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2021/12/7【住職ブログ】コロナ禍によって供養を思う心は増している。

以前大蓮寺さんでお葬式をした。私の時もぜひこちらにお願いしたい。そういう家族がいると、うれしいというかありがたい。お寺にはホテル並みのサービスや、従業員もいない。お寺葬では葬儀社のスタッフはすぐ帰ってしまうので、通夜式の後は家族だけがひっそりと密な時間を過ごす。テレビもない。Wi-fiもない。不便だが、いつもと違う夜だ。
1泊して(これも少なくなりつつあるが)、翌朝、お葬式までのひと時、隣隣する幼稚園の園児たちの朝の運動が始まる。ご遺体のそばにいながら、ガラス窓一つ隔て向こうに若すぎる人たちの黄色い声が弾けるのである。大抵の遺族は、しばし見とれる。目を瞬かさせる。これがうちの葬式の最大の特色かもしれない。

株式会社寺院デザインから、「全国生活者意識調査・コロナ禍と仏事」の調査結果が送られてきた。昨年に続いて、コロナ禍及びアフターコロナにおいて、生活者が仏事(葬儀、法事など)についてどう考えているかを調査(令和3年8月)し、日本人の死生観を考える資料とするのが目的だ。
去年、ワクチンも行き届かず得体の知れない不安にあった状況と比べると、幾分か生活者の意識に変化が見られる。調査者は傾向として2つまとめている。
一つは供養を大切に思う気持ち、供養に関わる行動が高いポイントを上げていること、二つはオンラインの儀式に違和感を感じる人は3割(36.0%)を超えており(昨年の21.0%)、大幅アップしているところである。
一つ目は、以前書いた「弔い直し」でも言えるが、昨年供養自粛というような状況からある種のリバウンド現象かも知れない。習慣性のあるものは、習慣であるがゆえに一々その価値を認識することがない。それがコロナとなって不自由さや制限が生じる中、改めて習慣が意味付けられたということだろうか。昨年の各種レポートは軒並み「法事(収入)が減った」「葬儀がなくなった」と嘆くばかりだったが、今後教団のレポートがどう変化していくか興味深い。
むろんすべて元通り、というわけではない。調査ではもう一つの傾向として、「儀式の簡素化を望む方向」「パーソナル化」を挙げているが、コロナ以前からもあった供養のミニマム化がさらに浸透していくとしている。この流れは今に始まった事ではなく、「家族だけで」という量的な縮小は今後も加速していく。うちのお寺でも、感覚として7割は2親等までの家族で行うケースではないか。外からお客さんを招かない傾向は強い。
少人数だからお布施が減る、という感じ方はない。それより家族だけがより親密な供養空間を形成していく。社交性が乏しい分、お寺との距離も近くなる。その証拠に、(家族だけで)「(法事に引き続き」お寺で会食したい」という声は回復傾向にある。
いや、そもそもお寺とは関係しない「家族による供養」もあり得るのではないか、とレポートは示唆している。「お寺にはお願いせず、家族だけでお墓参りをすればいい」と回答している人は30.8%あって、昨年の22.5%からアップした。供養というのは仏法僧を敬うことが原点だが、「マイ供養」故人を偲ぶフリースタイルも増えていく。それも現代的な信心に心象であって、これを「寺離れ」と憤ることもない。お寺にお墓があるということはありがたいと思う。
二つ目のオンラインの儀式に対する違和感だが、この調査が40代以上を対象としているので、決定的にマイナス感情と言い切れない。8月に発表された別の調査(一般社団法人お寺の未来総合研究所「寺院・神社に関する生活者の意識調査」20代〜70代1万人サンプル)では、若年層ほどオンラインに肯定的な人が増える傾向が見られとしている。住職も含めネット世代が多数派を占める時代になりつつあるが、今後の動向はまだ読めない。

私がもっとも注目したのは、「お葬式は何のために行うと考えますか」という設問への回答だ。「故人を成仏・往生させるため」が 30.3%、「故人を供養するため」が 61.8%
、あるいは「亡くなった家族は、どにいると思いますか」に対し、「あの世にいる」「浄土にいる」とそれぞれ35/0%、29.3%が回答している。それが多いか少ないかは判定できないが、そういうふうに返ってくること自体がありがたい(先のお寺の未来綜合研究所の調査では、「生活者における<あの世観>が劇的な高まりを見せている」と要約している)。
それを住職の教化の賜物といえるかもしれないが、それよりもコロナ禍にあって、お寺が日常の関係を絶やさずに紡いできた関係の成果とした方が、私には得心できる。コロナ1年半、生活者の心象だけが変化したのではない。

コロナ2年目の今年、大蓮寺ではお寺葬が増えた。葬儀社のサービスも最小限なのだが、家族だけの葬儀となってその分、本来の姿に近づいているように思う。昭和的風景ともいえるが、違うのは家族だけで営まれることが多いということだ。
お寺という伝統空間で醸し出される親密感は、生死の物語に対するある種の素直さを引き出す。世俗的な構えから少し楽になれる。コロナは、私たちが忘れていた「畏敬の心」を想起させているのではないか。
「私の時もぜひ大蓮寺さんで」。そういう信用を裏切ってはならない。

*「全国生活者意識調査・コロナ禍と仏事」の調査結果は、以下から申し込めば無償で提供してくれる。 http://www.jiin-design.co.jp/blog/?p=1205