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2019/6/26~27 影舞の会(二)~演じるのでもなく、型もなく、人と人が向かい合うことから、生まれ、聞こえ、見えるもの~

<應典院寺町倶楽部協力事業>

5月に應典院での第一回目を開催しました。
こうした機会、ご縁をいただき無事にひらきとじることができ、
とてもよかったです。「よかった」には様々なものが含まれます。

ご参加くださった方々、関心を持ってくださった方々、ここまで導いてくださった皆さまに感謝いたします。
当日の感想は、その時そこに表わされたものの他は、参加された方々それぞれの御胸と体感のみにあると思います。

そこではなされた声や言葉や動きがこの(二)に続くものとなり、
ご希望をいただき再びこの会をお知らせさせていただきます。

影舞は何度体験してもその度に違いのあるもので、
体験の重なりから深まるものや奥行きを増すものがあるように思います。
なので、直接お声をかけていない方にも届くよう、
今回は前回のご案内文をそのままこちらに置かせていただきます。
一読いただけましたら幸いです。

影舞 應典院(二)

人がいて、真剣な遊び。

應典院で影舞をする。
この人たちと影舞をしたいと思った。
「その影舞というものを見たい。」と言われた。
ご縁いただき、この企画を立てました。
そのことについて考えます。

應典院という場所であること、
影舞と呼ばれるもの、
このご案内の届く方々、私という人間。
経緯や要素や思ったことを
ここで簡潔に語ることができません。
ですので、これをお読みになる方が今きっと
最も疑問を持っているだろう影舞について、
少し思うところをお伝えしようと思います。

影舞と呼ばれるそれは、
様々な文脈に位置付けることができます。
真剣な遊び、
人との関わりについての学び、
一つの民衆芸能。

ですが、そのものを説明することは
困難なものです。
それは、私がある時言われた
「影舞というものがあるわけじゃないんだよ」
ということと関係しているように思います。
影舞は動きであると言えるかもしれません。

ここにあらわれる動きは、
組になった二人が向かい合い、
二人の指先と指先がその間に
モンシロチョウを挟むように
潰さぬよう飛んでいかぬような加減で触れて、
始まります。

そこからどのような動きになるかは
その二人にもわかりません。
その時それぞれに起きているのは
どんなことでしょうか。
二人の間には何が生まれているのでしょうか。
あなたとわたしとあいだ、なくなる区別。
それは本当だろうか。

そこに「表現」はないようです。
それを見る人には、何がどのように見え、
聞こえてえているでしょうか。
聞き覚えのある音楽を合わせた時、
場所が古い民家であった時、
舞い手が知っている人だった時、
桜の舞う下での時。

このようなもので、見ることはもちろん、
踊りや舞台などの経験がなくても
身体に不自由があっても誰もができるものです。
よろしければこの場をご一緒しましょう。

ご縁ありましたら、お会いできることを
楽しみにしています。

場をひらくことの畏れと楽しみ。
私にとって、円坐、影舞、未二観は、
人と一緒にいる、
どんな人とでも一緒にいることの実践であり、
自由であること、
人がその人として居られるための試みであり、
聴く人、聴こうとする人が
世の中に増えたらいいという思いからの
学びと遊びと時間の分かち合いです。
そうあれば、世界は面白いから。

主催:音惟(おとい)
場をひらくこと、ひらいておくこと、
聴く/聴こうとすること、人といること。
まだまだその駆け出し。
心の中にはロックとパンクを。
この場も、自らの道行きも、
これからどうなるかわかりません。
それでも、引き受けていくこと。

円坐と未二観と影舞を体験させてくれた
橋本久仁彦さん、その学びを深めてくれた
田中聰さん、松岡弘子さん、先日解散した
fence worksの皆さん、それらの学びへ
導いてくれ共にした皆さんにお礼申し上げます。

内山丈寛/おとい

日時

2019年

6月26日(水) 18:30~21:30
6月27日(木) 18:30~21:30

※二日間の会です。二日目のみの参加は不可。

会場

浄土宗應典院 二階 気づきの広場

定員

15名程度

料金

お金のご寄付(0~∞)、物、事、何れでも時間の間隔があっても構いません。

お申込先

enza.otoi@gmail.com

お問い合わせ先

enza.otoi@gmail.com

詳細HP

https://peraichi.com/landing_pages/view/otoi0kagemai1