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5月5日、本堂ホールで「103年目の母の日」の催しを開催。

5月5日、本堂ホールで「103年目の母の日」の催しを開催。

1908年、亡き母をしのび、米国の女性が教会で白いカーネーションを配ったことが発祥とされる「母の日」。101年目にあたる2008 年より、京都の学生らを中心に、母を亡くした人たちから手紙・手記を公募し、文集・書籍の出版が行われてきました。この5月5日、その出版記念イベントが應典院で開催されました。本堂ホールに集った人々が、「もし届くなら」という思いを重ねた場に生まれた風景を紹介いたします。

この催しを主催したのは、リヴオンという団体。英語でLive onと言えば、「生きながらえる」という意味です。代表を務めているのは、應典院で隔月の土曜日に「グリーフタイム」という、悲嘆に向き合う小さな集まりを企画・運営している一人、尾角光美さんです。ご自身も大学入学の1ヶ月前、自死(自殺)でお母さんと分かれる経験を持っています。

当日は2部構成で、第1部は文集からの「朗読」と講話、そして第2部が参加者全員による詩作という創作表現ワークショップ「悲しみにつながる」が行われました。まず、52ページの冊子に掲載された、「亡き母」を想って書いた手紙を、3人の参加者が朗読しました。いずれも、書き手が朗読をしたのですが、それぞれに亡くした母の年齢は、50歳、44歳、37歳、あまりにも若いという印象を受けました。文集に記載されている死因を見れば、病死の場合や自死の場合など多様なのですが、各々が亡き母に対して「今」だから言えること、さらには年々変わる気持ち、あるいは変わらない想いを、一言一言を選びながら言葉にしていました。朗読の最後は、4月1日に第一子を生み、母となったばかりの詩人・上田假奈代さんによる「はじめてのあかちゃん 世界にであって まだ数日のあなたへ」が披露されました。

「生きながら得る」

朗読の後の講話は、秋田光彦住職が務めました。そこでは「悲しみにつながる」と題し、悲しみが絶望ではなく気づきの力であること、また、誰かに話しかけることをきっかけとして、自分に向き合うこととなり、結果として互いの関係がつながっていくと伝えられました。そして、特に應典院に訪れる人々が、どのような「弱さ」を携えているのかということを、具体的な取り組みに触れて紹介しつつ、世界に一歩を踏み出す力は、自らの思いを声にして、ありのままを表現することにある、と結ばれました。

休憩をはさんだ後には、参加者が当日持参している「大切なもの」を手がかりに、何を大切にして生きているのかをことばにする、というワークショップが行われました。死別体験を想い起こし、時にはことばに詰まる方もおられましたが、背後から阿弥陀仏立像が見つめる中、全員がそれぞれが語る人生のことばを持っていること、同時に他者が語る人生のことばを待っている、そんな場が生まれていました。そうした風景を拝見し、リヴオンという団体名に込められている「生き長らえる」という意味に加えて、今という場を「生きながら得る」ことは計り知れないということを考えたりもしました。まさに、上田さんの詩の中にあった「一生の時間のなかで あたらしいいのちにであう経験は であいなおし」を体現する場でありました。