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2018/2/23-25 汐月陽子:坂本企画「寝室百景」レビュー

應典院寺町倶楽部共催事業として、坂本企画「寝室百景」が2月23日(金)から25日(日)まで、應典院本堂で上演されました。モニターレビュアーでもある坂本さんによる、一日限りの世界を生きる人々の日常を三編で描いた作品。連日盛況・好評が続きました。今回は應典院寺町倶楽部会員の汐月陽子さんにレビューを執筆していただきました。


お芝居を観に行くにあたって、積極的に決めている訳ではないけれどなんとなくそうなっている、という「自分ルール」のようなものがいくつかある。エンタテインメント色が強そうなものは事前にあらすじや前評判をある程度押さえ、文学性の強そうなものはほとんど何も調べずに観に行く、というのもその1つで、坂本企画『寝室百景』はわたしにとって後者だった。ちょうど、前日に京都でゴッホ展を観てきたばかりだった。展示会場のワンフロア上のコレクション・ギャラリーには名画「アルルの寝室」の立体版レプリカが設置されており、会場内では唯一撮影が可能なその場所で楽しそうに写真を撮っていた家族連れの姿や、キャプションに書かれていた、世界的な現代美術家の「絵の中に入ってみたい」というピュアな欲望に胸を打たれた記憶がまだ残っていた(寝室のレプリカには、この美術家の作品の背景として制作された経緯がある)。

 

そんな訳で、お芝居が始まるまえ、闇のなかにほの見える舞台セットを眺めていたときには、わたしはまだなんとなく牧歌的な気持ちでいた。『寝室百景』の3編のストーリーのうち、最初に観たのは「昨日の寝室」だった。幕が上がるとたちまちに、わたしは「アルルの寝室」のことを、温かみのある赤い掛け布団や木目の強調されたベッドのことを、すっかり忘れてしまった。目の前の真っ白な世界とそこで交わされる切迫した会話に、ただ目を奪われていた。

 

 

タイトルに冠された「寝室百景」というのは、作品世界の中だけに存在する、記憶にまつわる奇病のようなものである。いや、正確には「病気」ではないようで、作中の会話で何度か、病気ではないことが強調される。正式名称を「就寝時における室内型百面態様を示す精神的情景」とする「現象」なのだという。その「現象」を抱えた人は、ひとたび眠ってしまうとそれ以前の記憶を把持できなくなり、朝目覚めたときには、前日までに経験したことや見たもの全てがシャッフルされた、全く新しい記憶を持つ人格になってしまう。

 

この「現象」は、作中で万華鏡に例えられる。まさに万華鏡のように、その日その日で「設定」が変わり、連続した記憶を持たない人を、わたしたちは果たして同じ人だと思えるのか。ヒトのアイデンティティとは何か。愛する婚約者や家族が寝室百景になったことに混乱し、悩み、苦しみ、それでも些細なしぐさやほんのちょっとした身体的な特徴から「そのひと固有のもの」を見出し慰められるという、めまぐるしい日々を過ごす登場人物たちの目線を通して、観客であるわたしたちは重いテーマを突きつけられてゆく。

 

 

今回の應典院での上演は「王国編」と「牢獄編」の2公演に分かれていたが、「王国編」は「昨日の寝室」、「牢獄編」は「今日の寝室」と「明日の寝室」の2話から成り、ストーリーはぜんぶで3話ある。3話それぞれに、異なる寝室百景の当事者が登場する。言い換えれば、3話を全て観ることで、寝室百景という設定がより多角的に見えるようになっている。

 

「昨日の寝室」では寝室百景になってしまった若い男性と、その婚約者であり「現象」に翻弄される若い女性、そして「彼ら(=寝室百景の人々)と、現象と、付き合っていくための施設」を運営する「先生」を中心に、やや説明的に物語が展開する。観客はまず目の前で繰り広げられる狂乱や激昂に戸惑い、自分でも気付かぬうちに「これはどういうことなんだろう、何が起こっているのだろう」と訝る。困惑が深まったタイミングで、先生による「現象」の解説がおこなわれる。巧い導入だ。ここで観客は、自然と婚約者の女性に視点を重ねてゆくことになる。病気ではないので治ることもないとされる寝室百景。そんな「現象」を抱えた恋人を献身的に支えようとする女性の姿は、少し心理学を齧ったことがあるひとなら「共依存的だ」と感じるかもしれない。やがて、男性の叔母と名乗る女性が唐突に現れる。先生や叔母とのやりとりを経て、婚約者の女性は自分なりに、寝室百景やそれを抱えた恋人への関わりかたを見つけだしてゆく。

 

「昨日の寝室」において、叔母が鋭く指摘する内容は、今日の精神医療現場が抱えるいくつかの問題にも繋がる。何が病気で何が病気でないのかということは、極めて社会的に決定されるものだが、そのような医療人類学的な問題意識も、作品に織り込まれているように読める。

 

また「今日の寝室」と「明日の寝室」はそれぞれ、寝室百景になった人の家族関係を軸とした物語(「明日の寝室」には、さらに友人関係が加わる)である。つまり『寝室百景』の3編はすべて、社会的なスケールを持ちつつも、本質的には親密圏の物語だと言えるだろう。その「親密さ」、寝室百景という難解な「現象」をごく近い距離で共有するありかたは、「寝室」という言葉からわたしたちがイメージするような、プライベートでおだやかな無数の情景(百景)と自然に呼応する。とりわけ「明日の寝室」のラストシーンはその感が強く、切なくもあたたかな印象が心に残る。

 

 

1日かけて「昨日の寝室」「今日の寝室」「明日の寝室」の3編を拝見し、お腹いっぱいの気持ちで帰る道すがら、わたしは漫画家のよしながふみ氏の『大奥』という作品のことを思い出していた。江戸幕府が作った、ご存知「女の園」大奥を描いたロングセラー作品だが、よしなが氏はこの大奥の設定に「男女逆転」という大胆なSF的改変を加えた。「赤面疱瘡(あかづらほうそう)」という、男子だけがかかる奇病(!)が蔓延する江戸時代の日本(のパラレルワールド)を舞台とし、将軍家は3代家光以降みな女性となるが、男子の不足する時勢においてなお世継ぎを確実に産ませるために、大奥が編成されるのである。いわゆるボーイズラブ作品なども多く手がけてきたよしなが氏は、『大奥』という作品を通して「産む身体としての女の性と社会的抑圧」を正面から扱った。2009年には、ジェンダーへの理解に貢献したSF・ファンタジー作品に送られる国際的な文学賞であるジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞を、日本人作家として初受賞している。

 

現実には存在しない、奇妙な「現象」を切り口とするSF的手法で、アイデンティティ、共依存的な恋愛関係、母子関係、病者が自分の状態について病識を持つこと、そもそも病とは何か…etc.  パッと書き出せるだけでもこれだけの現代的な課題に思いを巡らせてくれる坂本企画『寝室百景』、まさに傑作と呼べる作品であった。

 

〇レビュアープロフィール

汐月陽子(しおつきようこ)

1984年東京都生まれ。立教大学法学部卒。学生時代から大阪の貧困地域のフィールドワークなどに関わり、現在は北区在住。出版系デザイン会社の企画営業、地域系アートプロジェクトのディレクター見習いなどを経て、【当事者性を持った個人の表現の現場を支えること、その表現を広く社会に接続すること】に関心を持ち活動を展開しています。應典院寺町倶楽部会員。コモンズフェスタ2018「(circle)」ディレクター、「Little Voice, Little Pressー潜り、顕すー」企画・編集。

人物(五十音順)

汐月陽子
(應典院寺町倶楽部会員)