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11月23日、いのちと出会う会の100回記念の催しを実施いたしました。

11月23日、應典院の本堂ホールにて「いのちと出会う会」の100回目となる記念講演とシンポジウムを開催いたしました。同会は、平成12年6月に産声をあげ、以来毎月1回、第3木曜日に開催して参りました。一言で会の特徴を表現するなら、生と死の連続性を見つめる学び合いの場です。生きること、老いること、病すること、そして死について、他者の語りと他者への自己語りの機会を提供しつづけてきた10年でした。

そもそも「いのちと出会う会」は、代表世話人を務める石黒大圓さんの個人的な体験が礎となっています。石黒さんは平成元年に息子さんを、その8年後にお連れ合いを病で亡くされました。死別の悲嘆に向き合いつつも、共に家族の時間を過ごすことができなくなった喪失の実感が日に日に増していったそうです。改めて「二人の人生は何だったのか」を考えたい、そうして各種の講座に参加し、枚方で「在宅ホスピスあおぞら」を主宰する南吉一先生と、「大阪生と死を考える会」の会長を務めてこられた谷荘吉先生でした。そして、息子さんがパドマ幼稚園に通われていたというご縁で、秋田光彦住職に相談を持ちかけ、住職の命名により「いのちと出会う会」が誕生しました。

100回記念特別編は、10年間かけての100回という達成を祝うために、もくまさあきさんによる口笛演奏により開会。身体を楽器として、愛燦々、川の流れのように、エーデルワイス、ゴッドファーザーのテーマなどが次々に奏でられ、さわやかな音が本堂ホールに響き渡りました。そして、尼崎で在宅医療にも取り組む長尾クリニックの長尾和宏院長の講演。続いて、長尾先生と石黒さん、さらに秋田住職を交えてのシンポジウムとなりました。

「死の壁」を前に生きる

長尾先生の講演では、「死の壁」の存在について紹介がなされました。それは、看取りの場面に立ち会う家族が最も実感することだと、長尾先生は仰います。一方で、病院での医療は終末期においても治療行為を続け、しかも遺族からの訴訟などを恐れるために「ディフェンス・メディスン」(守りの医療)を与え続けていると指摘されました。この点に対し、秋田住職は「自我の欲求として、自らの死のことだけではなく、近親者はもとより、縁のある皆さんの死に方や生き方に関心をもっていかなければならない」とことばを重ねました。あわせて、石黒さんも「他人の死を見つめるからこそ、自分がどう生きていくかに深い関心と誠実さを抱くこととなる」と、ご自身の経験から述べられました。
当日はお忙しい中ではあっても、駆けつけてくださった過去の話題提供者の方も多数おられました。そして、新聞記事で催しを知り、初めて應典院にお越しの方もお見えでした。終了後の交流会でも活発な意見交換がなされていた風景を拝見するに、100回目の題名に掲げた「いきいきと生きて、安心して最期を迎える地域とは」という呼びかけに響いた方々の出会いの場となったと確信しています。本来は高い壁の向こうにある死にどう向き合っていくか、正解のない問題を考え続ける意味を確認しました。