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サリュ 第65号2010年1・2月号

目次

巻頭言
レポート「アートNPOミックスin大阪2009」
コラム 中西美穂さん(美術家)
インタビュー 二葉智代さん(あそびまち社パートナー/ミニ★大阪代表)
編集後記

巻頭言

人と人とのつながりのなかで生きているんだ、そのことを感じることができるだけで人は変わります。

大下大圓
「いい加減に生きる」より

Report「混」
人が集まりNPOができる

11月22日、弁天町市民学習センターにて「アートNPOミックス in 大阪 2009」が開催されました。関西の特色ある非営利文化団体に関わる9組の活動紹介を通じて、各団体間のネットワークを育み、市民がアートNPO活動について学ぶ機会となるフォーラムです。

1部は関西の特色あるエリアで活動する6組の若手をお招きしました。まずは、〝まち〟と〝アート〟を等価に見せることにこだわった路地街での展覧会「からほりまちアート」の梅山晃佑さん。高速道路建設工事が進む京都市立芸術大学の周辺エリアにおける「大枝アートプロジェクト」のひろゆりかさん。大阪の日本橋にて日替わり店主制のスペース「アトリエ輪音」やNPO法人「アート座」として若手の絵描きたちによるまちを舞台にしたパフォーマンス等のプロジェクトを展開する「輪音」の田中冬一郎さん、この3人によるセッション。「それぞれの専門性を活かす」「変化し続ける風景をアートでつなぐ」「事務局は無理をしない、作家には無理をさせない」など、運営上の工夫が語られました。続く3組では、「高野山Happy Maker」のはだ忍さんと内海彰子さんから、観光地ならではの地域資源とアートの関係性について、「AIR大阪」の猪股春香さんから大阪の造船街・北加賀屋でのアーティストの滞在制作施設の事例を、最後は大阪の靱本町で活動する「gallery月夜と少年」の吉田航さんから靭エリアのギャラリーをイベントマップとしてネットワークする「Utsubo ArtRally」の事例を紹介いただきました。

NPOが集まれば何ができる!?

2部はメディア、セクシャルマイノリティ、国際協力といった様々な分野で長年活動する方々3組をお呼びしました。「関西クイア映画祭」のひびのまことさんは、自身がバイセクシャルであることを知らせた上で、セクシャルマイノリティが置かれている状況が困難なこと、そのため安心して交流できる場を作る必要があること、そしてそれらの切実さが映画という表現を必要としたことが丁寧に語られました。ゆえに、「優れた作品はすぐに海外の映画祭でも上映される」とのことです。続いて、「記録と表現とメディアのための組織(remo)」の甲斐賢治さんからは、日常生活の中で映像を文房具のように使いこなす必要性が訴えられ、紹介された事例はどれも、メディアとは人々を分断するのではなく横に繋げるものであることを示す好例でした。そして、西日本最大規模の国際協力のためのお祭り「ワンワールドフェスティバル」事務局の河合将生さんからは、国際協力の支援者の裾野を広げるためには、団体同士の繋がりを作ることはもとより、場に参加した個々人が自分なら何ができるかを考え、実行に移すきっかけを作ることを重視してきたと、活動の経過が語られました。

3部のディスカッションでは、1部のゲストから2部のゲストへのコメントの後、会場へとマイクが回されました。一問一答式ではなく全体での討論が進む中、「行政×NPOのパートナーシップの可能性」が主要な論点となりました。田中さんや吉田さんから「行政に活動の評価を委ねることが嫌」「行政の財政自体が破綻に向かう今、NPOの自立が当然」といった返答がなされました。それに対し甲斐さんは、「市民の働いた税金で行政が成り立っていることを考えると、そのお金の使い道を決定するプロセスに、僕らは積極的に関わっていく必要がある」と述べました。このように役割、権利、義務、多様な観点で議論が深まりました。

約5時間に渡る本フォーラムの詳細は、新春発行予定の報告書に所収します。当会とNPO大阪アーツアポリアとが協働で編集中です。

小レポート

「生気」に満ちた人と場の痕跡を編集

このたび、本誌「サリュ」の姉妹紙として「サリュ・スピリチュアル」が刊行されることになりました。当面、應典院での設置と、ウェブサイトでのダウンロードによる配布を行っていく予定です。
本誌「サリュ」は、2008年度より現在の様な新聞形式を採っています。しかし、1997年4月の應典院再建段階で産声を上げて以来、各々デザインと判型を変えながらも、一貫して冊子形式で編集・発行されてきました。この間、発行頻度がとデザイン性は高まったものの、まちと呼吸し、時代の価値を発信し続けてきた活字文化を再興する必要があるのではないか、という議論が内部で起こりました。

新規発行の「サリュ・スピリチュアル」は、その名のとおり、精神性豊かに、生気に満ちた人々がいかに應典院に集って多様な場を創造する担い手となっているのか、あるいは、應典院のネットワークの中で多彩な活動を展開しているのかを紹介する読み物です。当面、年2回の刊行を予定しています。ご期待ください。

小レポート

OMSやAAFなど、戯曲賞を相次いで受賞!突劇金魚が應典院にて凱旋公演

應典院舞台芸術祭space×dramaにて2007には優秀劇団に選ばれ、翌年2008には協働プロデュース公演を行った「突劇金魚」。この間、着実に力をつけ、外部からの高い評価を得ながら、独自の価値観を独特な切り口でお客さんを魅了し続けています。去る11月25日から29日には、應典院バックアッププロジェクト「space→arena」にて「ビリビリHAPPY」を公演。悩み、考え、前向きに行動して行く主人公が印象的な作品でした。来年はspace×drama 2010 特別招致枠で参加。更なる創意工夫で、より高い創作に励んでいかれることを願っています。

小レポート

築港エリアにて「大阪あそ歩」!

10月31日に築港・天保山エリアにて「大阪あそ歩」が開催されました。これは、(財)大阪観光コンベンション協会が大阪市内全域にわたり推進するコミュニティツーリズム企画です。築港ARCは、サントリーミュージアム天保山や地元住民の方々と共に、独自のツアーコースを選定しました。テーマはずばり「アートと近代建築」。

定員を超える盛況ぶりで終えた今回は、地元の銭湯、築港温泉さんやアートスペース CASOさんなど様々な方にお世話になりました。今後は渡船を使ったコースなどを考案予定です。

コラム「継」
ある雑感アートNPOの可能性の引き継がれ方について

「アートNPO」は、アートにかかわる非営利組織。愛好者による趣味的なもの、国際シーンに通じる本格的なもの、社会活動にアートを通して関るもの等、内容も規模もさまざま。共通点は、ピープルパワーで“アート”の“現場”を創造しているところだ。

1998年の特定非営利活動促進法の施行を受け、アートNPOを自覚する活動が全国各地生まれた。大阪では2005年「アートNPOコンソーシアム」、2007年「全国アートNPOフォーラムinフェスゲ」と、複数のNPOが連携する動きがある中、2006年8月に「NPO等による芸術系NPO支援・育成事業(主催:大阪市)」が始まった。その一環として2007年3月、2008年3月、2008年7月の3回にわたり、NPO大阪アーツアポリアが、應典院寺町倶楽部の協力のもと、アートNPOに関するフォーラムを企画。この三回をまとめ、なんらかの形で次に引き継がれることを期待しつつ、私は「アートNPOミックスin大阪2009」の企画をコーディネーターの一人として担当した。

関西圏のみならず東京や岡山のアートやNPO関係者や、学生、アーティストに混じって、地元港区で、日系ブラジル人コミュニティづくりに関わる50代の女性も参加していた。終了後にわかったことだが、彼女は日本語が堪能ではない。それにもかかわらず、彼女は最初から最後までフォーラムを熱心に聞いていた。「何故参加したのか?」を問うと、「失業者が増え、生活に困る家族が目立ち始めたコミュニティを元気づけるため、コンサートなどの交流企画に力を入れている。今後は、自分たちだけに留まらない広がりある活動にしていきたい。そのヒントを得る為に今回は参加した」とのこと。交流会まで残ってくれた彼女は何らかのヒントを得たのだろうか。

「アートNPO」と呼ばれる動きはじまってから10年ちょっと。今の動きが、いわゆる“若い”世代に引き継がれるだけではなく、アートともともと関わりがない活動にも、引き継がれていくのだろうなあと、予感している。

中西 美穂(美術家)
1968年大阪生まれ、京都精華大学美術学部卒業。NPO大阪アーツアポリア代表理事、日本アートマネジメント学会会員。2002年の應典院コモンズフェスタ「対話のレッスン」にて展覧会「by your side(アーティスト:井上廣子、田尻麻里子)」のキュレーション担当。アートプロジェクトのディレクション&マネジメントを生業とする。主なプロジェクトに「アーティスト@夏休みの病院(2004-2008、大阪市立大学医学部附属病院)「コミカル&シニカル 韓国と日本の現代写真(2007-8年、大阪府立ドーンセンター、韓国パジュブックシティ)」「アートによる能案内(2007~、山本能楽堂)」。国際交流基金平成19年度知的フェローシップ にてフィリピンの恊働型芸術事業調査。

Interview「子」

二葉 智代さん (あそびのまち社パートナー/ミニ★大阪代表)
「私もこどもたちといっしょに成長しています」と、プロジェクトの代表ながら、「私は飾り代表」と語り、こどもの声に耳を傾けるおとなの姿を求め続けている。

コモンズフェスタの参加企画「ミニ★シティであそぼう!」にて、こどもたちのパートナー役を務める二葉智代さん。児童館の現場を経た後、piaNPOの築港ARC隣「子ども情報研究センター」でこどもの声を聴く大切さについて伝える活動に取り組んだ。現在も同センターで活動しつつ、堺市の中高生たちが企画・運営をして自分たちのまちをひらく「ミニ★大阪」の代表として、こどもたちと共に活動する。

大学では児童文学を学んだ。「もの書きになるにはこどものことを知らねば」と思い、障がいのあるこどもの遊びのサークル、チルドレンズミュージアム、プレイパークなど、こどもの現場に入っていったが、こどもを支えるおとなたちの様々な「想い」「存在の仕方」に心をうたれた。そこで、教員や保育士の資格に頼ることなく、〝素人〟を売りにと、府立の児童館に飛び込んだ。「活動を続ける中で、目の前のこどもとどうつながるかを常に感じ、考えている姿勢がとても大事なことだと、恩師や保護者、そしてこどもたちから手紙を頂き、自信につながりました」と当時を振り返る。そして、およそ10年間、乳幼児から小中高学年まで、幅広い層のこどもに向けた講座やワークショップを企画してきた。

「ただ、初めて考えた企画は実現できなかったんです。『あそびの達人講座』と名付け、地域のこどもが先生となって面白い遊びのことを教えたり、遊び場にはどんなおとながいて欲しいか等、生の声を集めるというものでした。しかし、上司から『今の日本には、こどもの声を尊重でき、支える人はいない』と言われ、断念。ところが、このことがきっかけとなって、自らがこどもたちを尊重できるおとなになっていこうと、興味深い活動を行っている方たちと出会っていくことにしました。」

そして、人との出会いを重ねる中で、こどもたちによってひらく仮説都市「ミニ・ミュンヘン」のことを知った。思い描いていたことに近い企画が、既にドイツでは20年以上にわたって継続的に開催されていることに、強い憧れを持った。そのため、児童館退職前の最後の企画として、ともに時間を過ごしてきたボランティアやこどもたちと「ミニ★大阪」を実施した。すると実施後、「こどものまちを毎年ひらきたい」と、こどもから声が挙がり、継続的な取り組みが行われることになったという。よって、退職した現在でも「ミニ★大阪」の運営にパートナーとして関わっている。
「とあるシンポジウムで『こどもの声を聞かないともったいないですよ。こどもは大人のパートナーにちゃんとなれますよ』と発言したところ、予想以上に『それってすごく大切』という具合に、多くの方が頷いてくださいました。そのとき、これまで自分が自然にやってきたことの重さを実感しましたね。」

今回、「U35の実力」と題したコモンズフェスタで開催される「ミニ★シティ」。既に11月から募集をしている「まちのしかけ人」たちが、12月から4回のミーティングを重ねている。「まちの法律や、お金のしくみなど、まちに必要なものを、こどもの声を大事にして決めています。日本で今、色々なこどものまちが生まれているけれど、まったく今まで見たことのないまちが出来そうな予感がして、ワクワクしています。新しく出会う方たちとのコラボレーションで、こどもたちの創造性が湧いてくるまちになればと考えています」と二葉さん。果たして、当日はどんな空間と時間が生み出されるのか、ぜひ多くの方にご来場の上、体感いただきたい。

編集後記〈アトセツ〉

年の瀬の忙しい中、インドに行った。アジア社会心理学会の出席のためだ。事例に2008年3月の「好奇心星人の挑戦~森木忠相写真展」を取り上げた。供養のために誰かを思い起こす「協働想起」の際に、互恵と内省の共同体が生まれると発表した。

目下コモンズフェスタ準備中ゆえ、スタッフ等には迷惑をかけた。本文でも触れたとおり、本誌の姉妹紙として「サリュ・スピリチュアル」刊行の段取りも進んでいた。そんな中での初インドの旅では、スピリチュアリティに接近した。ただ、例えばニューデリーの市街で我々日本人に寄ってくる人々が醸し出していた雰囲気に思いを馳せれば、麗らかそうなカタカナ語ではなく、「生気」などの語を充てるのが妥当だろう。

年明け早々から18の企画が続く。震災15年にテーマ「U35の実力」を掲げたのは、当時二十歳前後の若者たちが、この時間をどう生きてきたかを明らかにしたいためでもある。特に震災ボランティアたちは多くの死に直面し、他者の喪失を引き受け生きていくことが必然とされた。今回は、その際に自ずと生まれる多彩な物語に着目したいとの企図がある。

副題の「社会」を「編集」という表現も抽象的だ。しかし、震災世代の若者たちは、世直しの仕組みと人助けの仕掛けを巧みにつくり、世の中に根付かせてきていないか。それは生きる意味を愚直に追究した結実ではないか。こうしたことを改めて考えつつ、生きるために必死に呼びかけてきた声を無視し帰国した私を痛ましく思う。(編)

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