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2019/4/10 住職コラム:「ともに生きる仏教」はなぜ関西なのか

4月の6日に「ともに生きる仏教」(ちくま新書)刊行記念のセッションを開催した。執筆者全員が揃った光景は、それ自体が日本仏教の転換点のようで、感慨深いものがあった。
時間切れで言及できなかったのだが、同書の活動がなぜ全て関西圏で起きているのか、という点を補足しておきたい。果たして「仏教の社会貢献」の波及に、地域差はあるのだろうか。

確たることはわからない。もちろんご同郷で仲がいいから、でもない。
私の憶測に過ぎないが、関西圏の特異として大本山、教団本部が集積している点と関係はないだろうか。エスタブリッシュメントの勢力が強い、そのことが逆に社会活動をい意味で批判したり、内省する力を鍛えているような気がする。既存の体制と新しい事象がせめぎ合う、互いを刺激しあうことは、私は健全だと思う。
月参りの伝統も根強い。檀信徒との日常的な信頼関係は根強いし、社会的な寺院活動に対する認識や解釈が進む要因ではあるだろう。「おっさんがやってはるなら間違いなし」なのである。
一番それらしいのは、関西のローカルメディアは宗教をしっかりフォローしているという点だ。宗教関連の記事は首都圏版と関西版では待ったく扱いが違う。それだけ関西では「記事ネタ」として、お寺や僧侶は魅力があるのだろう。メディアが仏教の社会貢献の基盤を支えてきたことは確かだ(もっぱら活字メディアに言えることだが)。

いや、首都圏にはそれはない、乏しいという気はさらさらない。しかし、ローカルという点から見て、日本最大のローカル仏教は関西に根ざすというのもなんとなく共感してもらえるのではないか。お寺おやつクラブのような草の根ネットワークは、東京では生まれにくいように思う。私の直感なのだが。

 

 

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)