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2025/12/19【住職ブログ】限界集落の寺院にて、お寺に何ができるかを問い直す

過疎地のお寺で、かように分厚い活動に肌で触れると、自ずとお寺のあり方に問いが浮かび上がる。限界集落で、女性住職一人が、お寺を開放して取り組む数々は、本質的に「お寺にどこまでできるか」という課題を投げかけてくる。

福島県猪苗代の壽徳寺さんに声をかけていただき、11月の終わり、同寺を訪ねた。湖畔に佇む自然の中のお寺、という勝手なイメージとは裏腹に、周囲は過疎が進み、しかも関西人には初冬の風は実に厳しかった。

同寺の堂内では、「壽徳寺薬師フェス よりよく生きるための5つの処方箋」が、10月から2ヶ月にわたって開催されていた。その「戒名トーク」に出演させてもらったのだが、私には壽徳寺の堂内に興味を惹かれた。おてらおやつクラブやヘルシーテンプルのパネル展示や数々のリーフレット、募金箱が所狭しと並べられ、お堂そのものが情報発信の拠点と化している。住職が何を信条としているのか、よくわかる。東京や大阪のお寺ではない。限界集落の小さなお寺なのだ。

そういうお寺だからなのだろうか、各地からやってきた参加者の意識にも通じるものがあった。

僧侶による本音の「戒名トーク」は、一定の過激さを孕んでしまうものなのだが、古い因習が根強いであろうご当地の参加者の方々がおしなべて受容してくださった点だ。「戒名料」の話など、無理解や反発があって当然かと思うが、フロアの皆さんは「目から鱗」と言いながら円満に理解を示してくださった。多分それは壽徳寺が重ねてきた文化があるからなのだろう。

別の県の人だったが、同じ過疎地寺院の檀家だが、都会からやってきた兼務住職が上から目線でまともに相手にしてくれない、みたいな声も上がった。今の寺院状況によく聞かれる話だ。

お寺を取り巻く状況に、都市も過疎地も大きな違いはない。みな人口減少や家の断絶に直面し、墓じまいや直葬といった現象に翻弄されている。過疎のお寺の方がそれだけ問題に対し切実であり敏感なのだろう。だから壽徳寺みたいなお寺は、受け身ではなく、攻める拠点を志向していく。感度は、都心のお寺と何ら区別はない。むしろ、ここを見ると、都心のお寺はどれほどのことができているのか、とふと不安にもなる。

これからどんなことをするのですか、と松村さんに尋ねてみた。来週から雪が降ると、道も消えてしまうという。念願の永代供養墓も完成したが、春にならないとご紹介もできない。人が集まることさえ難儀するのだろう。

「なので、冬眠、ですね。じっくり考えます」

そういって笑う妙仁さんは今年、住職就任10年目である。どんな20年を目指すのか、期待してやまない。

 

 

 

 

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秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)