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2024/4/21【住職ブログ】あそびの精舎スタート~ひらかれたお寺、次の世代へ

 應典院あそびの精舎がスタートした。交流会を含めれば3時間超のタフな場であったが、心底うれしく、またありがたく思った。
 信頼するある人が「次のプログラムと、次の人材がはっきり見えて良かった」と褒めてくれた。一緒に仕事をするDeep Care Labの二人もそうだが、セッションの最後の指名があって、息子が登場したあたりを指しているのだろう。30代によって應典院を再起動していくのだ。
 私は最初の30分、あそびの精舎の具体的な活動について話をした。
1日から開業した「パドマエデュケーションセンター(P E C)」はセカンドフロアに位置するコア事業なのだが、それをソーシャルビジネスとか言わないにしても、とびきり若い世代がいてくれるだけであそびの精舎の層は分厚く、また明るくなる。保護者たちがお迎えの前後に、少し溜まり場を使って語り合う場面も、ピアサポートのような希望を予感させる。
 しかし最大の特徴は、「活動」というより、この場所の在処についてであろう。眼前に広がる広大な墓域と森。見守ってくれる祖先と土地の歴史が、あそびの精舎を土台から支えている。「現在こそ絶対」という過信を超えて、私たちに深い時間(Deep Time)、深い思考(DeepThink)の機会を与えてくれる。未来に生まれてくる人にとって、私はよき祖先となれるのか。動的な活動を鎮めてくれる静的なまなざし。「グッドアンセスター」の問いかけだ。
 D C Lのコンセプトにもこうある。
 「わたしの外に想像力をひろげ、あらゆるいのちに生かされている<わたし>になる」
 そこでいう想像力とは広大無辺であり、子ども期以来忘れてしまった質のものであるのかもしれない。私のように老いていく者は、祖先と若い人の力を借りながら、そこへ向かっていくしかない。
 セッションの最後に、D C Lの田島さんが「あそびの精舎は應典院だけじゃない。地域のあちこちに同様の場所が広がっていってほしい」と述べた。私は住職なので應典院が主語になりがちだが、もとより構想は世界に向けてひらかれている。「ひらかれたお寺」の、これは最終章になるような予感がしている。
 内装設計のdot architects.の家成さん、宮地さん、床画の木下さん、駆けつけてくれてありがとう。最初の「協働」がアーティストから始まったのも、應典院らしいと感謝しています。