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サリュ 第62号2009年7・8月号

目次

巻頭言
レポート「シンポジウム「働く意味・仕事の未来」」
コラム 花村周寛さん(風景デザイナー)
インタビュー 福本年雄さん(ウィングフィールド代表)
編集後記

巻頭言

いまやっていることの結果を将来に期待したら、いまという時間を殺してしまうことになる。

玄侑宗久「自燈明̶捨てる自分、活かす自分」より

Report「働」
若者の生きづらさを見つめるシンポ「働く意味・仕事の未来」を開催

生きづらさの狭間で

6月13日、應典院本堂ホールにてシンポジウム「働く意味・仕事の未来」を開催しました。既に應典院寺町倶楽部では、自分ならではの生き方を考える機会を多数設けてています。しかし特に昨年半ば頃より、派遣切り、パワハラ、アカハラをはじめ、働くほどに貧しくなっていく「ワーキングプア」など、働くことや仕事そのものが置かれている状況が深刻化しています。そこで、特に若者の創造的な表現活動の拠点として人々に活かされてきた應典院にて、若者たちが使い捨てられ続けることのないよう、若者が当事者として語る場を設けました。

シンポジウムは二部構成でした。第一部では、「就労支援カフェ」などにも取り組んでいる上田假奈代さんを聞き手に、「働け」と言わないワーキングマガジン『フリーターズフリー』(発売:人文書院)を刊行し、今回のシンポジウムの共催団体として企画段階から協力をいただいた、有限責任事業組合フリーターズフリーの取り組みと、大学構内での座り込みで雇い止めに対抗したことにより各方面から注目を集めた京都大学時間雇用職員組合「Union Extasy」の活動について、事例の紹をいただきました。第二部では、第一部で活動報告を行った計5名がパネリストとなり、それぞれの生きづらさや活動を通じてどのような関わりを取り結んできているか等、第一部での組織活動とは別の視点から議論を重ねました。フリーターズフリーからは、野宿者支援に取り組む生田 武志さん、障害者施設でヘルパーとして勤務している杉田俊介さん、大学の非常勤講師等を務めている大澤信亮さんの3人が、そしてUnionExtasyからは井上昌哉さんと小川恭平さんに、それぞれ登壇いただきました。

生々しい時代の語り

今回のシンポジウムで印象的だったのは、特に第二部の後半で、会場から「当事者」の方々が次々と発言されたことでした。それもパネリストの皆さんより、雑誌を通じて現代社会を支えるシステムに問題提起をしつつも、その問題提起をしているシステム(例えば、流通の仕組み)に乗っていること、また、従来の労働運動や組合活動と比較すれば、軽薄であると受け止められること、それらの前提の中でどのように働き、仕事について捉えているのか、「私の言葉」で語られためでしょう。例えば、自分が発達障害であることがパネリストから語られた後には、「語ること、人間関係を結ぶことが困難になってしまうとき、自分を失ってしまうの若者の生きづらさを見つめるシンポ「働く意味・仕事の未来」を開催ではないかと、怖くなるときがある」と参加者から言葉が重ねられました。このように、自らが生きづらさを引き受けて、その解決の糸口を探ることを吐露する場が生まれたことに、大きな意義があったと認識しています。

シンポジウムの中盤で、パネリストから「連帯は簡単だが、団結は難しい」という発言が出ました。第一部の聞き手を務めていただいた上田さんは、その日のブログでこの発言に触れ、「いま若者たち」が「代替え可能な仕事を余儀なくされ」「仕事をめぐる構造がかわっている」中、語ることに慣れてはいない若者が「なまなましく時代を語っている」と綴っています。日本では就職氷河期に遭
遇した世代を「ロストジェネレーション」(失われた世代)と呼びますが、この言葉は歴史を紐解けば1920年代に、米国の作家、ヘミングウェイに対して投げかけられたもののようです。言葉は時代の状況や構造に新たな意味を生み出すのですが、単に言葉で整理するだけではなく、生きていることの意味を確認するために集い、語り合うことも大事だ、そんな感覚に浸った一日でした。

小レポート

うつぼギャラリーめぐり」開催~「大阪のアートを知り尽くすの会」オフ企画~

築港ARCでは昨年度より大阪のアートガイドマップを作成するイベント「大阪のアートを知り尽くすの会」を開催してきました。そこで、今年度は実際に作成したマップをもって現地にいこう!というオフ企画を立案。6種類のジャンルの中から、「大阪のアートを知り尽くすの会」参加者の方々から最も要望の高かった「ギャラリー編」を取り上げ、エリアとしては靱公園周辺をピックアップしました。最近この界隈は現代アートのギャラリーがオーナー同士でイベントなどを実施し、まちの存在感が高まってきています。

今回の催しでは、企画ができあがっていくプロセスを重視し、ルート決定や、オーナー等へのインタビュー、その他準備作業等、公募したサポートボランティアに伴走していただき企画を練り上げました。全6回のミーティングを重ねて迎えた本番、6月13日(土)は、一般参加20名にボランティアスタッフ11名、そこに築港ARCスタッフを加えた総勢37名が、3つのグループに分かれ、案内の旗をなびかせてまちを歩きました。さしずめギャラリーめぐり祭りとなった当日の靱公園周辺は、オーナーさんや作家さんとおしゃべりしながら鑑賞できるという、美術館とは異なるギャラリーならではの醍醐味を知り、大阪の文化的な魅力を再発見する、それらの機会となりました。普段は現代アートやギャラリーとはなじみのない方にとって、気軽にアートやアーティストに触れていく背中を押す、スイッチが入る、そんな企画となりました。

小レポート

高校生・地域対象の文化鑑賞会を企画・製作

去る6月18日、奈良の「桜井市民会館」にて、関西中央高校の文化鑑賞会演劇公演「travel!travel!」を、應典院寺町倶楽部の企画・製作事業として上演しました。 また、前日の準備時間には、普段なかなか見ることのできない舞台裏や、実際の舞台を体験するバックヤードツアーを企画し、日本初となる同校の「表現・情報コース」のみなさんに見学いただきました。高校生の好奇心はとどまることはなく、休憩の合間には、役者との会話が弾んでいる姿もみられるほど。

上演当日は、約300名の生徒に加え、先生・保護者・地域の方々にも来場いただき、400名以上の大盛会。 普段の伝統芸能などの鑑賞会とは勝手が違うのか、最初は戸惑っていた様子でしたが、物語が進むにつれて集中していく姿が印象的でした。 堅苦しさや、難解なイメージの演劇だけでなく、楽しむための演劇の一面を提供できたのではないかと思います。

小レポート

夏のミナミは「演劇の甲子園」?

夏の應典院の風物詩の一つとなっているのが大阪高校演劇祭「Highschool Play Festiaval(HPF)」です。今年も精華小劇場とウィングフィールドで開催されます。例年HPFでは、梅雨入りの時期に、HPF本番当日の基本舞台と客席をスタッフたちが設営し、会場下見見学会が開催されています。元気いっぱいの声であいさつをする高校生たちを、秋田住職が本堂で迎え入れます。その後、自由に舞台の間口、奥行きを測り、スタッフの注意事項を真剣にメモを取り、本番への構想をふくらませます。高校生の小さな疑問は後に大きな不安につながるため、スタッフは積極的に寄せられる
質問に丁寧に答えていました。應典院での公演期間は7月18日~27日。いずれも500円のカンパ制です。夏の暑い時期に10校の生徒たちによる熱いお芝居を観てみませんか?

コラム「景」

心地よいカオス原っぱの創造力

小さいころ原っぱで遊ぶのが好きだった。

何があるわけでもなく、ただ建設が保留されただけの空地。でもそこでは必ず誰かに出会うことができた。ともだちはもちろん、上級生のグループや散歩をする主婦、夕暮れには会社帰りのおじさんたちが通りかかり、寝ているホームレスやうろつく犬もいる。そんなそれぞれの勝手気ままな振る舞いが一つの場所に溶け合い、常に出来事に満ちた原っぱは、どこまでが誰の何のための場所なのか切り分けられない一つの宇宙だった。その様相は混沌とした風景だったかもしれないが、そんな原っぱが生み出すカオスは心地よく、それに刺激されて作る僕らの遊びには無限の創造力があった。ただ自ら遊びを見いだせない者には、何もない原っぱはやはりただの空地でしかない。そこは遊園地やテレビゲームのように誰かが楽しみをくれるわけではないからだ。大人になり、奇しくもランドスケーデザインという原っぱを作る仕事についた時に再びそのことを意識させられた。

原っぱは街の空白だ。

何かが生まれる過程で一時的に意味に穴があいた場所だ。そして空いた意味の穴だからこそ、人々が思い思いの意味を詰め込むことが許されるのだ。だから原っぱは様々な意味を同居させる心地よいカオスとして新しい価値を生む孵化器になっている。

そんな場所が意図的に生み出せないかと、近頃実験的なスペースを作っているのだが、そこを形容する言葉がまだ今の価値観の中で見つけられない。もしこの孵化器にふさわしい名前がつけられたならば、「意味の穴」は「穴という意味」として、次の価値につながるはずだ。

そして実は現代のアートの状況も、経済原理で動く街の中に混沌とした原っぱを作る行為とどこか似ていないか。アートも原っぱと同じように、その意味や価値が誰かに与えられるのではなく、自分が見いだすかどうかだからだ。そう考えるとアーティストは心の原っぱを作っているのかもしれない。

花村 周寛(風景デザイナー)
1976年生まれ。大阪府立大学生命科学研究科修了。建築やランドスケープなどの環境デザインをベースにした「風景」というテーマで領域横断的に人々のコミュニケーションデザインに取り組む。大阪市大付属病院で行ったインスタレーションなどのアーティスト活動も行うかたわら、映画や舞台などで役者もつとめる。2005年より大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教員。2006年度より船場アートカフェのディレクター。2008年秋より緑橋に実験スペース“♭”(フラット)を立ち上げ、そこを拠点に様々な表現活動を行う。自身が主演及び美術をつとめた舞台「ルルドの森」(バンタムクラスステージ)はここを拠点に制作され、その他にも短編映画企画やカフェ企画も進行中である。

ブログ http://innerscape.exblog.jp

Interview「線」
福本 年雄さん (ウイングフィールド代表)

5枚の半券を集めれば、次に見る芝居が無料になる。関西小演劇の活性化のために、お菓子の「おまけ」のような楽しみ方を、点(劇場)を線でつなぐことで生み出した。

民間でも公立でも劇場は公共の場だと常々感じています。そもそも、ある場所に人が集まるということは、そこに一般の人が入っていいという開放感が生まれ、そこに行きたい人たちどうしの縁が深まっているのでしょう。ましてやお寺や教会などは、歴史的・宗教的な意味を持つ空間として、人間の持つ喜び、痛み、悲しみなどを表現する大事な場ですから、そこで表現者とお客さんがその時間を共有することに大きな意味があると思っています。実際、小演劇等に本堂が開放されている應典院は「應典院寺町倶楽部」によって演劇以外にもいろいろ場が生まれていますが、今の時代にこそ、そうして話し合ったり、芝居ができる場所は大事な働きをしていると考えています。

と言うのも、去年の秋にin↓dependenttheatreの相内さんと対談する機会がありまして、「恵美須町と長堀橋やから、何か一緒にやろうか」、「同じ堺筋線やからミナミにある劇場が集まって何かやりたい」と、人が集まる場所が集積しているということは大事なことではないか、と実感するようになったんです。実際、ミナミから範囲を広げてみると、城東区には空き倉庫を小劇場として改装した「S-pace」や、伊丹市の小劇場演劇に積極的な公立文化施設の「AI・HALL」など、性格の異なる劇場があります。それぞれの劇場に訪問して、それぞれの劇場が取り組んでいることを広く知っ
てもらい、より多くの方に劇場へと足を運んでいただく仕掛けがつくることができないかと声を掛けていきました。それが今回、シアトリカル應典院にもご参加いただいた「むりやり堺筋線演劇祭」という形になっていったんです。

今、経済情勢が厳しく、劇場が相次いで閉鎖していることもあって、関西小劇場は元気が無いと言われています。確かに、80年から90年代にかけて賑わった「近鉄小劇場」や「OMS」など、中模・
大規模の拠点的な劇場はありませんが、今ある劇場のプロデューサーどうしが互いに知恵を絞り、「ある種のインパクトはあるよ」「大阪の劇場は元気ですよ」とニュースのネタを生み出すことで、
「自分たちで元気にやってること」はもちろん、「経営が危ないと言われていること」にもスポットがあたれば、演劇界そのものに目が向けられると考えたんです。

好きな者どうしなら自然に集まることができます。それで今、よりよい未来のために各劇場が仕事を分担し、社会実験をしながら演劇祭を創っています。演劇祭専用のホームページなどでも、各劇場の個性を感じていただけるでしょう。

こうして劇場どうしの広域での連携という試みを通じて改めて思うのは、演劇人にも自立のためにチャレンジを重ねていって欲しいということです。やっぱり演劇というのはビジネスにはなりにくい世界ですからね。それでも、表現をあきらめないという気持ちや夢を捨てないでチャレンジする気持ちを忘れずに、外に向かってアピールして欲しい。ただ、その際には劇場側が表現者の情熱を受け止めるために、劇場どうしが情報交換を重ねながら、お客さんに「良い時間を過ごせたな」と思ってい
ただける場づくりに取り組んで行かなければなりません。比較的狭い範囲にある「まちの劇場」が一丸となって、劇団がチャレンジできる環境を整えることの大事さを自覚し、関西だからこそ成し得る連携のかたちを今後も模索していきたいですね。

編集後記〈アトセツ〉

法人格は持たないものの、当会は会員制の組織だ。多くのNPOがそうであるように、6月には会員の方々に決算や事業の報告と予算や事業の説明を行う機会を設けた。当会では、その場を「会員のつどい」と呼んでいる。日頃の物心両面での支援はもとより、そうした会議に参加して頂ける事も運営する側の支えとなり、喜びである。

今回の会員のつどいでは、この間の事業がアートに「傾斜」しているとのご指摘をいただいた。確かに、築港ARCの開設以来、委託事業収入は会費収入の数倍となっている。また、担っている事業
は「現代芸術創造事業」だ。ゆえに、事業の分野も自ずと文化・芸術の比率が高くなる。

組織を管理・運営する立場としては、「傾斜」ではなく「旋回」と捉えていただきたい、そう願っている。現代アートへと斜めに傾いているのではなく、そちらの方向に翼を拡げている、という具合だ。とはいえ、事務局長以下、現在のスタッフはこの5年ほどの期間しか事業を担えていない。20世紀の後半から、お寺を拠点に活動してきた組織に対して愛着と期待を抱く方々がおられることに、われわれは自覚的でなければならないと、今回ご指摘を頂き、改めて実感した。

ことばが先行するのだが、当会の使命は、少子高齢時代に人々の死生観を豊かにすること、と考えている。この秋には仏教講座を始める予定だ。いかに、かけがえのない〈いのち〉を大切にする文化を創造するか。この夏は、その手がかりを求め、アートへと翼を拡げていこう。(編)

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