應典院寺町倶楽部 |好奇心星人の挑戦〜森木忠相写真展

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SENBA ART CAFE Coco-A Vol.5

好奇心星人の挑戦 ー森木忠相写真展ー

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開催概要

<2008.3.15、無事終了いたしました>
尚、好評につき、20日(木・祝)から、森木忠相くんの母校である、天王寺のYMCA学院高等学校のホールで開催されます。1年生の担任であった先生の発案により、約10日間の展示となります。なお、展示には、YMCAの先生方からのメッセージも追加する予定です。今後巡回展が企画される予定です。

2008.3.1(土)〜15(土) 於:應典院2階「気づきの広場」

<会期>(会期中は休館なし)
  3月1日…13:00〜19:00
  3月2日〜14日…10:00〜19:00
  3月15日…10:00〜16:00

<Event>(参加自由)
 3月1日 オープニングイベント(14:00〜17:00 )
  ・トークショー:参加費500円
    出演者:ゴウヤスノリ(ワークショップ・プランナー)
 3月8日 法要(14:00〜)+音楽会(15:30)
  ・法要・法話・ギャラリートーク:無料
  ・音楽会
    小島剛(電子音楽)・横沢道治(打楽器)
 3月15日 お片付け&打ち上げ(16:00〜)

「入院して、儲かった」ーー今では病院の旗印となった、このキャッチフレーズの生みの親、森木忠相君は、享年17歳。12年間の闘病生活中、病院・学校・地域で、ボランティア活動や芸術家との共同制作に精力的に取り組みました。子ども達や保護者に慕われ、そして頼られ、病院中の職員に愛され、多くの学校関係者、研究者、音楽家、美術家、写真家等とも幅広く交流していた忠相君。忠相君の影響力は絶大で、彼からインスピレーションを得た芸術家もたくさんいます。おの写真展は、そんな彼の仲間、写真家・佐藤友孝氏とのコラボレーション作品展。本展覧会は回顧展ではありません。集う人々の未来をつなぎ、あらたな縁を結ぶために、彼の輝かしくもなつかしい足跡をたどります。

Profile

森木忠相(もりきただすけ)/1987年生まれ。大阪市立金塚小学校院内学級を経て高槻市立阿武山小学校、高槻市立阿武山中学校、YMCA学院高等学校(総合学科修了)。2008年1月に成人式を迎えるはずだった。夢は保育士になること。

実施体制

企画:森木忠相写真展実行委員会
主催:應典院寺町倶楽部×船場アートカフェ
協力:大阪市立大学医学部附属病院、大阪市立大学都市研究プラザ
   藤田善治(有限会社北部藤田)、NPO大阪アーツアポリア、
   直井健士(デジタルフォトcap@(キャパット))、島津聖(矢野紙器株式会社)
   林和美(ナダール)、山下里加(ハコプロ)、中上哲弘(中上耳鼻咽喉科医院) 〈順不同〉
ディレクター:長谷川みづほ
ナビゲーター:山口洋典(應典院主幹)×山口悦子(船場アートカフェ・ディレクター)

開催趣旨・メッセージ

 「入院して、儲かった!」—とある大阪市内の大学病院で、よりよい病院環境作りの旗印となっているこの言葉。患者さんやご家族に喜んでいただける医療というだけでなく、やりがいある職場作りを通じて「苦しみも哀しみも歓びも、患者さん・ご家
族と職員が共に分かち合える病院作りを目指そう」という意思表示です。実はこの言葉、たった一人の少年が遺した言葉なのです。彼の名は、森木忠相、享年17歳。12年間の闘病生活を、クリエイティブにアクティブに走り抜け、沢山の人々に影響を与え
た人物です。
 忠相君は1987年生まれ。大阪市立金塚小学校院内学級を経て、高槻市立阿武山小学校、同市立阿武山中学校を卒業、YMCA学院高等学校総合学科へ進学して単位取得・修了した後、高3に進級しようという春、亡くなりました。生きていれば今年1月に成人式を向かえるはずだった忠相君。夢は保育士になることでした。
 忠相君の周りには、いつも多くの人が集いました。一緒に入院・通院していた子ども達や保護者の方々から慕われるのはもちろんのこと、病院中の職員から愛されていました。院内学級や地元の学校でも人気者。教師達は彼の「打てば響く!」才を存分
に引き出し、医療者はどんな辛い治療にも果敢に挑む彼の姿に勇気づけられ、一緒に走り続けました。
 加えて忠相君は、病院・学校・地域で行われるボランティア活動や芸術家との共同制作にも精力的に取り組んできました。多くの学校関係者、研究者、音楽家、美術家、写真家等と幅広く交流していた忠相君。彼の影響力は絶大で、彼からインスピ
レーションを得た作家、彼にワークショップで助けてもらった芸術家もたくさんいます。
 本展覧会は、そんな忠相君の友人の一人である写真家・佐藤友孝氏と忠相君とのコラボレーション作品展。佐藤氏との交流の中から忠相君が撮影した写真を中心に思い出を綴ります。関連イベントは、トークショー・法要・音楽会と盛りだくさん。耳を
澄ますと、忠相君と子ども達の楽しい笑い声が聞こえてきそう。でも本展覧会は回顧展ではありません。忠相君を知っている人も知らない人も、多くの人が立ち寄って、くつろいで、何かを”感じて”欲しい。そして集う人々の未来をつなぎ、あらたなご
縁を結びたい…そのために、彼の輝かしくもなつかしい足跡をたどります。

開催にあたって寄せられたメッセージ

忠相君と初めて会ったのは、03年の冬だったと記憶しています。
長谷川さんから、当時写真を学んでいた僕に、「入院生活を送っている子ども達に写真を通してアートを体験してもらおう、という企画があり、お手伝いしてもらえませんか」というお話が発端で、忠相君を紹介して頂きました。
僕から忠相君へは、1台のコンパクトカメラ(オリンパスμ)を手渡しました。そして、忠相君には、自分の生活の中で興味を引かれたものを、なんでもいいから撮影してもらうことにし、撮る事の楽しさ、プリントされた後の意外さ、おもしろさを体験してもらえたらな、というのが当初の意図でした。
また、最初に写真を撮ってもらう際に気をつけて欲しい事を数点伝えました。そのポイントは、「おもしろいなと感じた事に対して、素直にシャッターを切る事。うまく取ろうとしなくてもいいから、たくさんシャッターを切る事。心を動かされたもの対して、どんどんシャッターを押せばいいだけ。」という内容でした。
これは、言葉としては、とても簡単に聞こえますが、実際写真を撮ってみると、どこかで見たような型にはまった写真になってしまいがちです。それではおもしろくなく、やはり、その人にしか撮れない写真が「良い写真」ではないかと、個人的には思っています。
そして、初対面から1週間後、始めて忠相君から渡された2本のフィルムを現像しました。
それらの写真は、とても興味深いもので、まさに今まで見た事のない世界がそこにあり、忠相君にしか撮れない「良い写真」が映されていました。その後、二人で写真を見ながら話をしましたが、僕からは最初に伝えた事以上のアドバイスをほとんどできなかったのを、今でもよく覚えています。というのも、忠相君は、僕からの最初の注意点を本当によく理解し、写真に写すことが出来たのですから。また、嬉しい事に、忠相君も写真を撮ることをすごく楽しんでくれたと思います。
ただ、残念な事に、忠相君の病状の悪化と僕の留学準備が重なり、数回しかこの活動を続ける事ができませんでした。
その後、友人の力を借り編集作業を行いましたが、その時、あらためて忠相君の見てきたもの、もっと言うならば忠相君の感じていた世界や想いが表れ出たようで、とても強い印象を受けました。忠相君の、周りのみんなを幸せにしてくれる明るさや優しさ、誰からも好かれるあの人柄、そして様々な事に対する好奇心や聡明さが、無言のエネルギーとなって写真に凝縮されているようでした。また同時に、写真には忠相君の抱えていた闘病の辛さや寂しさが、イメージの奥にどことなく影となって潜んでいるようにも思われ、胸が絞めつけられます。
あの時撮られた忠相君の作品を何年も見ていませんが、今でもひとつひとつはっきりと、あの時の時間と共に、深く心に刻まれています。忠相君の大きな存在と残された写真たちは、きっといつまでも僕たちの心の中に、生き続けるのではないでしょうか。
忠相君、みんなにこれだけの力は与える君の存在は、まさに本物のArtistですね!
最後に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

佐藤 友孝(さとう ともたか)

忠相君とは写真仲間。
忠相君に、写真を通してアートを体験してもらうおうと言う事で、長谷川さん・山口先生からこの企画をご紹介頂き、
忠相君の撮影・作品作りをお手伝いさせて頂きました。
現在は、写真から少し離れ、香港にて会社員。

「忠相君の写真展によせて」

12年間も苦しい闘病生活をしながら、”入院して、儲かった”などと言えるのは何故だろう?
大人であったら、苦しく辛い面ばかりを想って泣き暮らす人が多いだろう。
普通の子どもであったなら心が萎えてしまっただろう。
忠相君に会ったことはないけれど、とても強い心を持った子どもであったに違いない。

人は生きれば齢を重ねることになる。 1年、10年、20年、30年、40年、50年、60年、70年と。
私の場合、年齢を重ねるにつれて心が進化したとも思えない。
子ども時代には、心の中に喜びや希望が自然と膨らんだものだ。
しかし、苦しい闘病生活を強いられたら消え失せたに違いない。
忠相君が生まれもった生きる喜び、生命の力は膨大で、
大きな身体の苦しみや悲観を乗り越えて生きる力を与え続けたに違いない。
人生は長さを競うものではないし、結果が大切というものでもあるまい。
どの人にとっても、今をどのように生きているか?どのような気持ちで生きるのか?
どのような志でどのように決然と潔く生きているか?という過程が大切なのである。

とすれば、苦しい中にも笑顔を忘れず、周囲を笑わせ、逆に元気付け
自分の目標に邁進し続けた忠相君の生きた軌跡は輝く道となって天に昇り
今も彼はその道を歩んでいるに違いない。
忠相君が創り、遺してくれたエネルギーは大きく膨らみ病院の人たちに力を与え、
外からも多くのボランティアの人々が集ってこられるようになった。
君の言葉”入院して儲かった”は市大病院の標語となり、多くの子どもたちを元気付け励まし続けている。
君の志が形を成し、どんどん善い病院に成長していくのを見るのは愉快だろうね。
私たち病院の者はボランティアの人たちと手を携え、君が益々笑えるように力を尽くして頑張るよ。

石井正光(いしいまさみつ)

大阪市立大学医学部附属病院・副院長
大阪市立大学医学部附属病院・良質(QC)医療委員会委員長

 私は中学3年生のとき、重い腎臓の病をかかえてしまって、病院に1年近くも入院するハメに陥ってしまった。その半年前には、異型肺炎という奇妙な病気で1ヶ月半も入院していて、両親は我が子の連続する不運を嘆いたという。実は、幼稚園にも数日通った後に、小児結核と診断され、1年近くも自宅で幽閉されていたから、病は常に身近にあった。中3の話に戻るが、実は、倒れるほんの2週間ほど前に、私は将来の進路というか、職業に「これ」というものが見つかって、その専門家に会う約束まで取り付けていたのである。そして、明日にその人に会うというときに、身体の不調に気づいた。そして、即入院。今だから病気自慢のようにしゃべれるが、そのときの落ち込みは思い出してもゾッとするものがある。結果的には奇跡的に治ったが、当時の医学の水準では極めて難しい病態で、主治医は、両親に対して、新薬を試しに使うが、もしこれが効かなかったら、あなたの息子さんは一生を病院暮らしする覚悟をしてくださいね、というほどの重症だった。私は寝台のなかで不安のため、急に涙が止まらなくなったことが、しばしばあった。しかし、自分の未来に対する暗澹たる気持ちとは裏腹に、神経は研ぎ澄まされていくというか、日に日に精神はピュアになっていった。
 入院して1ヶ月ほどの頃、中学の音楽の先生が見舞いにやってきて、小さなFM受信機を置いていってくれた。気散じに見ていたテレビに飽きた私は、小さな箱から聞こえてくる精妙な音に釘づけとなった。弦楽器の音は、耳を通してではなく、直接私の心に届いてきた。毎日無心に受信機からきこえてくる音楽の数々に耳を傾けた。音楽が、唯一、世界とのつながりを確保する通路となった。運良く新薬は劇的に効き、私は自宅療養へと切り替えられた。徐々に社会復帰しなさいよ、と・・・。私は親に五線紙を買ってきてもらって、自室のベッドに転がりながら、おたまじゃくしを書きつけるようになった。特に誰に習うこともなく始めた作曲。演奏されるかどうか分からない曲。私は、誰かに聴かせようと思ってではなく、病院で聴いた音楽に対する、私なりの「応答」のつもりで、とにかく音楽をつくってみたいと思ったのだ。返礼といってもいいかもしれない。それは、通常の音楽のもっている、幅の広いコミュニケーションの枠組みからしたら、本当に取るに足らぬものだ。しかし、音楽は、ときにかけがえのないほど超個人的な営みであることを許容する。その当時の音に対する心の強度は、しかし、学校に戻り、そして大学受験へと傾いていったときに、いつしか深い地層のなかへと人知れず潜り込んでしまった。
 森木君にとって、写真を撮るということがどんな意味をもっていたのか、私には想像できない。簡単には説明できないことがらだと思うからだ。私たちは同じ映像を目の前にしても、彼のように感じることはできない。しかし、ここに確かに、世界に対してぎりぎりのところで対峙していた人の眼差しは残されている。いったい彼は何を見ようとしたのか? 私には、彼が何かを伝えようとしているようには思えない。解釈は無効だと思う。ただ、彼の立った地点に、もういちど立ってみたいだけなのだ。

中川真(なかがわしん)

大阪市立大学大学院文学研究科教授
大阪市立大学都市研究プラザ・船場アートカフェプロデューサー

トピックス

  • 2008.3.15
    • 無事、終了いたしました!多くの方々のご関心、ご来場、本当にありがとうございました。
    • フライヤー表面
      • 200803tadasukeomote.jpg
    • フライヤー裏面
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  • 2008.3.13
    • 「えんがわ寄席」の準備も整ってきました。
      •  3月15日 ワークショップ「えんがわ寄席」(13:30‐ 15:30)
      • 飯田紀子(美術家)・岸健太(建築家)・松本力(絵描き・映像(アニメーション)作家)
      • ※飯田紀子はプログラム「スイーツ・レイ」にて参加(当日は不在です)
      • 参加無料
      • 偶然居合わせた人たちが同じテーブルを囲み、おいしいお茶を飲みながら、宴が輪になり、縁が生まれる、名付けて「えんがわ寄席」。おやつのリレーや創作落語の、ちょっとだけ驚きを含んだおもてなしで、席を寄せ合う人の縁をつなぎます。
2008.3.8
法要と音楽会、無事執り行われました。

大阪市立大学附属病院の紹介パネルや、忠相くんの写真にも登場する余谷さんが東京から駆けつけてくださいました。(ご自身の写真の前で記念撮影です)

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2008.3.5
法要の準備を進めております。

頂戴した御供は、ご本尊の前の大前机に供えさせていただいております。

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2008.3.1
毎日新聞夕刊(大阪本社発行・第4版)で写真付き記事で紹介いただきました。

「病と戦い青春スケッチ〜17歳で逝った森木さん 天王寺で遺作写真展」

2008.2.29
いよいよ、明日より開催です。

展示のご準備を、忠相くんのご両親にもお手伝いいただきました。

2008.2.24
エルマガジン、2008年4月号で紹介いただきました。

「様々なアーティストとのコラボ企画が行われている大阪市大病院で…」