2019/3/02 住職コラム:誰にあなたの「弔い」を委ねるか。
大蓮寺がNPO法人りすシステムと生前契約を始めたのは、今から5年前である。永代供養墓を始めた当初から、契約者の多くが単身者で、死後の葬儀や埋葬の「責任」をどう果たすべきか、思案を重ねてきた。
最初はりすさんからのオファーが先だったのだが、正直言うと、私には「生前契約」という言葉にも軽い抵抗感があった。何事も契約本位で、本人はまだ元気なのに、早々と「葬式はいくら」「お布施はいくら」と金額を明記させようとする。人の心境は移ろうのに、そういう計画主義にもためらいがあった。
そう構えていられなくなったのは、単身契約者の増加以上に大蓮寺の檀信徒からも同様の相談が出てきたからである。「私のお葬式はお寺で」と言ってくれても、それを死後誰が執行するのか、お寺は「そちらからどうぞ」と不問にしてきた。寺の責任範囲はこの10年で一気に拡大した。
以来、永代供養の生前申込者から、大蓮寺の檀信徒へ利用者は広がり、合わせて10名を超える。お寺的には「お葬式とお墓」なのだが、りすの守備範囲はもっと広い。単身者の住居の世話、入院の保証人、時には買い物の付き添いまで、死後事務のみならず膨大な生前事務まで対応している。公的福祉ではない。頭が下がる。
こんな体験もある。永代供養墓の契約者だったJさんが亡くなった。長い施設暮らしだった。りすさんが対応して、先日、お骨をお墓に埋葬した。納骨法要には、私と連れ合いと、りすの職員2名のみ。血縁者も友人もいない。Jさんの末期、いちばん親しかった(頼りにされた)面々である。さびしい最後という人もいるかもしれないが、Jさんは望み通り、大蓮寺のお墓に埋葬され、永代に供養される。自分の遺志をこうして確実に遂行されること以上、彼女の安心はなかったのではないか。
大蓮寺の取り組みが多少先んじたのかもしれないが、今度、私の友人たちが中心になって「お寺を中心とした生前契約システム」を作り上げた。お寺自体が窓口になって、生前死後の様々な生活課題を専門家に取り次いでいこうという仕組みである。プラットフォームとしてのお寺の役割がクローズアップされている。どこまでお寺の資源力が活かされるか、まずはセミナーから始まるそうだが、今後に期待したい。
「最後まで自分らしく」ありたいのであれば、「誰に」とむらいを委任するのか、極めて重要な課題だと思う。