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【スタッフコラム/インタビュー】再スタート「まちの保健室」を作る方々

「まちの保健室」を作る人々

あそびの精舎プロジェクトがスタートして数か月。コロナ禍からずっと続けて開室してきた「まちの保健室」が新たになりました。毎月第1と第3水曜日の10時~12時。ご近隣の方、幼稚園の保護者の方、檀家さん、そして近隣の福祉に携わる方、薬剤師さんなど、いろいろな方を巻き込む流れを作るのが、看護師の宮川栄美子さん。

看護師で上智大学グリーフケア研究所で学ばれ、臨床傾聴士、臨床スピリチュアルケア師でもある宮川さんをコーディネーターにお迎えして、大蓮寺の徒弟であるスタッフの沖田都とともに、様々な外部機関とも連携した場が月2回、地域にひらかれています。そこには近隣の社会福祉協議会の方々や地域住民の方、檀家さんなどが参加され、色々なことを気軽に相談できる場として新たに生まれ変わりました。

病院などの医療機関でもない、薬局でもない。学校の保健室でもなければ、、、、床絵に五色の蓮の花の絵が描かれたロビーを見て、色のフィルムを貼ったガラス戸を見て、ベルリンに来たみたいだ!とつぶやく高齢者も。そう、ここはお寺。

昔は施薬院などの「医療福祉施設」も病院が担っていた時代もあるお寺。今の時代におけるお寺の役割として、ちょっとした健康のことをお話をしながら、人と人とをつなぐ役割としての「まちの保健室」。にぎやかなお話の後に体重や血圧を測ったり、幼稚園の保護者の方が子どもの健康のことで相談があり、心配で涙ぐまれる場面に寄り添うことも。また、気になっている今の状況を看護師さんや薬剤師さんに話すことで、別の病気の可能性もあると言われて、医療機関へつながったケースもあります。

人と人が暖かくつながる場としての原風景

コーディネータの宮川栄美子さんに、これまでの人生を聞いてみました。

北摂の京都と大阪の間に位置する高槻の新興住宅地にある商店街で生まれ育たたれた宮川さん。クリーニング屋さんの娘さんとして、商店街での人々の笑顔やたわいもないことでおしゃべりが弾む場面に小さい頃から親しんできました。彼女の原風景は「商店街」で触れ合う大勢の人と笑顔。宮川さんは所謂、親の敷かれたレールでの「良い結婚」に疑問を持ち、京都の宇多野病院の看護学校へ進学されます。当時の宇多野病院は筋ジストロフィー症やてんかん患者さんの特別な研究科もあり、宮川さんは看護学校で3年、その後宇多野病院のオペ室勤務で10年勤務されました。その間、ご結婚をされ、金沢へ移住されて出産。その後、滋賀県に戻られ、子どもを育てながらもNPO法人の活動で、幼稚園の健康教室にパペットや紙芝居をもって回られたり‥。看護学校で10年ほど教員をされた後、看護協会で地域包括支援の仕事でパンフレットを作成されたりも。今の看護協会の、まちを包括した地域連携の礎を作っておられたことになりますね。

そして、看護協会で働かれる中で、グリーフケアの勉強をされるために、上智大学グリーフケア研究所へ。グリーフケア研究所で学びながら、また、看護師としても現場での実践をされつつ、「地域共生とグリーフケアの聞法会館」という看板を掲げておられる大阪市平野区の一般財団法人安住荘でコミュニティマネージャーとして活躍中に、大蓮寺スタッフの沖田と知り合い、今年春からのまちの保健室の再生にかかわっていただきました。

宮川栄美子さんからのコメント
「くらしの中のケアの場として、應典院でのひとときがあればいいなと思っています。安心して語れる場があるということが、日常の中に彩りをもたらし、誰のものでも無い自分を生ききれる支えになればと願っています。」

これからもどんなご縁がここから生まれるのか、みなさんもフラッと立ち寄ってみてください。

 

 

 

 

 

 

 

インタビュアー/作成:齋藤佳津子