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1月18日・お寺MEETING Vol.2「なぜ宗教者がホームレス支援なのか」を開催

去る2月18日、應典院にてお寺MEETING第2回「なせ宗教者がホームレス支援なのか〜信仰と社会の狭間で」を開催。コモンズフェスタ2010/2011の一つとして実施されましたが、全国から熱心な参加者30名が集まった。

このシリーズは、現代仏教を社会の断面から切り取る試みで、前回の「インターネットは仏教を変えるか」に続いての開催。今回は、東京から浄土宗僧侶で、浅草界隈で路上生活者を支援する「社会慈業委員会・ひとさじの会」事務局長吉水岳彦師と、新宗教の立場から、またアジアの仏教の社会参加にも詳しい、天理大学おやさと研究所の金子昭先生の対談がなされた。モデレーターは、当山秋田光彦代表。

2011年1月18日「お寺MEETING-Vol.2」

宗教の社会性が問われる現代、教義、信仰、布教といった(これまでは)内部規範的なものと、社会、公共、市民といった開いたベクトルがどう絡み合うのか、短い時間でしたが、刺激的な議論が展開されました(詳細は、2011夏頃刊行のサリュ・スピリチュアルにて報告)。

32歳と若い吉水師だが、つくづく思ったことは、宗教には、はやり宗教者の個の人格が伴う、ということ。学や論のように客観化できない、「個」のありように圧倒された。

それは、完璧無比な宗教的人格ではなく、自らの凡夫性を社会に問い続けながら、自己の修行を重ねていく、その過程で生まれる人格の魅力だ(これは残念ながら、現代の僧侶養成システムからは生まれようにないものだ)。そのためには「(社会活動する宗教者には)私なりの矜持が必要。私の活動は、自分自身の「宗」(同じ考えを信奉する集団ではなく、その人の価値判断や行動規範の源泉となる教え)があっての行為」とした吉水師の意見に共感した。同時に、それを盾に他宗教を排除するのではなく、互いを尊重しながらどう連携できるか、超宗派、超宗教のあり方にも新しい観点が必要と感じた。

「社会貢献する宗教」は、昨年来、應典院が関心を向けてきているテーマだが、それ以上にスリリングなのは、「社会貢献することによって、自らの『宗』に目覚めた、僧侶個人の生き直し」だ。その覚醒は、旧来の教団システムのありかたを凄烈に問い直していくことだろう。