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2022/5/7【住職ブログ】念願の五重相伝、ついに成満。

コロナ下の五重相伝が終わった。浄土宗の要義を5日間に渡って受者に相承する最大の在家修行である。開筵の年にコロナとなって延期すること2度、感染対策をとりながら無事52名が満行を迎えることができた。じつに感慨深い。
いろいろ記録しておくべきことはあるが、今回の最大の決断は「受者分散、会場分散の道場の中継」であった。本堂椅子席で密を避けるには30名が限界、隣接する書院に大型スクリーンを設置して、動画中継することにした。受者は2班に分かれて、午前午後交互に会場を入れ替わる。つまりご勧誡(説教)の半分(2日間に当たる)はスクリーンで聴聞することになったのだ。
五重相伝は口授相承の伝統がある。つまり、口外はもちろん記録も禁じられ、中継といて「映像化(データ化)」などもってのほかであったはずだ。収録(つまり再生)が目的ではなく、密回避のため苦肉の索であったのだが、それでもタブーに近いのでは、という畏れがあった。
私が最も危惧したのは書院における受者の座の乱れであった。動画相手なので、空気も弛緩し、机があればそこで居眠りする人も出るだろう。トイレだ、携帯だと席を立ち、緊張感が保てなかろうと覚悟した。仕方ない。コロナの臨時仕様だと言い聞かせた。
それが今、実際に終えて、杞憂であったと安堵している。居眠りどころか、この期間、スクリーンを見ながら、熱心に礼拝する受者の姿に胸打たれた。執持の僧侶たちが「本堂内同様の真剣さ」と絶賛してくれた。机があってメモがしやすいという受者からの声もあった。
意外であると同時に真反対の模索も生まれた。私も含め、僧侶は修行の中継など、「本物でない」「宗教体験がない」と邪道視してきたが、ある程度まで動画で可能な範囲は広がるのではないか。先生が熱弁してこそ本物の授業であるといっていた「常識」も、この2年で転回した。動画の活用次第で、五重相伝も縁を拡張し、若い世代を惹きつける事ができるかもしれない。
また、「五重相伝は人が集まらない」「準備が大変」という寺側の課題は、一定量解決できる。やり方次第で、費用も時間も格段に節約できるはずだ。
慎重さは必要だが、動画を全否定するのではなく、ポストコロナの五重相伝として再考すべき時を迎えているのではないだろうか。大層がっているうちに廃れてしまわないよう、もっと試行錯誤があっていい。テクノロジーは、信心と反発しないのだ。
もう60代後半の私には難しいが、若い世代にぜひ届けたい課題ではある。
ご勧誡の葭間上人、回向師の吉原若上人、執持の皆さん、すばらしい五重相伝でした。2度も伝法を勤めるなど、じつに有難い経験をさせてもらいました。感謝申し上げます。南無阿弥陀仏。