2024/11/21【住職ブログ】グラングリーンからダルバール広場を想う。2つの広場とパブリックライフ
夜のダルバール広場で、広場本来の姿を見た。先月旅をしたネパールのカトマンズ市中の世界遺産のパブリックパークである(広場と公園の定義の違いは措く)。
あえて広場というのは、日本の公園にありがちな設備や管理がまるでないことである。昼間はツーリストに譲っているのだが、夜間にはオールフリーとなり、続々と若者たちが集まってくる(平均年齢24歳!)。世界遺産のネワール建築が惜しげもなく開放され、女の子たちがダンスをしたりゲームをしたり、笑っている。中高年のおじさんたちは建物にエッジに座って、往来を眺めている。もちろん入場料など無用。市民が自発的に広場を楽しみにやってくるのだ。
そこにくれば誰かに会える。誰かといつまでも喋っていられる。見せよがしなパフォーマンスや、押し付けがましいキッチンカーもない。本来、広場には意図されたアクティビティなど必要ないということがよくわかる。広場はノンリーガルだから、広場なのだ。
ネパールには若者が過ごすような娯楽施設が乏しい。宗教的な制約もある。酒も飲まない・資本主義の国の公園と、全く比較はできないのだが、欧米の公園だけを参照していると、未整備でありながら広場がダイナミックに機能するベースには、実は歴史や宗教性が不可欠なのだということが見落とされてしまわないか。日本の場合、それさえ管理と操作の対象としてしまう。残念なことだ。
同じく比較はできないのだが、大阪駅に接続してこの度まちびらきしたうめきたのグラングリーンも特筆に値する。業者のコピーを借りれば「世界有数の大規模ターミナル駅前に約45,000㎡もの大規模で高質な都市公園」が現出したのだが、それ以上に感心したのは、パブリックスペースとして上手に設計されていることだ。昼夜どちらも出かけたのだが、遊歩道が充実しており、そのエッジがどこも座れて、眺望を楽しめる。せりたった高層ビル群も圧倒だが、それ以上に手前の広場にたむろする人々の姿に心惹かれた。昼は子連れの家族が、夜は恋人たちが思い思いの時間を勝手に過ごしている。干渉が誘導がない。人は一人でもいても、人々の動きや活動を眺めているだけで、孤独を感じない。カフェとかレストランとか、中途半端なアクティビティとか(あるにはあったが)そんなテーマパークみたいな設備はいらない。人が滞留するには、歩行が楽しめる、ゆっくり時間が過ごせる、車の騒音が入ってこない、また先ほどの人を眺めていられることができれば(飯田美樹「インフォーマル・パブリックライフ」)、市民の自発が促されるのだ、と思う。
比較すべきものでもないが、歴史都市とハイテク都市という対照的な二つの広場に、なぜか共通するものを感じたのは私だけだろうか。市民参加と自発が、「パークナイズ」の本丸かと思う。惜しむべくは、グラングリーンに、この地にあった梅田墓(開発中に大量の人骨が発掘されている)の残影が全く見られないことである。おしゃれな供養塔ひとつあれば、違った文化が窺えたろうにそれが残念である。