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2023/5/25【住職ブログ】「菩提寺恐怖症」と「菩提寺無関心症」

「菩提寺恐怖症」という言葉があるらしい。葬儀社のスタッフが、式場にやってきた住職に威圧されたり叱責を受けて、恐れおののく。若い社員は、それがダメージになって退職するケースもあるらしい。何かの折に、控え室に来たスタッフから「他のお寺さんは厳しくて」とぽろっとこぼされたこともある(私が何か格別に優しくしている自覚はないのだが)。派遣の僧侶は優しいと聞いたが、わかるような気がする。
アウェーだから肩に力が入るはわかる。檀家の手前もあるだろう。しかし葬式の主人公は故人であり、遺族であろう。自分の役務はわかっているはずだが、なぜか極端にエラそうに振る舞う人がいる。皆が平伏してくれるから、威厳があると勘違いしているのだろうか。葬儀社に意思を持って入社した若いスタッフが、「菩提寺」という専門家に幻滅していく。残念なことだ。
話は変わるが、コンサル会社から「お寺の営業活動〜檀家を増やし関係性を深めるために」というセミナーの案内が来た。
寺院デザイン https://www.jiin-design.co.jp/kassei/archive/050629.html

ズバリ「営業活動」とはわかりやすいが、過剰に押し付ける意味ではなく、時代や状況に応じたコミュニケーションができているかという問いかけだろう。「何もしなければ檀家が離れていく時代」だから、メンテナスをしっかりつないでいく。永代供養墓だ、樹木葬だと新規開拓をいう前に、今いてくださる檀信徒とのご縁を紡いでいくのだ。今の檀信徒が代替わりされたら、次世代とお寺とはそのままの関係が持続していくのだろうか。
「菩提寺恐怖症」はアウェーの話だが、ホームでは「菩提寺無関心症」がジワリと広がる。「檀家が檀家で居続けてもらうために、お寺から働きかけが不可欠」であれば、それは依頼された法事だけこなせばいいというものではないだろう。関心をもう少し深めて、「お寺が好き」「がんばっているな」「檀家を続けたい」と思ってもらうような、熱意や行動の可視化が必要だろう。ありていに言えば「菩提寺ファン」になってもらうのである(このあたりは、佐藤尚之さんの「ファンベース」 が必読)。
聞法の会も結構、子ども会も結構、若い副住職が外で出会ったもの、学んだものをインスタに発信するだけでもいい。お寺が伝承と習わしの繰り返しに甘んじているだけでは、関係はさらに萎えていく。尼崎の西正寺さんの始めた「寄付募集サイト」なんて、新しい応援=関係システムとして画期的な試みだ。
http://saishoji.net/archives/1092?fbclid=IwAR1jeFILeYqb8ZK6O6iDdb81AnJKxjuVVDRjf7877cIhbITnh9dtcL_g0io

改めて、「菩提寺恐怖症」はよくない。威厳なんて、格好つけるものじゃない。「お寺さんも大変やから、あれはストレス発散」なんて陰口言われないように。