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2018/7/7 住職コラム:オウム、死刑執行。

オウムの教祖こと松本智津夫死刑囚ら教団幹部7名の死刑が執行された。平成に発生した史上最悪のテロを、年号の改まらぬ内に決着しておきたいということだろう。應典院が97年再建される、そのモチーフとしてオウム真理教は重要な意味を孕むが、またその後の日本宗教の方向軸を転換させた大きな原動力にもなっている。今日言われる「宗教の社会貢献」という公共的文脈の導入として、その役割は小さくないと思う。

死刑執行を各紙が一斉に報じた。同時に7名の死刑とは戦後最大の規模らしく、朝日は「1日に7人の大量処刑は近年類を見ない」とアムネスティの声明を紹介している。全国紙5紙を精読したが、多くは「事件の真実は解明されないまま」「オウムを再び生まない社会に」「テロ対策を厳重に」風な言説に終始され、地下鉄サリン事件から23年後の検証がなされたとは言い難い。どれも無難であり説諭的なのは、新聞メディアの限界なのだろう。唯一、日経の社説と3面「<オウム的なもの>いまなお」が独自の切り口で目を引いた程度だ。

識者のコメントにはいくつか、これを宗教事件として言及するものがあったが、私が関心を持ったのは、宗教団体という狭いコミュニティが狂気へ走る内部のプロセスだった。いくつか紹介しよう。

事件の渦中にいた島田裕巳は、そもそも「オウムは70年代半ば以降の若者に定着したオカルトやSF文化を出自の一つとしている/終末論を筆頭としたサブカルチャーが教団に強く影響」と指摘している(毎日)。サブカル世代という共通項は頷ける。では、オウムとは、日本という特殊な宗教風土が生んだ徒花なのか。
橋爪大三郎は「(20世紀後半)社会主義思想が弱まり、世界的には宗教が資本主義に対抗できる代替勢力となった。日本の仏教は保守的でキリスト教は広がっていない。そこに現れたのがオウム真理教」という(日経)。だとしたら、「一切の思考を停止し、自立を放棄し、個を滅して全体の尽くす/この社会を標的に救済という名の戦争を仕掛け」(元朝日新聞編集委員の降幡賢一)させたのは何だったのか。それを、川村邦光は、「宗教とテロはどう結びついたのか。言葉や行動が先鋭化していく過程には、どのような事柄があったのか」と問いかける(読売)。

松本死刑囚が何も語らず絞首台に消えた今、それを解き明かすことはできない。が、案外、教祖と弟子の相互の忖度が生み出した結果という、以下の森達也の発言が一番しっくりいく。
「教団が潰されるのではないかという麻原の危機意識と、殺すことが救うことと通じてしまう宗教の論理。そして麻原が喜ぶであろう言動をしようとした弟子と、弟子が期待するであろうとふるまった麻原との「相互忖度」です」(朝日)。

教祖麻原と私は同年齢である。同じ時代の空気を吸い、同じようにサブカルに親しんだ。サリン前のオウムに対し、暗い関心を持っていたことも白状しよう。しかし、なぜゆえ彼らは荒唐無稽なサブカルの世界へと迷走してしまったのか。それを抑止する精神の重りはなかったのか。伝統宗教は相変わらず口をつぐんだままである。そういえば死刑を報じる5紙のどこにも、宗教者の声は見当たらなかった。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)