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2026/10/8【語りのアーカイブ】應典院の魅力を語るシリーズ⑥中平了悟さんインタビュー(前編)

【前編】「寺らしくない寺」から、葬送を問い直す寺へ

應典院のWEBサイトでは、事業やイベントの告知・記録だけでなく、「あそびの精舎」としての活動や理念を伝える読み物として、「語りのアーカイブ」を連載しています。應典院とご縁のある方々に、これまでの関わりや、この場所の魅力、可能性について語っていただきます。

第6弾は、浄土真宗本願寺派の僧侶であり、また龍谷大学教授として、長く「研究と実践」の両面から仏教と社会の関係を見つめてこられた中平了悟さんです。

前編では、2010年頃の應典院との出会いから、本願寺総合研究所で社会課題に向き合った経験、そして「葬式をしない寺」から「葬送を問い直す寺」へと進展した應典院について伺います。

(インタビュー/中嶋悠紀子)


学問の外にあった社会と出会う

―中平さんが最初に應典院に来られたのは、いつ頃だったのでしょうか。

中平: おそらく2010年頃ですね。橋爪謙一郎さんのグリーフケアの話を聞くために、本願寺総合研究所の仲間と一緒に寄せてもらったのが最初だったと思います。

それ以前に上田紀行先生の『がんばれ仏教』を読んでいて、應典院の取り組みは知っていました。ですから初めて門をくぐった時は、「ああ、本で読んだあの應典院はここだったのか」「この方が、あの秋田住職か」という感じでした。まだ秋田ご住職も私も、だいぶ若かった頃です(笑)。

―当時から「宗教と社会」というテーマに関心があったのですか。

中平: いえ、大学院生の頃までは全くありませんでした。私の専門は中国浄土教ですから、大学院時代は、基本的には大学の中で文献を読んでいれば完結するような研究でした。社会へ強い関心を向けていたわけではなく、振り返ってみると社会と少し離れたところで研究をしていたように思います。

変わったのは、大学院を終えて本願寺総合研究所に勤め始めてからです。そこでは、社会課題に対して仏教者がどう向き合い、どう発信するのかが問われていました。自死相談やグリーフケアの取り組みが始まった時期でもあり、業務としてそこに関わったことは大きかったですね。

―文献研究から、いきなり現代社会の切実な問題に向き合ったわけですね。

中平: 降りてくるテーマが大きすぎるんです。「脳死や臓器移植に対して、仏教者としてどう考えるのか」と問われても、自分が学んできた仏教の教えや言葉から、何を社会に向けて語れるのか。当時は経験も浅かったですから、とても難しかった。教団としての仕事ですから、とても大きな社会問題と向き合う経験をさせてもらえたと思います。

―そういう中で、應典院はどう見えていましたか。

中平: 私が最も惹かれたのは、実は「運営のされ方」でした。寄付を集め、スタッフを雇用し、お寺を一つのNPOのように運営していく。社会に問いかける活動を行いながら、お寺そのものを持続させていく仕組みです。

研究者としてだけでなく、将来は実家のお寺を継ぐ立場から見ても、非常に重要なモデルケースに映りました。従来の檀家・門徒制度に依存した寺院経営が限界を迎えつつある中で、これからお寺のあり方をどう更新していくのか。経済的にも、人とのつながりという意味でも、従来の枠組みを超えた一つのチャレンジが、應典院にはありました。

―その後、長く應典院との関わりが続いていきます。

中平: 単純に、関わり続けることが楽しかったんです。イベントや研究会、研修会、講演会など、私の関心に近いものが多く、「これは聞きに行かなければ」と思うものばかりでした。

最初は参加者でしたが、2012年頃に龍谷大学社会学部で授業を受け持つようになると、「いってみたい」という学生さんもいて、実際に連れてきたこともありました。「これから僧侶になろうとする若い人たちが、自分から足を運びたくなる場所がここにある」と感じたからです。

その後は、秋田ご住職との個人的な関係だけでなく、松島靖朗さんや池口龍法さんをはじめ、次世代の僧侶たちとのご縁も應典院をハブに。

―その頃の應典院では、2006年から2016年まで、第2代主幹を務めた山口洋典さんの存在も大きかったですね。山口さん自身も研究者でありながら、大学の中だけに閉じず、社会の現場と研究を往復する人でした。

秋田光彦住職・山口洋典主幹というお二人がグイグイとさまざまな取り組みを行われているというのが、私の應典院の最初の印象でした。山口さんのようなNPOや社会活動に深く関わられたキャリアや経験を持たれている方が、お寺に入られ、活動されているそこに居続けられているということ自体に大きな意味があったように思います。先ほど触れたNPO型の寺院のあり方と山口さんの存在という二つの注目すべきポイントは私の中でセットのようなイメージでした。

また、白波瀬達也先生の研究会や葬送・弔いをめぐる取り組みで出会った研究者の方々とも、今も学会などで顔を合わせます。一つの出会いが次の出会いにつながり、後から振り返ると、それぞれが「伏線」のようにつながっている。應典院には、そういうところがあります。

「葬式をしない寺」が葬送を語った衝撃

―この16年ほどの間に應典院も変わりました。中平さんにとって、特に印象深い転換点はどこでしょう。

中平: やはり20周年、2017年の変化です。それまで應典院は「葬式をしない寺」「若者が日本一集まるお寺」として知られていました。それが突然、秋田ご住職が「これから應典院は葬式をする寺になります」と宣言。

私は、「あの應典院がそれを言った」ということに大きな意味があったと思います。それまで仏教界が葬式やお墓について語ると、どうしても寺院経済を維持するためではないか、という見方がつきまといました。

―私自身もその頃、世代交代を意識する中で、演劇やアートによる社会への働きかけを一度見つめ直しました。お墓や葬儀まで市場化していく中で、寺が葬送の意味そのものを語り直す必要があるのではないか、と考えた時期でした。

中平: この20〜30年で、社会における葬送の意味は大きく変わりました。かつては「葬式仏教」と揶揄され、お寺自身もそこからどう脱却するかを考えていた。それが東日本大震災などを経て、宗教的なものが見つめ直され、葬送の価値も再発見されていった。

その中で、お寺本来の営みである葬送をもう一度柱に据え、その社会的な意味を問い直した。私は非常に大きな変化だったと思っています。

同時に、これは私の個人的な印象かもしれませんが、秋田ご住職自身の「宗教性」も、それまで以上に前に出てきたように感じました。「いかに僧侶らしくない僧侶、寺らしくない寺をつくるか」から、「お坊さんらしさ、お寺らしさとは何なのかを、現代社会に問い直す」方向へ。その転換が20周年だったのではないでしょうか。

 

(後編につづく)


プロフィール:中平了悟(なかひら・りょうご)

浄土真宗本願寺派西正寺住職、龍谷大学文学部教授。専門は真宗学・実践真宗学。中国浄土教思想を研究する一方、現代社会における宗教者の社会活動と寺院の役割を研究・実践の両面から探究している。社会的包摂や生きづらさ、ジェンダー/セクシュアリティなど、現代社会が抱える課題と宗教との接点にも関心をもち、宗教者の社会実践を研究。伝統教学に足場を置きながら、宗教が現代社会で果たしうる役割と、その可能性を問い続けている。

また、自坊の西正寺では、地域の人々が社会や人生について語り合う「テラからはじまるこれからのハナシ。」、カレーを入口に異文化や地域と出会う「カリー寺」、「お寺でのんびりすごす日」など、多彩な活動を展開。寺院を、人と人、人と社会課題が出会い、異なる立場の人々がともに考える地域の場としてひらいている。

 


松島靖朗(まつしま・せいろう)

浄土宗安養寺住職。全国の寺院と地域をつなぎ、子どもの貧困問題に取り組む超宗派

ネットワーク「おてらおやつクラブ」代表。

池口龍法(いけぐち・りゅうほう)

浄土宗龍岸寺住職。「フリースタイルな僧侶たち」創刊に携わる。寺を異文化との「交差点」と捉え、仏教と現代社会の新しい接点をつくり続けている。ドローン仏が知られる。

山口洋典(やまぐち・ひろのり)

立命館大学教授。2006年から10年間、應典院2代目主幹として活躍。應典院と大学・行政・社会活動をつないだ。應典院の公共化に貢献し、それを題材とした著述も多数ある。

白波瀬達也(しらはせ・たつや)
関西学院大学教授。應典院では秋田光彦住職と「ビヨンド・サイレンス―ポストオウムの20年を語る」などを企画。貧困、地域社会、宗教の社会貢献などを研究する。