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2023/7/20【住職ブログ】井出悦郎さんの新著「これからの供養のかたち」を読んで

週刊東洋経済が「宗教の消滅危機」特集をやっている。「消えゆく寺/墓/葬儀」と、いつものごとく扇情的である。経済誌がこういう特集を周期的にやるのは、一定の読者がいるからだろうが、ビジネパーソンがそれほど弔い事情を知りたがっているのだろうか。誌面の伝統教団トップのインタビューがちょっとつらいものがあった。
お寺や葬送をめぐるメディアの言説で、変わらず基調となるのは「古い」「高い」「いらない」の3本調子である。コロナの渦中にあって、グリーフや弔い直しについて言及したものもあったが、お葬式やお墓など供養をめぐる批評は、「エンディング(産業)」に置き換わり、経済問題、消費問題として扱われることが圧倒的に多い。ビジネス雑誌もそう、新書もそう、乱発される終活本もまぁその一種だろう。
かたや宗門や教団から出される教化本や指南書の類は、今もって「昭和」のままである。言葉も表現も、スタイルも不変不動であって、社会や時代を反映することはまずもって見られない。これを言説とはいえないかもしれないが、煽り上手なメディアの前であまりに脆弱にすぎないか。時に時代錯誤とさえ映る。
同時期に、友人の井出悦郎さんの新著「これからの供養のかたち」(祥伝社新書)を読んだ。現代を見ながら、誠実に供養を論じ、一言で言えば、読んでいて安堵と充足が得られる。新書だから経済誌と同じく中年男性を読者層に想定しているのだろうが、あまりの落差ぶりが気持ちいいほどだ。
際立っているのは、「供養の英知を持つ多くの僧侶に力を借り、現代における死者とのつながり、供養という営みについて考察」する立場をとっているところだ。過去の遺物か、欲の塊のような僧侶像とは違う、きわめて温厚で、しかも社会の情勢や課題に通じているお坊さんたちが、本書には多数登場する。
「供養と幸せ」についてこんな住職のコメントがある。
「亡くなった人にまで気遣いや思いやりができる人は、生きている人にも思いやりがあると感じます。仏様や先祖への対応は、そのひとの周囲の対人関係と一致している。(中略)供養で見える気遣いや真摯な態度は、一事が万事で、人生のいろいろな側面でつながっていると思います」
メディアでは殺伐と描かれることの多い仏教界だが、この本の中に登場する僧侶たちはみな微笑を浮かべている。謙虚にして、苦に寄り添う。それが本来の姿ではないか。
コロナ禍は、人々の死生観に大きな影響を残した。供養をきちんと考えたい人はたくさんいる。それは多分ビジネス誌を読んでいる自分とは異なる、もう一人の自分の心の投影でもあるのだろう。はじまりは死者のため、縁者のための供養だが、最後は供養を通して世界の見え方や人間の見え方が変わっていく。魂が成熟していくのである。
「あなたは死後にどのように送られ、供養されたいですか。そしてどのような先祖として記憶されたいですか」(本書の帯)
これが本書のメッセージだろう。
著者は東大卒の経営コンサルタント。一般社団法人お寺の未来を主宰する。終活コンシェルジェだけでなく、こういうスタンスから仏教や供養を語る人材にもっと出てほしい。