イメージ画像

サリュ 第84号2013年3・4月号

目次

巻頭言
レポート「コモンズフェスタ2012」
コラム 遠藤雅彦さん(関西県外避難者の会福島フォーラム代表)
インタビュー 戒田竜治さん(満月動物園園長・演出家)
編集後記

巻頭言

全世界に対して無量の慈しみの意を起すべし。上に下にまた横に、障礙なく怨恨なく敵意なき慈しみを行なうべし。

「スッタニパータ」

Report「越」
現代社会を出題範囲とした「とんち問答」の15日

イベント寺院の原点回帰

「イベント寺院」とも呼ばれる應典院では、年間およそ100程の催しが開催されます。その中でも、應典院寺町倶楽部が集中的に企画し、実施する事業が「コモンズフェスタ」です。應典院が再建した翌年の1998年以来、その年その年のテーマを掲げ、事業の構成や形態も多彩に展開されてきました。ただ、今年度は特に多様さが際立っていました。

昨年度は東日本大震災から1年の3月11日を含めた会期としたために、やや変則的な開催となりましたが、今年度は文字通りに原点回帰が図られることになりました。それは開催当初の実行委員会形式を導入したことに象徴されます。これまで、個々の事業やテーマなどは事務局スタッフによって検討され決定してきたのですが、昨年度の開催を経て、改めてお寺という場を開くことの意味を追求していこうと考えたのです。そもそもコモンズとは「共有地」という意味ですが、各々が大切にしているものを持ち寄り、気付かないうちに大切にできているものを改めて大事にしていこうという願いも込めました。

8月6日の第1回目の企画会議の際には、1月10日から15日間にわたって、このような場が生まれるとは、誰にも見当がついていなかったことでしょう。しかし8月28日、9月25日と議論を重ね、10月11日の会議で、個々の企画から「境界線を超えろ!~自と他を繋ぐ時代(とき)~」と、統一テーマの原案が定まりました。その後、初めてお願いをするデザイナーの方とチラシのデザインのための対話を重ねたことで、改めて企画の全体像についても問い直しを図ることができたことも、企画群の充実をもたらした一因と言えるでしょう。結果として「とんちで越境!」を主題に、そして副題が「自他を結び、過去と未来をつなぐ問題集」となりました。個々の企画については、應典院のホームページの「コラム」にて開催報告を書かせていただいておりますので、以下では事業の全体像を総括することにします。

物理と心理、二つの距離

会期全般にわたって取り上げられたのは「見えない被害」である放射線の問題でした。オープニングは写真家の冨田きよむさんをお招きし、ご自身が撮影された「あの日」と「今」、そして「チェルノブイリ」と「福島」との比較を通して、この時代をどう生き抜いていくのかを考えることになりました。そして会期前半には1階のウオールギャラリーにて冨田さんの写真展も開催させていただきました。また、会期の後半には「生と死を考える映画ウィーク」として、東日本大震災を経て、どのような仕事や暮らしを送るのか、生き方と死に方を見つめる機会を設けました。

会期全般にわたって2階の「気づきの広場」では「輪廻転生」を意味する「samsaara」という前谷康太郎さんの映像作品が展示されました。こうした展示の「帯」のなかに、演劇、トーク、ワークショップなど19の企画が織り込まれたのです。それらを通じて、時間や距離といった物理的な制約を超え、他者に思いを馳せることのできる「共有地」が生み出されたか、まだ確信は持てません。しかし、集った方々が「問い」を立て、解き始める契機が生み出せたことを期待しています。

小レポート

想いを詩にする

寺町での一時 去る2月13日、マイルドHOPEゾーン協議会主催の「オープン台地 in Osaka vol.3」参加プログラムとして、「詩の学校~上町台地と寺町編~」が開催されました。詩の学校は2001年から應典院で継続されている詩作と朗読の会ですが、今回初めて大蓮寺の本堂を会場に実施しました。

前半の、秋田光彦住職と詩の学校を主催されている詩人の上田假奈代さんとの対談では、下寺町の歴史や仏教の死生観を語る中で、参加者の方から投げかけられた「浄土は『魂のふるさと』」というフレーズに一同共感する場面がありました。後半には、参加者それぞれがペアになって対話を重ねながら、少しずつ言葉が紡ぎだされていきました。

今回朗読された詩は、3月11日の東日本大震災物故者供養の法要の中でお焚き上げされます。震災から2年目を迎えるにあたって、ここ大阪の寺町に再度、様々な想いが集まります。

小レポート

歴史を学び、文化を表現

應典院では、2006年10月に「寺子屋トーク」にて内田樹さんをお招きしたのがご縁で、神戸女学院大学でアート・マネジメントを学ぶ皆さんが演習する機会を提供してきております。5回目となる今回の実践的な学びの場では、2010年3月まで應典院寺町倶楽部により展開してきた築港ARCプロジェクトのチーフディレクターのアサダワタルさんの指導のもと、「キャラクターと大阪」がテーマとなりました。

まずは旭堂南陽さんが大阪の歴史を講談で紐解きました。後半は南陵さんも交えて、まちの魅力を表現するワークショップとなりました。

小レポート

宗教をみつめなおす創造の場

6回目となる「生と死の共育ワークショップ」が去る1月26・27日、大蓮寺・應典院を会場に開催されました。宗教のテーマを真正面から取

り上げ、寝食をともにして語りあうこのシリーズ、今回は「何のために宗教はあるのか?」を主題に熱心な議論を交わしました。

ゲストには、社会福祉法人イエス団空の鳥幼
児園・日本基督教団牧師の平田義さん、大蓮寺秋田光彦住職、ファシリテーターはおなじみの青木将幸さんと、川中大輔さんが勤め、全国から集まった5人の若者たちとともに、市民の感覚から宗教をみつめなおす場となりました。

コラム「住」

故郷「ヒサイチ」との境界

この度のコモンズフェスタ2013では、企画委員として携わらせて頂いた。テーマは「とんちで越境! 自他を結び、過去と未来をつなぐ問題集」とのことで、被災地とその他の地域をつなげるというメッセージもあると会議で話したのをよく覚えている。日本という国で、なんとなく県境を越えれば普通に見えてきた故郷の景色も、東日本大震災を隔てて、故郷は「ヒサイチ」となり、僕は今避難先である大阪にいる。福島フォーラムがコモンズフェスタに携わる意味は、やはり当事者としてどのように一連の大災害を感じているのかを伝えるということだったと思っている。

企画では「東日本大震災はまだ終わっていない」というストレートな副題を添えて、黄ぐまくんの目線で被災地を巡り、報道写真家冨田きよむさんを通して、「ヒサイチ」の現実を届けた。当事者とそうでない者を隔てる感覚の差は容易には埋まらないため、信頼できる他者の目を通して伝えていった。

福島フォーラムでは避難者の方へ被曝医療の紹介、カウンセリング、生活相談、法律勉強会、福島への野菜のお届け、自立支援プロジェクトの推進など、被災した人たちが健康面で安心して自立できる体制を整備している。日本には十分な被ばく医療体制がまだ無いため、これから作るしかない。自分を診てくれる病院がない恐怖、この状況が伝わるだろうか。

被災地、特に福島県沿岸部では原発から50km近く離れても、土地を造成するのに除染をして放射能を取り除かなければならないため、復興計画が進まない。地元の漁業産業は再生の目途も立たない。そんな中で、被災が過ぎ去ったかのように語られるわけだが、まだまだ東日本大震災は終わっておらず、これから前を向いて解決すべき問題が山積しているのだ。僕自身は無力なので、当事者であることを大切にしながら、周囲と協力して解決へ臨んでいけたらと、今は思うばかりである。

遠藤雅彦(関西県外避難者の会福島フォーラム代表)
2007年立命館大学経済学部卒業。2011年3月11日東日本大震災により自宅が滅失し、友人の浄土宗僧侶・助川良紀師より、放射能による危険の知らせを受け避難を開始する。3月16日に大阪へ避難し、大学の友人・先輩・後輩に支援を受ける。その後、福島市から滋賀県長浜市へ避難してきた高野正巳氏と会い、現在の関西県外避難者の会福島フォーラムを結成。当事者として避難者の抱える問題を解決するべく活動する。2012年には、福島県地域づくり総合支援事業の採択を得、大阪中央区に事務所を構え活動するものの、震災後の当事者組織への補助金は2013年3月で打ち切りとなるため、現在は活動を継続するべく奔走する日々。 http://fukushima-f.com

Interview「死」

戒田竜治さん(満月動物園園長・演出家)

過去、應典院での公演は12作品と劇団最多。
「死者からの目線」を通奏低音にして紡ぎ出す
「あなたとワタシの物語」、その背景に迫る。

15年前、大阪市立大学在学中に「満月動物園」を旗揚げ。「劇団名の由来は、チラっと目にした新潮45の推薦文『みんな動物園には、うさぎや鹿を観に行くんじゃない、ハブやマングース観に行くんだ』というビートたけしのことば。満月は単純に好きなんです。」

應典院での初舞台は、2002年公演の「自覚ある狂気の悲しみ」だった。「当時、天井から塩をふらす仕掛けを考えていたんですが、そこに当てる追加オプションの照明機材を勝手に持ち出して使ったんです。すると、照明は綺麗についたんですが、肝心の塩の方が詰まって落ちなかった。(仏さんの前で)悪いことはできない劇場だな、というのが強い印象です。それからは、清く正しく。」

作風の大きな転換期は2度あったという。「初期は、『ワタシ』の物語でした。『あなた』が介在しない、どうやって生きようという、若い悩みでした。2003年頃から『あなたとワタシ』の物語へと変遷を経て、今はそれをより伝わりやすくしようという段階ですね。」

そして、はっきり「あなた」が介在しはじめた2004年、「庭園楽曲」に大蓮寺秋田光彦住職が出演。後にも先にも、應典院にて秋田住職が出演した唯一の公演として、語り継がれることとなる。「『小屋入り』の際に、秋田住職がされる講話が好きなんです。『私プロのお坊さんですから』というフレーズが特に。それで、A4用紙11枚に思いを連ねた手紙を渡して出演をお願いしたところ、『これまでノリで出演依頼をしてきた人はいたが、大人の手順を踏んだのは君が始めてだ』と言って快諾いただきました。」

2007年の「スプーン・マーメイド」では、應典院という劇場の特質を活かして、1階のロビーも使った演出に挑戦した。「円形のホール、ご本尊の後ろから入る斜光などをどう使うかというところが、演出家としての僕と應典院の出会いですね。ただ金の柱はまだ使えたことがないんですけど。」

今年2013年のコモンズフェスタでは、企画委員としてコンセプトやタイトルの立案から携わった。「舞台を創る作業というのは、最後は自分との戦い。すべてをシャットアウトしていって、俺はこれと心中できるというところまで選びぬき、いわば閉じていったものを最後に開いていくんです。地震の前から観覧車が倒れる『死神シリーズ』を続けているんですが、今回福島から避難されてきている方と実際話をしたことで、雑なことは書けないという意識が強まりました。」

東日本大震災以降、作品を創るにあたって、情緒的であることを恐れなくなったという。「事故の衝撃の説明よりも、何らかの理不尽な力で人生が変わってしまったときに、どう感情が動くだろうというところに集中するようになりました。」

基本的に、死んだ後は幸せであってほしいという描き方が根底にある。「地獄とか恨みは書いていない。だから劇中では、死んだ後に死神が『おめでとう』と言ってくれるんです。死者からの目線を語る上で應典院は、そういった生死というものを衒いなく出しやすい場所ではありますね。」今後も「死神シリーズ」は続けていきたいと語る。「生と死は等価にあると思っています。死神をよりコミカルに描くことで、その世界観にお客さんも入りやすくしていきたいですね。」

編集後記〈アトセツ〉

應典院の名物事業の一つ、コモンズフェスタが無事に閉幕した。もともと芸術・文化の秋のお祭りが、2007年度から1月に会期を移して久しい。ただ1月開催となって以来、例年取り組んできた阪神・淡路大震災の追悼の場を積極的にフェスタのプログラムに盛り込んできた。昨年に3月の実施を決定したのも、東日本大震災への何かができれば、と考えたためである。

劇場寺院ということもあって、幕ということばは、應典院によく似合う気がする。事実、應典院での多くの催しの折には、本堂ホールの御本尊の前に大黒(おおぐろ)と呼ばれる幕が降りる。そして、幕の後ろから礼拝堂の中での営みが見つめられることになる。演劇公演の際の秋田光彦住職の講話も「前からのお客様の視線と、もう一つ、後ろから見つめる視線に、どうか自覚的であっていただきたい」と述べられ、終わる。

比喩表現として考えれば、幕開けとは事業の開始を意味する。しかし、その対義語である幕引きには、何か、哀愁というか、忸怩たる思いを重ねてしまう。無論、全ての物語がハッピーエンドでは終わらない。しかし、幕開けと幕引きと並べてみると、圧倒的に後者には余韻が含まれる。

2012年度の事業が終わりに向かう中、今年度で終える事業がある。木曜サロンの〈チルコロ〉が一つだ。ただコモンズを契機にした陸奥賢さんの「手紙」プロジェクトは今も続き、川浪剛さんによる「仏教と医学」の事業も始まる。乞うご期待、である。
(編)

PDFダウンロード

PDF版ダウンロード(PDF形式:3.8MB)