2024/4/7【住職ブログ】弱さが生み出すコモンズ
医療現場では献体の「需要」が高まるが、コロナの影響で不足の傾向があるという医療記事を読んだ(朝日・3月27日)。解剖学や手技訓練に欠かせない献体だが、記事は医療サイドの事情のみに終始している。おや、と思う。おひとりさまが死後への不安に駆られて、献体は「供給」過多になっているという話ではなかったか。私の関心は、若い医療者の倫理観なのだが。社会部が書けばまた違う切り口になったのか。メディアも自分の都合で、「編集」している。
医療の事情、社会の事情、いろいろあるのだろうが、では個別の死生観はどうか。メディアのいうデータばかり気を取られ、「世の中そうなっている」と鵜呑みにしていないか。育児も看取りも葬式も、いのちにふれる経験が、身近な生活圏にあるはずなのだが、全部専門家任せになっていて、自分ごととして考えることが乏しい。いのちの営みが「負担」になり、やがてサービスの対象となり、外注化されていく。そうやって遠ざけていくうちに、私たちの内部には、軽石のような死生観しかできなくなったように思う。
應典院のあそびの精舎の主題「ライフコモンズ」の一等最初は、大きないのちに気づくことからの出発だ。「他力」によって生かされていることに自覚的になる。そして、互いの弱さを気遣いながら、「生き方」を見つめ直し、「暮らし」を支えあう。コモンズは、そういう土壌を耕さなければ生まれてこない。
その豊穣の原野が、私たちが生きる(暮らす)地域だ。出産、子育て、介護、看取り、葬式など人生の節目節目に直面する「弱さ」こそ、地域のコモンズを生み出すリソースに違いない。産むも、死ぬも、一人では成し得ない。そこから生まれる互恵的かつ利他的な関係が、ライフコモンズを開く重要な鍵となる。
「産む」と「死ぬ」から、生きるをめぐる場が必要だ。「むぬフェス」に、ぜひ「あそび」に来てください。