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2019/6/23 住職コラム:もっとしなやかに。ニュートラルな仏教者たち。

昨日、井上広法さんと松島靖朗さん、大西龍心さん3人に「ともいき堂」のお話をする機会に恵まれた。聞き手がすばらしいから、いつも以上に喋りすぎてしまった。
よく知られているように、井上さん、松島さんは、浄土宗僧侶のトップランナーである。社会を見る目は確かだし、メディアへの登場も多い。大西さんは真言宗の方だが、彼ほど勉強熱心なお坊さんを見たことがない。温厚かつ知的な善知識である。

應典院がスタートした時、私は41歳である。30代の大半は、教団活動に居場所がなく、NGOの活動に逃避していた。寺社会の常識の壁の前で、もがき苦しむことも多かった。その最中、神宮寺の高橋卓志さんに出会って、「出過ぎた杭は打たれない」という言葉をもらって、刮目した。ある意味、私は教団とか体制に対するアウトサイダーの立場を自覚していたのだと思う。孤独ではなかったが、仏教界に友といえる人は少なかった。

井上さん、松島さんが大学を出た頃すでに應典院はあった。寺で見てきた当時の若者は、就職氷河期世代でもあり、またNPOや起業家として社会を切り開いた世代でもある。そこともピタリと重なる。2000年前後、「社会参加仏教」みたいな堅苦しい言葉が浮上したが、3.11以降彼らの活動は、そういう特別感を取り払って、新しい風を吹き込んでくれる。宗派の魅力を存分に発揮しながら、しかし個別の感覚を損なわない。宗内外の人や寺を巻き込み、軽々と繋がっていく。アウトサイダーでもインサイダーでもない、ニュートラルな存在だ。

應典院を22年もやってきて長すぎたかな、と思う時もあるが、私からするとこうした「次世代」に出会えることが何よりうれしい。少し元気が出ました。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)