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2024/7/2【住職ブログ】AIなんかに負けない。ローカルなおっさんの力

A Iの進化が止まらない。ドイツで自然な言葉で説教する人工知能が登場した。米国ではA Iを神格化した仮想の教会もあるらしい。手塚治虫の漫画通りだ。
「生成された神」について、日経新聞「テクノ新世」シリーズに掲載されている(6.18)。なんでもありのA Iトレンドだからもはや誰も驚かないが、この手の話になると、日本では京都大学の「ブッダボット」(原始仏典8万点を学習したA I)が必ず引用される。テクノロジーの進展が、仏教界を衰退に追いやるような論調だが、こと寺院活動についてA Iが侵蝕するような事態となるのだろうか。A I葬儀とかA I法話とか、漫画的ではあるが、ちょっと違うような気がする。
欧米が危機感を持つであろうことは何となく予測できる。飛び抜けた言語データを備えたA I牧師が、並の宗教者を凌駕するのかもしれない。しかし、日本の仏教界において、どれだけ法話がうまかろうが、それが高速で、多言語であろうが、こと地域社会において絶対支持の要件とはならない。「(関西風に)うちのおっさん」は、そういうグローバルなスキルではなく、地元に馴染み、檀信徒と親しくつきあい、社会に貢献できるローカル力こそ本領なのだ。泥臭くて、地味で、慎ましい、そういう存在感が、日本仏教の真正性なのだと思う。
コラム氏の論調に異論はない。しかし、日本の宗教シーンを扱うのであれば、生活や暮らしに溶け込んだローカル仏教にこそ視点を当ててほしい。A I時代に取り残された、周回遅れの「先進性」が、確かに生きている。