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2017/10/7-9 杉本奈月:あやめ十八番「三英花 煙夕空」レビュー

應典院寺町倶楽部との協働により、モニターレビュアー制度を試験的に導入しています。10月7日(土)から9日(月・祝)まで、應典院寺町倶楽部協力事業の一環として、あやめ十八番「三英花 煙夕空」大阪公演を行いました。盲目の骨董商と「もの」との対話を描いた今回の公演は、本堂のご本尊がいらっしゃる状態で上演され、舞台の内容と寺院空間との、絶妙な相性の良さが話題を呼びました。今回は、劇作家・演出家・宣伝美術の杉本奈月さんにレビューを執筆していただきました。


「月のない夜、星は――闇を暗いと感じぬものです。」

台詞は戯曲『三英花 煙夕空』(堀越涼 脚本)からの抜粋ではない。観客の私が一人、後方の席へ座って聞いていた出演俳優の肉声である。だから、劇場の外へ出て手にしなかった実物の――紙のページをめくり活字として読んでいれば、きっと、暗闇の中で見落としてしまっていた表現もあったのだろう。終演を告ぐ客席灯の鳴きと開演に響く浄土宗の諷経。その始末は、かくも粋に設えられた舞台を殺しはしない。それでも、盲目ゆえに、二つとしてないものへ愛を囁いてきた彼の喉をひとつき――か。

 

葬式をしない寺。浄土宗應典院 本堂ではなく、まだ、シアトリカル應典院 本堂ホールと呼ばれている今日の上演である。暗幕は御本尊を包みかくさず左右、上下へと開かれている。喪服のように黒白と装束がそろえられていても、縦横におもてを走るのは九路の碁盤の目ではない。そこへ指されるのは、生涯をかけて「もの・こと」の真贋を見定めんとする骨董商と刑事の、二人の盲者による将棋である。

――物語から退場させるまでもなく、既に、主人公の師である骨董商・織部雨左衛門は故人となっている。誰かに殺害された模様であるが、犯人は見つかっていない。疑いの目を向けられている妻・やゑ、娘・はる、弟子・斉木象二郎。そして、中心となる――もう一人の弟子である骨董商・尼子鬼平の目は見えないが、いづれも蔵で囲われている幽霊絵・お駒、日本刀・にっかり平左兼正、万年壺・三彩梅花文六耳壺の三者と、三方から注がれるオーディエンスの視線を彼は、まことしやかに捉えていた。

芝居がかった口調とともに、読まれる棋譜を「音」として空間へ積みあげながら進退する駒。容疑者たちへの事情聴取をする刑事・西田昌造と、物たちの声なき声を聞く盲の語り手による攻防。「盤面を見ていれば、相手の目を見なくて済むでしょう?」などと明かされる胸のうちへ「僕には見えていませんよ。」と刺す彼の容赦のなさに浮かぶのは、眼前の現実に囚われず一人歩きをすることばで会話をしがちな人間の姿である。狭窄する視野に踏み外された道は、かつて、どこへ彼を向かわせようとしていたのだろう。

今や、ボリュームが大きくなるばかりの狂言へ耳を傾けることしか許されない私たちが、まるで「めくら」であるかのように、盲ろうを生きずにすんだ日々を蝕まれながら、あの夜の悲劇へと誘われる。主である父を失う前の土蔵、埋められない家柄の差と晩の逢瀬を重ねるたびに欠けていく月。娘と青年は満たせぬ情欲に傷物となった心を庇いあう。だが、物事の境目を無視して地続きに闇をめぐる「幽霊」と、灯台下暗しと闇へ棲む「鬼」に憑かれ打った / 売った、その一手が拙かった。積み木は崩れる。角を立てないように、深く更なるしじまに見舞われながら。ほんとうは、誰も傷つけたくなかったのに。

後に墓を暴かれるくらいなら、懐へ仕舞えない事実は吐いてしまった方が楽だろうか。彼の真意を見抜けないモノたちは、見てしまったもののことを洗いざらいに告白する。過去に犯してきた罪を知られたかった訳ではない。どうしても、わかって欲しかったから。いつだって、わからないことは怖いものである。でも、わかってしまった瞬間に殺がれる「きょう」があることも真実だ。それは「作品」においても変わらない。彼は、人と物が築いてきた歴史をかえりみることなく、恐れずに彼らを殺めた。返り血はつかない。ただ、死に際の視界へ入った着物が黒かった。ヒトにはないはずの、銀の尾をひいた――。

夫婦、親子と水入らずのときを失ったものも、恋人の濡れ衣を被ったものも、なべて「世はこともなし」とでもいう風に、土壁のうちへ油をまき火がくべられる。降り始める雨。のろしは天へ昇らないから、そこに神の視点はない。浮上するのは人並みに半焼しかできなかった事件性である。だからこそ、彼は常軌を逸しない。雲とも化さず、雷も落とされないまま嵐は過ぎて、夢に見ていたかも知れないあたらしい日常が幕を開ける。そして、約束どおり――はり巡らされた糸をたどって伏線は回収される。人間の描く、何遍もつかいまわされるドラマのように。いつしかの霞みゆく夕暮れに飛沫をあげ、彼の喉はついに嗄れる。

観光客でにぎわう御堂、現代もなお揺るがない仏の視座、礼服はスーツとなる。約一・五時間をかけてガイドされたのは、とある三宝にまつわる「逸話」だった。ミステリーを装うシナリオ、破られる十戒、現場にいるもののすべてを惑わしながらもストーリーは単純明解で、それ以上でもそれ以下でもない。だが、私の目で見たものが、偶像的な演技であったとしても、既視感のある演出であったとしても、小娘にものをいわせぬ目を瞠る身体と言葉の美しさが、たしかにあった。

 

温情ある大阪の寺町より少し、肌寒い京都へ。鉄道の上り、区画されては広がっていくジャンルに足をすくわれず、はなつ彩は「くすりがけ」された心を溶かさずとも、ガラスの灰にふさぐ孔をつらぬく。褪せていく色は、はじめからなかった。忘れられないように――と、夜通しで書く原稿用紙に飽くマス目はない。それでも「え」が未明へとおぼろげになった今、私の観劇はここで終わる。血塗られた絵空事より赤い煙幕とともに。最後まで閉じられなかった目がなれていく、今日も――。

 

〇レビュアープロフィール
杉本奈月(すぎもとなつき)
劇作家、演出家、宣伝美術。N₂(エヌツー)代表。1991年、山口県生まれ。京都薬科大学薬学部薬学科細胞生物学分野藤室研究室中退。第15回AAF戯曲賞最終候補、「大賞の次点である」(地点 三浦基)と評される。ウイングカップ6最優秀賞。2015年、上演のたびに更新される創作と上演『居坐りのひ』への従事を終え、2016年、書き言葉と話し言葉の物性を表在化する試み「Tab.(タブ)」、処女戯曲の翻訳と複製「Fig.(フィグ)」を始動。2017年、買って読む「紙の節約、電子の振る舞い」としてテキストアーカイブの販売を開始。口にされなかった言葉が日に見初められるべく、月並みな表現で現代に遷ろう人々の悲しみを照射する。詩として縦横に並べ立てられる台詞の数々は、オルタナティブな文学であり数式のようであると評される。外部活動は、缶の階、dracomにて演出助手、百花繚乱文芸マガジン「ガーデン・パーティ」(LittleSophy 落雅季子 責任編集)にて京都日記『遠心、日々の背理』エッセイ連載など。

〇レビュアー公演情報
■ 劇作・構成・演出
2017年10月26日(木) 喫茶フィガロ
N₂ / KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2017
フリンジ「オープンエントリー作品」

書き言葉と話し言葉の物性を表在化する試み
Tab.3『雲路と氷床』- Lightning talk is working in silence.
ライトニングトーク(トライアウト)

出演・テキスト = 森谷聖 益田萠

http://gekidann2.blogspot.jp/

■ 劇作・演出
2018年2月22日(木)~25日(日) 京都芸術センター 講堂
N₂ / KAC TRIAL PROJECT Co-program カテゴリーD

[ i ] 書き言葉と話し言葉の物性を表在化する試み
Tab.3『雲路と氷床』- Lightning talk is working in silence.
[ ii ] 処女戯曲の翻訳と複製
Fig.1『(題名未定)』- (英題未定)

http://gekidann2.blogspot.jp/

■ エッセイ連載
2017年4月~10月 毎月25日発行
百花繚乱文芸マガジン「ガーデン・パーティ」
責任編集 = 落雅季子(LittleSophy)

京都日記『遠心、日々の背理』(全六回)

購読料金|月額324円
購読申込|http://www.mag2.com/m/0001678567.html

人物(五十音順)

杉本奈月
(作家・N₂(エヌツー)代表)