イメージ画像

2024/6/11【住職ブログ】「精神的な拠り所」をいかに存在させていくか

2023年の出生数が、75万8631人となり、統計開始以来、過去最少を更新したという。結婚の件数も49万と一昨年より3万組減少しているらしいから、今年は70万を切るのではないかとの予測もある。
私は幼稚園(学校法人)の理事長も兼ねているので、確かに死活問題である。身近なところで、子ども施設の廃業が相次いでいる。いや、日本の産業も福祉も安全だって次第に脅かされていく。国も自治体もあの手この手を繰り出すが、未来は確実に縮んでいくのである。
とまぁ、世間同様に同調してみたのだが、こうした論調に違和感がある。子どもや未来を数字だけで語り(語り尽くす?)、その解決法がテクノロジーの進展というような文脈に、あまりに飼い慣らされていないか。そもそも幼稚園の園児(子ども)に、75万の一人という認識はない。戦後間もなくは200万いたというが、子ども一人のかけがえのなさは出生数がどうあろうが、まったく等価である。いのちとは絶対固有の存在でなくてはならない。
しかし、メディアがあれこれ論評しなければならない立場はわかる。学者もそういう見識を求められるのだろうから、それも認める。しかし、教育者や宗教者まで、同じように人口減少を嘆いてばかりでいいのだろうか(教育学者も!)。教員や僧侶は、子どもや社会をもっと異なる眼差しで見てきたはずで、それを「他者」の声として届けるべきだと思う。
もちろん道徳的に倫理的に一人のいのちを受容・肯定していくことも必要であろう。しかし、経済成長が最大の共通価になっているこの社会では、視界を広げて語り直すことも重要だ。たとえば経済でいえば、ローカル経済、ケア経済というような「経済と倫理の融合」という視点がありうるだろう。その原理として、贈与とか利他、慈悲(コンパッション)といった(宗教的)思想が活きる。
あるいは、集団性と同調性を優先してきた社会に対し、個人をベースとしてゆるいつながりを多様に作っていくことも必要となるだろう。人と人の関係性をグローバルの支配ではなく、網の目のようにローカライズしていく。場所やコミュニティを縁起によって再建していくのである。これらはすでのいくつかのコミュニティで発生していることである。
以上は愛読している広井良典先生の「人口減少社会という希望」からの受け売りだが、同書でも指摘されているように、こうしたポスト成長社会においては、詰まるところ(普遍宗教なども含め)「精神的な拠り所」の存在感が重要となっていく。そういう価値原理が土台にあって初めて、経済と倫理の融合も、関係性のローカライズも実現性を増していくのである。
理論化はすぐに難しくとも、宗教にも教育にもローカルな現場がある。子どもがいる。宗教者や教員が、社会の中間者として語るべきことはたくさんある、と思う。
應典院あそびの精舎では、10月に向けて「小さなあそびの芸術祭」を企画している。隣のパドマ幼稚園も連携して、子どもとアートをテーマにするが、レッジョエミリアを気取るつもりはない。強いていえば、人口減少社会において、私たちが子どもからこれからの世界をどう構想するか、希望を紡ぐのか、その野心的な試みである。期待してください。