電子決済でもご利益に変わりなし、賽銭泥棒予防策、とか世の時流に乗って、拝観料、賽銭をキャッシュレス化する波がすすんでいる。先週、京都仏教会は「宗教行為の商品化」と反対表明をしたが、寺社側のそういう自重本能みたいなものが相当劣化してきているように思う。年末年始など「繁忙期」だけ電子決済OKという寺社もあるらしい。
一方で決済業者も対応はいろいろで、Apple Payは某神社の利用申請を審査段階で認めなかったという。そういう業者側の倫理観があって安堵するが、寺社側にはデータビジネスの片棒を担ぐ認識はあるのだろうか。
かつて日本の経済倫理を先導したのは、宗教、特に仏教の役割であった。寺西重郎「日本型資本主義」(中公新書)にこうある。
「かつて日本型資本主義を形成したのは、宗教に関わる経済活動の文化的伝統が日本にあり、遠い鎌倉時代の新仏教に根ざした資本主義の精神が求道的職業倫理という形で日本にも実在した」
一般社会以上に、問われているのは寺社側の職業倫理ではないか。