2017/10/19 釈徹宗:再建20周年記念講演「應典院の時間と場と関係性と」前編
去る4月26日(水)、浄土宗大蓮寺塔頭應典院20周年感謝の集いにて、第二部の記念講演の講師に浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授である釈徹宗先生をお招きしました。
釈先生は、NHK「100分de名著」をはじめ各メディアでご活躍される、日本を代表する宗教学者であると同時に、「寺子屋トーク」や「コミュニティ・シネマシリーズ」へのご登壇、また企画段階から参加していただいた2015年の「セッション!仏教の語り芸~伝統vs創造~」など、最も應典院に関わりの深い仏教者のおひとりでいらっしゃいます。
今回、その際の講演録を、前後編の二回に分けて更新いたします。前編では、日本仏教の三つの特徴と比較することで、應典院という場の特徴が明らかにされていきます。どうぞお楽しみください。
教導ではなく共振
應典院は最初からお寺としてあったわけではなく、だんだんお寺になっていく場であるような印象がありました。また宗教と公共性をもう一度結びつけようとした観点があります。私が関わってきて思うのは、座標軸型じゃなくて丸テーブル型の場をクリエイトしているなと。座標軸型というのは、教義体系や信仰があり、明確な座標軸に支えられる。そうすると正統と異端や、正解と誤解、いろんなものが座標軸に配置される状況になるのですけれど、丸テーブルにすると誰もが着席できるという、そういう場づくりをされてこられました。教導ではなく共振ですね。誰か専門家が導くのではなくて、そこに身をおくことで、自分自身の心が振動する、共振現象が起こる。私は、こういうお寺が全国各地に出来れば日本仏教は変わると確信しています。
應典院は、皆がお寺の運営に参加できる「仏教ニューウェーブ」の旗手となりました。当初はイベント寺などと批判を受けたようですが、ただ社会のニーズに合わせて集客を目的としているわけではない。ニーズに応えようとして、市場原理に引っ張られてしまい、効率や成果を気にし過ぎると、お寺の肝のところを損なってしまいます。なにしろ、人々の欲望をニーズへと転換していくビジネスモデルって、けっこう無敵ですからね。このモデルが、医療、福祉、教育、家庭にまで侵入している現状です。これと対抗して四つに組むだけのものがなかなかない。本来ならば、医療、福祉、教育、家庭、そして宗教は、欲望あおり型のビジネスモデルとがっぷり四つに組まなければなりません。
さて、「仏教」「浄土宗」という文脈よりも、「お寺」という文脈を先行させて取り組む。それが應典院のテーマだと思います。ほんの少し前までは、伝統仏教界において取沙汰されることがなかった「寺院運営」という視点、「お寺という場をどう動かしていくか」というテーマを提示したのは大きいですね。今や「寺院運営」は日本仏教における大きなテーマとなっています。ソーシャルキャピタル論でも取り上げられる状況になっています。それはこの10年ぐらいで急速に進んだ事態なのです。そう考えると、應典院ができた20年前とずいぶん状況が変わったなあというのが実感です。
ノーマライゼーション・ブディズム
ところで、その欲望あおり型のビジネスモデルとがっぷり四つに組むための道筋ですが。今日は、「時間」と「場所」と「関係性」を手がかりに考えてみたいと思います。でも、その前に、まずは日本仏教の特徴と應典院の歩みを結びつけてみましょう。
日本仏教はヒンドゥー文化圏の仏教に比べますと独特の特徴があります。ここでは三つの特徴を挙げます。一つ目はノーマライゼーション・ブディズム、二つ目はデノミネーション・ブディズム、最後はローカル・ブディズムです。
まずノーマライゼーション・ブディズムですが、ノーマライゼーションとは社会福祉用語です。ハンディキャップを持った人がいかに普通の生活をしていくかという思想でして、これを援用して、サンガのような特殊な領域を設定せずに普通に社会生活や家庭生活の文脈上に構築していく仏教を、私、ノーマライゼーション・ブディズムと呼んでいます。日本の仏教をふり返ってみますと、聖徳太子の『三経義疏』は在家仏教志向が強いことや、最澄による大乗戒壇の設定など、社会から隔絶しない方向性をもっていました。日本の仏教は最初期からノーマライゼーションの方向へ向いていたと言えるでしょう。そして、結果的には、日本仏教に出家文化というのは土着しませんでした。それは今日の状況を見ればおわかりの通りです。その代わりに出家形態と在家形態の混在や、半僧半俗の文化が成熟していきます。日本の宗教文化には、なんとか折り合う、あるいは問題を突き詰めない、棚上げにする、問題を先送りにする、こういう態度が(仏教のみならず)様々な場面で見られます。このような「折り合い」「棚上げ」「先送り」の態度は、宗教問題においては重要なことです。そもそも時間感覚が長くないと成立しない態度だからです。宗教は前世や来世にまでおよぶ長い時間をもっています。その中で物事を捉える、そこが宗教の特性です。
日本仏教がノーマライゼーション志向にあったのは、地理的条件や風土や宗教文化などいくつかの複合的要因があったと思われます。同時に、ノーマライゼーション・ブディズムとしての思想も築き上げていきます。例えば近世前期の鈴木正三という禅僧がいました。俗名のままで僧侶として生き抜きました。彼は、そもそも出家などする必要はない、と言い放ちます。毎日の畑仕事のひと鍬ひと鍬が浄土への道である、などといった思想を展開しています。臨済宗の白隠も同じようなことを主張していますね。大乗仏教がかなり極端なところまで突き詰められた結果、日本ではこのような形態の仏教を発達させてきたのです。
二つ目のデノミネーション・ブディズムの「デノミネーション」というのは、宗派という意味です。つまり「宗派仏教」が二つ目の特徴です。念仏は念仏の宗派、禅は禅の宗派、密教は密教の宗派、法華経は法華経の宗派、などとそれぞれに特化しているのは日本仏教だけの事情です。この形をもたらした最大のキーマンは法然上人でしょう。膨大な仏教体系の中から、念仏というたった一つの道を歩む。法然上人が、シンプルでイージーな仏道を展開したことの影響が大きいと思われます。
三つ目がローカル・ブディズムでして、日本仏教には地域ごとの特性が投影されています。私自身も、地域の檀家さんに育てられた、僧侶として導かれたという面があります。子どもの頃に、檀家さんから「あんたは本当にお寺さんに向いてないな」などと直接言われたことがあるんですよ。ひどい話でしょう。なにしろちょっと荒い気性の土地柄ですからね(笑)。無理もないんです。私、人と関わるのが苦手でしたから。檀家さんとかにも気楽に話しかけたりしなかったんですよ。あまり子どもらしい無邪気なところがなかったですね。そして、その人は「でも心配しなくてもいい。あなたでもなんとかなるから」と言いました。「あんたでも」って(笑)。つまり、「私たちが何とかするから」という意味なのです。地域が住職を育てていたのです。そしてそういう気風がありました。このように、地域の特性が色濃く反映する仏教、それがローカル・ブディズムです。
さて、この三つの特徴を應典院に照らし合わせますと、突出しているのはノーマライゼーション・ブディズムです。仏教の教義や理念などの問題よりも、ごく普通の社会や家庭の問題に取り組んでこられました。逆に、最も抑制されているのはデノミネーション・ブディズムの面ですね。浄土宗寺院であるにもかかわらず浄土宗的なものは抑制されております。應典院に来ても浄土宗のことはあまりわからない(笑)。
一方、ローカル・ブディズムはどうか。この大阪の下寺町という地は、應典院を考える上で重要なポイントです。下寺町だからこそ生まれ得る感性を大事にされているのではないかと感じます。ご存知のように應典院の本寺である大蓮寺には、石門心学の開祖である石田梅岩のお墓があり、また天王寺高校発祥の地、大阪三十三番巡りの札所、さらには「曽根崎心中」や、落語の「天王寺詣り」にも大蓮寺は出てきます。谷崎潤一郎や織田作之助といった、いわゆるローカルな物語がここにはあります。
現代人の宗教性の特色として「道具化」や「無地域性」があります。現代人には、自分が抱えている苦しみに合う「道具」を、宗教という道具箱の中から探しているんですね。一つの宗教体系をコツコツ辿っていくのではなく、自分が必要とする宗教情報を手に入れようとする。そして、現代人の宗教性にはローカルな要素が捨象されていっております。必要ないような気になっている。しかし、なぜお寺がこの地にあるのか、といったローカルな物語を編み上げて行くところに、伝統的な宗教施設ならではの領域があります。