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サリュ 第102号2016年3・4月号

目次

巻頭言
レポート「コモンズフェスタ2016」
コラム 泉寛介さん(baghdad café脚本・演出)
インタビュー 一ノ瀬かおるさん(NPOそーね)横山弘和さん(NPOそーね)
アトセツ

冒頭文

童子は、心さえあれば、目の見るところ、耳の聞くところ、みなことごとく教えであることを知った。『華厳経』より

report「転」

私の常識を問いなおすため
皆の思いを持ち寄って

不在ではなく非在の他者に

今年度もまた、年の変わりをまたいで恒例のコモンズフェスタが開催されました。今年は3つの演劇、5つのトーク、5つのワークショップ、そして展示と音楽公演を1つずつと、多彩な取り組みが織りなされました。お寺の総合芸術文化祭と銘打って実施しているこのお祭りの名前には「共有の財産(commons)」という言葉が含まれています。東日本大震災を経て、今一度、それぞれの経験や知恵を持ち寄ることが大切だと考え、事務局主導の企画構成から1998年の開始当初の実行委員会形式への原点回帰を図ってから4年目の実施となりました。
毎年掲げている統一テーマは「死と生への身構えの回復」としました。ちなみに実行委員会形式での運営に戻って以来、主題は全ての企画が固まってから、最終の実行委員会で原案が示され、合議で意思決定されています。そもそも実行委員は公募ではなく事務局からの依頼と、実行委員からの推薦によって組織されることもあって、ありがたいことに、應典院という空間で何らかの取り組みを重ね、場がもたらす意味に深い理解と高い関心をお持ちの方にご参加いただいています。今回、15個の企画が並ぶ中で、それらを束ねる、あるいは包み込む言葉として、先に掲げた主題が適切とされました。
今年度は副題「これは『私かもしれなかった』」に対しても、実行委員の皆さんから熱い思いが寄せられました。阪神・淡路大震災から20年、尼崎脱線事故から10年、戦後70年、そして間もなく東日本大震災から5年を迎えます。メディア等でこれらの区切りが示されることに対し、なぜ私は、家族も含め、そうした事件や事故に巻き込まれず、今ここにいるのか。そこに今いない人(不在)ではなく、もうここにはいない人(非在)への想像力を駆り立てよう。今年の企画群には、それらの願いが根ざしていると皆が納得し、このテーマとなりました。

図と地が反転していく

12月、架空の事故である観覧車倒壊を題材とした、劇団「満月動物園」による「ツキノヒカリ」で今年度のコモンズフェスタの幕が上がり、年末には劇団「baghdad café」が、脚本と演出の担当が失踪するという物語を演じました。さらに両劇団の協演で、昨年度のコモンズフェスタでも実施した新書朗読が行われ、今回は『「死」の教科書』(扶桑社)から尼崎脱線事故を扱った部分が演じられました。
こうして劇場寺院を舞台に多角的な演劇公演がなされる中、今年度は比較的長時間にわたるトークやワークショップの企画が複数重ねられたのも特徴でした。恒例の24時間トーク、アレクサンダー・テクニークと対話で自分の身体の癖を知る(3時間半)、時代の大人を語る(7時間)、看取られる・看取る・供養する世代間の違いに向き合う(2時間半)、イスラム教の教えと文化(イスラーム)を紐解く(6時間)、スッポン鍋をつつきつつ創作漢字で遊ぶ(2時間)、江戸時代の儀式を再現する(9時間)、という具合です。定例事業「詩の学校」と「グリーフタイム」も特別編で実施しました。展示も含め、普段観ている世界(図)と、その世界を成り立たせる背景(地)を反転させ、今ここにいる私を見つめなおす37日でした。

小レポート

成人の日に7時間
戦後70年を見つめて

成人の日となった1月11日、コモンズフェスタの一環として「少年Aと大人B」と題した企画を催しました。7人の少年にまつわる死と生を1時間ごとに取り扱うというワークショップでした。正午から19時までの長丁場ということもあり、体力や集中力が持つのか、といった不安を抱きながら参加された方もおられました。当日は50分ごとに10分の休憩を入れ、高さ7mの應典院本堂ホールの天井から床に投影された写真や映像をもとに、それぞれが感想や意見を語り合いました。
この企画は2015年6月の「元少年A」による手記『絶歌』出版が背景にありました。1997年の事件当時と同じく、同書は大きな反響を呼びました。たとえ本人を知らなくても人は語る、の考えのもと、進行役により1940年代から2000年代まで、その時代を象徴する7人が選定されました。彼らの人生を手がかりに、大人になることの意味を見つめなおす7時間でした。

小レポート

芸術文化で誰もが疎外されない社会を

共同事業体として應典院寺町倶楽部が参画した、大阪市「地域等における芸術促進事業」のクロージングフォーラム「地域に根差したアートと文化」が、1月10日に開催されました。8月からcocoroomとアートNPOリンクと共に展開してきた事業では、芸術文化振興の今日的なあり方として社会包摂の観点から迫ってきました。
当日は2人の写真家の筆談トーク、交響楽団による若者の就労支援の取り組みや、東日本大震災以前から地域に寄り添ってきた参加型事業の事例報告なども行われました。なお、本事業の最終報告書は、今後、大阪市経済戦略局のホームページで公開されます。

小レポート

切磋琢磨する演劇祭、準備中

應典院舞台芸術祭space×drama2016制作者会議が年末より始まりました。2016年5月から6月の開催に向け、より良いチラシやホームページなどの展開のため、月1回活発な意見を交わしています。
今年は、公演ごとに作品のカラーが変化する「カメハウス」、全国学生演劇祭で審査員特別賞受賞「劇団冷凍うさぎ」、ウイングカップ4で最優秀賞受賞「遊劇舞台二月病」、特別招致公演にエネルギーの塊を客席にぶつける「ステージタイガー」、そして協働プロデュース公演としてトリを飾る「無名劇団」の5劇団が演劇祭を盛り上げます。その成果にご期待ください。

コラム「悼」

「有難い」への対応

周りの劇団の代表がいなくなった話をたまに聞きます。そういうのを聞くと、大事な人がいなくなるってどういう感じやろうと思います。僕の大事な人は祖母です。祖母は戯曲賞を獲った時に「寛介は天才や」と恥ずかしいくらい褒めてくれました。そんな祖母は昨年亡くなりました。とても悲しかった。なんでいなくなるんや、と思いました。
その賞とは違いますが、数年前、演劇の賞レースに出ました。当時、演劇をやめる最後の記念にしようとしていたのです。ところが、賞に選ばれて今日まで演劇を続けることになりました。あの時いなくなっていたらどうなってたんやろう。
続けられるって有難いです。「有難い」は感謝と別に、めったにないとの意味もあります。代表や祖母がいなくなることも、そういう意味では「有難い」ことです。「会いたくて会えなさすぎるあなたたちへ」という虚構の物語は、そんな「有難い」こと、いなくなってしまうことの演習だったように思います。
一方、「悼みを悼むということ」では、福知山線脱線事故との距離感や向き合い方で心底悩みました。しっかり考えたいけど、畏れ多くて正直向き合いたくない。でも最終的には、自分の意見を確認し、いる人といなくなってしまった人、それを見ている人の関係を、しっかり提示しようと思いました。昨今、表現をする人間はある種の答えを提示することが大切な気がしていたし、何よりこの行為が悼むということに繋がると思ったからです。
よく思うのですが、「有難い」ことって意外と有り難くない。誰にでも結構ある。でも実際遭遇した時、どうしたらいいかはWikiにも載ってない。その頼りになるのは、今のところ哲学、宗教、芸術にしかない気がします。今回の上演と朗読は、まさに演劇を使って人や事象に対する「有難い」こと、よくわからないことを立ち止まって確認し、提示する場だったと思います。

泉寛介(baghdad café脚本・演出)

1980年、兵庫県生まれ。関西学院大学文学部哲学科卒。劇団「baghdad café」(2003年旗揚げ)の脚本・演出を担当。space×drama2009優秀劇団選出。大阪現代舞台芸術協会プロデュース/AAFリージョナルシアター2014~大阪と愛知~『坊っちゃん』構成・演出。コモンズフェスタ2016の一環として、2015年12月25日から27日までbaghdad café「会いたくて会えなさすぎるあなたたちへ」、2016年1月23日に新書朗読「悼みを悼むということ」を上演。今日も演劇に巻き込まれています。

interview「分」

一ノ瀬かおるさん(NPOそーね)
横山弘和さん(NPOそーね)

ちがいがあるままで共に生きるために、
「分からなさ」と向き合いつづける。
イスラームとの一年に実ったものとは。

今年度の應典院寺町倶楽部は、当事者研究に取り組むNPOそーねと共に、イスラームを学ぶプロジェクトを続けてきた。毎月3日に「まわしよみ・イスラーム」と「イスラーム読書会」を交互に開催し、コモンズフェスタ2016では六時間にわたり「懐徳的イスラーム」が行われた。今回、この一年の歩みを振り返り、一ノ瀬かおるさんと横山弘和さんの二人にお話を伺った。
――どのような経緯で、イスラームを学ぶことに決めたのですか。
一ノ瀬(以下I) 2015年1月、はじめてイスラームと直面し、分からなさと戸惑いを抱えていました。イスラーム法学者の中田考先生を應典院にお呼びできないかと思っていましたが、その直後に日本人の人質殺害事件が起き、報道の過熱により延期を余儀なくされました。それでも学びたい気持ちは冷めない中、「一年を通じた連続企画はどうか」と山口洋典事務局長から提案いただきました。
横山(以下Y) 私たちが行っている当事者研究は、自分自身について研究し、その結果を他者と共有するものです。私は仏教徒ですが、イスラームとのズレを見つめることは、自分がどういう信仰を持っているのかという探求にもつながると感じていました。
――2015年4月3日より連続企画が始まりました。今振り返っていかがでしたか。
I イスラームへの問いを深め、中田先生に質問ができる段階まで高めることが狙いでした。應典院で行われた「まわしよみ・イスラーム」は、新聞というメディアに編集されたイスラームの情報を、私たち参加者が編集し返すという、メディア・リテラシーの訓練の場になりました。
Y NPOそーねでは『イスラーム概説』の読書会を行いました。定評のある入門書ですが、ムスリムの立場で書かれていて、決して分かりやすくはなかった。おかげで、こちらから歩み寄って耳を傾ける機会になりました。二つの企画を通し、参加者それぞれの疑問を出していく中で、私たちの考え方では必ず理解不能になる箇所も見えてきた。全くちがう発想をしていることが分かりました。
――中田考先生と内藤正典先生をお迎えした「懐徳的イスラーム」が、その集大成となりました。
Y 用意した問いに中田先生から答えをいただけたことは大きかったですし、信仰者としての真摯な姿勢に感銘を受けました。今後ムスリムの知り合いができたときに、直に関わることのできるチャンネルはつくっておきたい。ライトノベルの作者としての、愛らしいお人柄も知れて良かったですね。
I 中東情勢の専門家である内藤先生はムスリムではないのですが、中東の人々に非常に心を寄せていらっしゃる。その方が、中田先生と私たちの中間に立ってくださったことが有り難かったです。中間地点から見える景色が重ねられることで、私たちも距離感を測れるようになりました。
――最後に、お二人の今後の展望を教えてください。
I 世界をひとつに同化するのではなく、「あなたの世界はそうなんですね、私の世界はこうです」と言える態度を大事にしていきたい。ちがいがあるままで一緒に生きられるはずなんです。
Y 信仰がちがっても、関係の結び方はあります。私たちの理解よりも、ムスリムの人たちの方がはるかに西洋や日本の価値観を理解している現状がある。まずはそこに追いついていきたいですね。

〈アトセツ〉

始めること、続けること、止めること、この3つの中で最も難しいことは何か。もちろん、正解はない。人それぞれである。ただ、組織運営では始めるよりも続けること、続けることより止めることの方が困難な傾向にあろう。
サリュは2008年に大リニューアルが図られた。それまでは毎号、特集テーマにあわせて趣向を凝らしたデザインとレイアウトだったが、大判へと判型を変え、内部の記事もコーナーを固定化することでデザインとレイアウトのフォーマットを定めた。変わるのは毎号の表紙の色と、そこに寄せる言葉、さらには各コーナーの中身を一文字で象徴させた漢字である。
それまで編集後記と呼んでいた部分を<アトセツ>と掲げた。幕が上がる前の前説の方がよく知られているが、後説とは幕が下りた後の説明の意味である。劇場寺院とも呼ばれる應典院ゆえの知恵だ。文字数にして611文字、編集長の責任で自由に記すことが許されたコーナーである。
これまでサリュでは署名記事にしないことを是としてきた。誰が書き手かを明確にするより、誰もが應典院の担い手として同じ水準で物事や出来事を伝えられるようにしようという趣向からなのだが、築港ARCの活動終了時の67号のみ、長らくスタッフとして担った2名の名前を掲げて記事とした。それから6年、今号をもって編集長が交代する。次号からの新展開において、何が始まり、何が続き、何が止められたか、関心が寄せられることを願う。

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