しいお葬式のカタチ」
コラム 戒田竜治さん(満月動物園 主宰)
インタビュー 大休真紀子さん(森林浴 企画・代表)
編集後記

冒頭文

一丈の堀を越えんと思わば、一丈五尺の堀を越えんと励むべし。法然上人

report「寺」

変容する社会における
葬儀のカタチを考える

仕組みの変革に向けて

去る11月11日(金)、大蓮寺本堂にて、浄土宗應典院主催・お寺MEETING vol.7「〈寺葬〉リバイバルプラン~古くて新しいお葬式のカタチ」を開催しました。お寺の本堂でのお葬式〈寺葬〉を通して、葬儀の意義を改めて見つめなおす今回。大蓮寺・應典院住職の秋田光彦をモデレーターに、ゲストに一般社団法人お寺の未来代表理事の井出悦郎さん、龍谷大学社会学部准教授の猪瀬優理さんの二人をお迎えしました。
前半は、葬儀をめぐる現在の状況について、それぞれの視点からプレゼンテーションを行いました。まず井出さんは「お寺葬の意義と課題」と題した発表で、「(お寺が)葬儀の主導権を取り戻したい」といった理由から、寺葬への取り組みが全国的に広がっていることを示し、葬儀社をパートナーとした共創型が現実的ではないかと提言されました。また、その意義については、お寺が「生死の物語を紡いでいく場所」であると次世代に伝えることのできる取り組みであること、一方で課題として、檀信徒以外の人々と関わる新たな回路が必要であること、僧侶が語りの力を失っていることなどがあげられました。
次に秋田の発表では、NPOと連携した寺葬の構想を述べながら、時代に則して葬儀の仕組みをデザインしなおす必要性について主張しました。現代の葬儀がコスト重視で、急激にミニマム化を進める中、生前関与も含めたイニシアティブをお寺がとるべきであり、人が死に至るプロセスに並走できる僧侶が求められているといいます。全ての人がいずれ亡くなるのであれば、葬儀を通じたつながりは公共の資源になるはずと、死生観形成のための教育・啓発も含め、檀信徒の枠を越えて「死生観をベースにした地域づくり」を試みることの重要さを語りました。

葬儀が葬儀であるために

続いて、猪瀬さんの発表では、学問的な立場から葬儀の役割を確認しました。葬儀とは、物理(身体)・文化(霊魂や人格)・社会(遺された人)といった重層的な次元で、生から死への変換をもたらす「総合的変換装置」であると位置付ける猪瀬さんは、「今、変換の担い手は主に葬儀社であり、変換は自分でするというご遺族も増えている」と分析。「先祖供養」という感性が薄れる現代において、人びとの死を適切に変換するはたらきができているのか、今一度問いなおしが必要ではないかと議論を引き締めました。
休憩を挟んだ後半は登壇者によるセッションとなり、参加者からのご質問もまじえながら、総合的変換装置として葬儀が機能するためのファクターについて話し合われました。たとえば、「誰が」物語を語り、儀礼を行うのかという、僧侶の人間性の問題です。葬儀システムの変革だけでなく、いかに仏教のおしえを生きるのか、僧侶側が日常から人々に語りを届けなければ意味はないだろうと、三人の見解が一致しました。また、インターネットやポップカルチャーなどの異分野に積極的に介入しつつ、布教目的ではない公共的な言語で、社会に発信しつづけることの重要さにも言及がなされました。
井出さんによれば、すでに檀信徒が自動的に継承される時代は終わり、個人がお寺・僧侶を選択する時代に入っているといいます。死への総合的変換装置をシステムとしてどう構築するのか。あるいは、生死の物語を求める人々に対して、どのような選択肢を提示できるのか。葬儀のカタチを手がかりに、未来に深く想いを巡らせる時間となりました。

小レポート

コモンズフェスタ2017開幕
〈いのち〉を取り戻す1ヶ月

毎年恒例の総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」が、24時間トーク「如是我聞」によって12月24日に幕を開けました。今年度も様々な領域から企画委員が集まり、議論を重ねてきた結果、「〈いのち〉のエチュード――生と死をめぐる15の舞台で」と題して、社会の常識にとらわれず、日常とは異なる秩序のなかで「演じること」を試みる場としました。1月13日から行う「指紋は象のはたけ~バーチャル社会 in 應典院」が象徴しているように、ずらりと揃った15企画は、このテーマによって根底でつながっています。
年が明けた1月の会期は、参加型上演とまち歩きによって織りなされる「艶笑喜劇『道頓堀心中冥徒往来』」が7日に、その後はエッセイ漫画家の細川貂々さんをお迎えする第68回、仏教と〈いのち〉について語り合う第69回の、連続「寺子屋トーク」などを経て、29日の「クロージングトーク」までお祭りはつづきます。皆さまのお越しをお待ちしております。

小レポート

應典院舞台芸術祭を振り返る

前号でお伝えした「應典院舞台芸術大祭space×drama〇」企画の一環として、鼎談「アワーエイジ アワーステイジ」第0回を11月29日にLIVE配信しました。島原夏海さん(無名劇団)、中川真一さん(遊劇舞台二月病)、泉寛介さん(baghdad cafe’)にご出演いただき、「若手演劇人から見たspace×drama」をテーマに、これまでの思い出や「space×drama〇」への意気込みをお話しいただきました。
長年行ってきた舞台芸術祭を様々なかたちで振り返るべく、今後も配信をつづけていきます。鼎談の様子はyoutube上にアーカイブされておりますので、お時間ある際に是非ご覧ください。

小レポート

去る年と来る年の狭間で

應典院オリジナル音楽法要「自分感謝祭」が、12月22日に本堂ホールにて開催されました。この1年の懺悔と感謝をカードにご記入いただき、懺悔カードは浄梵、感謝カードは全員で分かち合いました。オルガンの音色と照明が織りなす荘厳な雰囲気の中、去りゆく1年と自分自身を供養する場となりました。
秋田光彦住職による法話の後、研修室での年忘れ交流会では、持ち寄りのお総菜やお菓子をつまみながら、参加者からもひとりずつお話いただきました。ともに時を振り返ることの貴重さを、改めて感じるひとときとなりました。

コラム「姿」

「山口洋典前主幹の10年を辿る」第5回
人を大切にしてもらった

一般的に劇場は「黒くて四角い」ものです。一般的にという表現がどこまであたるかはさておき、應典院はご存じの通り「白くて丸い」のです。そこが、空間としての應典院に興味が尽きない大きな要因です。
公演を観に行かれて「暗幕」を目にされることは多いと思います。それは「そこにはなにもない」という、演じる側と観る側の暗黙の約束事によって存在することができます。最初に暗幕を使った演出家が誰なのか存じ上げないのですが、初めて暗幕を観たお客さんは「なんだ、あの黒い布?」と思ったかもしれません。
誰かが考えたであろう「なにもない」という表現を拝借し続けている訳です。そうすると、應典院の白壁に暗幕を吊るすのにどうにも疑問がぬぐえなくなり、ある時から暗幕ではなく白幕を「なにもない」表現として吊るようになりました。
山口さんには、そんなボクたちと、どこでもやれることではなく、白くて丸くてご本尊のいらっしゃる應典院のこの空間でしか成立し得ないものは何なのかを一緒に模索していただきました。満月動物園の15周年記念パンフレットには『劇場として(だけ)ではなく表現の拠点として場づくりにあたらせていただきました』と寄稿してくださっています。
アカデミックでもないし、興行的でもないし、演劇の最先端でもないけれども、いわば「市井の演劇」の可能性について一緒に模索し続けようとされていた。空理空論ではなく大阪を拠点に活動を続ける演劇人たちと為し得る実践について、真摯に向き合ってくださった姿勢に突き動かされる10年間でした。
演劇そのものや演劇を何かに活用することよりも、演劇をやる人たち、演劇を観る人たちを大切にしていただきました。それが、應典院が単なる貸館でもなく、大阪の演劇人たちから遊離することもなく、異彩を放ち続けているひとつの大きな理由なのだろうと思います。

戒田竜治(満月動物園 主宰)

(プロフィール)
1976年、愛媛県生まれ。演出家・脚本家。大阪市立大学劇団カオス出身。劇団ダイナマイト遊劇鯛などを経て、劇団「満月動物園」を1999年に旗揚げ。正式な肩書は園長。2004年、space×drama2004優秀劇団選出。應典院寺町倶楽部専門委員(演劇担当)。次回公演はspace×dramaの集大成的演劇祭「應典院舞台芸術大祭space×drama○(わ)」に、2017年6月第2週、劇団鹿殺しの丸尾丸一郎を脚本に迎えて満月動物園として参加する。

interview「違」

大休真紀子さん(森林浴 企画・代表)

應典院にバーチャル社会が誕生!?
互いのちがいを面白がりながら、
自由な観点で生きることに誘う。

組織化しない劇団「森林浴」は、コモンズフェスタ2017参加企画として、1月13日から17日まで「指紋は象のはたけ~バーチャル社会in應典院」を開催します。この5日間、應典院がひとつの町に変貌し、そこで演劇公演をはじめとする様々なイベントが行われます。代表の大休真紀子さんにお話を伺う中から、演劇に対する独自の視点と世界観を感じることができました。
―――まずは、演劇をはじめたきっかけを教えていただけますか。
大休 子どもの頃から「自分のことばが伝わらない」と思っていました。通っていた幼稚園で、怒っていることが周りに理解されず、怒りを伝えるために火山の絵を描いたんですが、ただ褒められるだけで終わってしまったのを覚えています。それから文章や詩を書くことが好きになり、自分が書いたものを他人に読んだり演じたりしてもらうと、うまく想いが届くことに気づきました。それで演劇をやろうと思ったんです。
―――そこから活動を続けている動機は、どのようなものでしょう。
大休 実際に公演をやってみたら、観客からの賛否が極端に分かれました。すごく好きになってくれる人もいれば、アンケートに「演劇やめちまえ!」と書かれることもあった。観客が自分の好き嫌いを自由に意見していることが、私にはとても興味深かったんです。日本では、他者から判断される前に、憶測で物事を捉えて、自分の意見や行動を引っ込めてしまう人が多いと感じます。人間は、意見や行動を引っ込めると、ストレスが溜まって鬱になってしまう。私は自分が面白いと思うことをやり通したいし、そのために面白い人に出会いたいと思っています。
―――それでは、現在の大休さんにとって演劇とは何ですか。
大休 「ちがいを面白がる」ことでしょうか。人間に必ず価値観のズレが存在するように、地球上に存在する物質すべてに役割のちがいが備わっています。たとえば、鉱物は鉱物として存在する。そこを波が行き来すると、鉱物は削れる。そのように別種の要素が影響し合う状態が、演劇だと思っているんです。ぬか漬けも、演劇です。作品をつくる際は、演劇を「公演というかたち」にパッケージングしている感覚ですね。
―――「組織化しない劇団」とあるのは、どういうことでしょうか。
大休 組織化する方が合理的ですよね。でも、私には一対一で向き合う関係性が楽だったんです。個人との関係を突き詰めた結果、自然と集団になる方がいいのかなって。いま6人の劇団員がいるんですけど、数年後には劇団員全員が企画を立ち上げられて、私がいなくても成立する状態を目指しています。ちなみに「森林浴に入りたい」と言ってくる人がいても入れません。入ってほしい人を私が選んでいます。
―――ありがとうございます。最後に、コモンズフェスタに向けての抱負や、今後の展望を聞かせてください。
大休 コモンズフェスタでの公演は、楽しんでもらえるようにテーマパークみたいな仕掛けを用意したいと思っています。演劇は作り手だけのものではありません。観客が動き回りながら観る位置を自分で選び、自由な観点からバーチャル社会を遊んでもらえたらうれしい。今後は劇団の外部にも開きながら、判断される前に憶測で動いてしまう人のためのワーク、つまり「個人への演劇」をコンスタントに続けていきたいと考えています。それから、運河で自転車発電しながら公演するとか、子どもと外国人の出会う場所をつくるとか、何も使い道のないただの土地をひらくとか。たくさんありすぎますね…。

〈編集後記〉

あけましておめでとうございます。年末の應典院では、人が過去を見つめて丁寧にことばを紡ぐこと、それにただ傍で耳を傾けることの希少さを、改めて感じさせられました。今年も自らのことばを探求し、他者のことばに寄り添えるよう務めてまいります。南無阿弥陀仏。(秋田)
年末年始は、もっぱら掃除と、お正月のお節、お飾りを準備する時間。京都では「ちょろけんさん」と呼ばれる小さな裏白の葉、ゆずり葉、橙を子どもたちと作り、各お部屋やお手洗い、御仏壇などに飾ります。現代だからこそそのミニマムさが素敵なのでは、と思う新年です。(齋藤)
1月13日から17日まで開催する「指紋は象のはたけ~バーチャル社会 in 應典院」について、森林浴・大休真紀子さんと定期的に打ち合わせを行っています。「体感する演劇」を具現化するべく、スタッフとともに楽しみつつ頭をひねっています。ぜひご来場ください!(森山)
固定概念にとらわれることのない、子どもの「真っ白さ」を受け止めたとき、私のなかに新たな感情や思考が芽生えることがあります。この芽生えが驚きや発見に繋がり、私の見方を豊かにしてくれるのです。この積み重ねを経験できる今の環境に、日々感謝しています。(角居)
1月19日に開催する「演劇フライヤーと『劇札』で遊ぶ!~フライヤー供養」でコモンズフェスタの進行デビューします。役目を終えたフライヤーを持ち寄り、劇的シチュエーションが書かれた「劇札」を掛け合わせて、奇想天外なストーリーを再構築します!(沖田)

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