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サリュ 第70号2010年11・12月号

目次

巻頭言
レポート「第59回寺子屋トーク」
コラム 水谷綾さん(社会福祉法人大阪ボランティア協会事務局長)
インタビュー コトリ会議(代表:笠江遼子さん、作・演出:山本正典さん、制作:牛嶋千佳さん)
編集後記

巻頭言

苦労と仲よくすれば
苦労が味方して
きっと助けてくれます。

高田 都耶子
「心の添え木―父・高田好胤の書とことば」

Report「再」
葬式仏教〈再生〉論は〈成仏〉論?生き直しの共同体の姿を求め激論。

死んでも死にきれない時代?

ハッピーマンデー制度のために休日となった9月20日、敬老の日の應典院で第59回寺子屋トーク「〈葬式仏教〉再生論」を実施いたしました。ゲストには『葬式は、要らない』(幻冬舎)の著者、島田裕巳さんを迎えました。島田さんの基調講演の後には、ジャーナリストの北村敏泰さんをコーディネーターに秋田光彦住職との対談も行われました。人々の関心は、どうしても書名に掲げられたお葬式の「要る、要らない」の話に向くところですが、あくまで変わりゆく死生観と、それに向けての倫理や儀礼の有り様についての激論が交わされました。

後半は、まず北村さんによって「宗教行為が営業行為かの如くに受けとめられ、葬送が簡略化、脱宗教化していることが問題ではないか」と、基調講演を総括した上で進められました。続いて秋田住職は、島田さんの問題提起を「こうしなさい」ではなく「選択しなさい」というメッセージとして捉えたと述べ、「私」と「あなた」の関係の中から納得できる方法を選び抜くことの意義を強調しました。そもそも島田さんは基調講演で「葬式仏教を再生しようと思うなら、一度、既存の仕組みなどに成仏してもらわなければならない」と切り出されました。議論はまさにこの点が確実に反映されたものとなり、語り口はそれぞれに穏やかでしたが、互いの主張は徐々に激しさを増しつつも、時代の変化の中で死者と遺族をめぐる儀礼はどうあればいいのか、満場の中で対論がなされました。

島田さんの講演は、この間の研究生活の経歴の紹介から始まり、なぜ『葬式は、要らない』を執筆するに至ったのか、そして出版後の各界からの反応、さらにはそれらの反応に対するご自身の見解と、参加者への問題提起という流れでした。島田さんは東京大学で祭りや儀礼をテーマに据えた柳川啓一先生の研究室で学び、とりわけ人生の通過儀礼に力点を置いてこられました。そのため『葬式は、要らない』では、今を生きる人々にとっての葬式は儀礼としての根拠が薄く、現在の形式に定着した歴史も浅いと問いかけたのだと語られました。そして出版後には、大手スーパーによる会員制の僧侶紹介事業などへの反応と相まって、お寺や葬儀社から批判的な意見が寄せられたものの、むしろ現状が無批判に肯定されることで弔い方の発想が縛られてしまうことの方が問題ではないか、と訴えかけました。

戒律を保って生き直す

終盤、有機体としては生命の終わりを迎えても骨が残るために「死にきる」ことができないのが問題ではないかと島田さんは訴えました。すると秋田住職は、個人主義の肥大化によって「最後まで自分らしく」という人が増えてきた実感を事例から提示。加えて、特に関西には五重相伝など生前戒名の習慣を色濃く残すなど、お寺と檀家と信頼関係を維持できていると応えました。逆に、死者への共感や尊敬が伴わない布施は、今やサービスの対価と誤解されるのも仕方ないのではと問いかけました。

仏教には「相場」のわかりにくさを「市民感覚」から指摘され、とかく「戒名料」に議論が及びますが、そこには宗教的な教えも誓いも全く不在です。そもそもお布施とは、お寺が檀家に法施を、檀家が寺に財施を、という相互行為でした。そして、戒名の戒とは生前に誓いを立てて仏教徒として前向きに生き直すことの証です。「葬式仏教の問い直しとは、寺と市民が共通の理解を図りながら、新たな共同体をつくりあげることにつながっています。教義の布教だけではない、それが個人の生き方や社会的の変革にどうつながっていくのか、新たなコンセンサスづくりが求められています。

小レポート
舞台芸術祭、無事終了。新たな年へ歩みを進める

6月末に幕を開けた應典院舞台芸術祭「space×drama」2010、無事終了しております。8月28日にはbaghdad cafe「ごっこでいいから、手をつないでて」の公演終了後にクロージングトークを開催。参加劇団どうしで作品への質問や、参加しての感想、これからの展望などが深められました。またトーク終了後には應典院寺町倶楽部の会長より選考会の結果が報告され、コトリ会議が優秀劇団に選出されたことが発表されました。選考会では参加6劇団がいずれも高いクオリティの作品として並んだことが話題となりました。

なお、今年度は関連企画として、全公演を終えた8月31日に「プレイバックシアター」を実施。演劇の手法を用いたワークショップで身体を揺さぶった後、参加者が語る体験から言葉にするのは難しい部分を進行役が引き出し、それらをシアター・ザ・フェンスの役者らが即興で表現するというパフォーマンスが行われました。最後は2F気づきの広場にて、全体の進行を担った橋本久仁彦氏(PTProduce)と秋田光彦住職の対談で締めくくられました。

小レポート
日々の暮らしを見つめ、共生社会を問い直す

10月10日、名古屋で開催の国連・生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)に先駆け、コミュニティ・シネマ・シリーズVol.16「共生へのまなざし〜なぜ生物多様性なのか」を開催。地球交響曲(ガイアシンフォニー)第1番と7番を上映し、幕間には生物多様性の「ホンネ」に迫った著書を刊行された関口威人さん、聞き手に弘本由香里さんをお招きしてのトークと、盛りだくさんのプログラムとなりました。

一日に2本の映画上映と長丁場ながら70人にご来場。映画の中で高野孝子さんが「昔の叡智は未来の科学。本当に大事なものや豊かさとは?」と問いかけていました。まさにこの言葉に呼応するかのように、鑑賞とトークを通じ、私たちの今を見つめる機会となりました。

小レポート
毎週木曜・18時半、定例サロン、開催中。

2010年4月より、毎週木曜日の18時半から開催している應典院寺子屋サロン「チルコロ」。毎回、多様なテーマ設定を行い、1回限りでも、毎回でも楽しんでいただけると考えての企画運営を行っています。とはいえ、なかなか連続で参加していただけるだけの場づくりは難しいことを痛感しております。 「チルコロ」だけでなく、徐々に来年に向けた事業構想も進めつつあるところです。その中で、應典院寺町倶楽部の会員の方は言うまでもなく、多くの方が集い、学ぶ機会をどのようにしてつくっていくことができるか、重要な課題に据えています。そのためにも、まずは多くの方のご関心を寄せていただくことと、ご参加を呼びかけて参ります。

コラム「公」
今こそ、“参加”の復権? 私たちは「公共」を語ってきただろうか

今、改めて、私たちは「公共とは何か」を強く問われている気がする。夏に政府が発表した「新しい公共」宣言。国は、「新しい公共が目指すのは一人ひとりに居場所と出番がある」社会を目指したいと言う。官が独占してきた領域を「公(おおやけ)」に開き、支えあいと活気ある社会を構築するために、多額の予算を付けようとしている。

そもそも、大阪は、昔から公共を民の手で支えてきた“まち”である。町民や商人が、港を作り、堀を掘削し、橋をかけて、塾も作った。それだけではない。昭和初期には大阪城天守閣まで募金で再建してしまったのだから、もしかしたら根っからの「公共好き」なのかもしれない。「大阪というまちが便利になると良いね」「分かち合えるものは分かちあおう」といった思いを支えるために、できる人ができることに取り組んでコトを起こす。だからこそ、2010年を生きる私も、先人たちが作られたこれらの公共財の恩恵を日々享受できている(感謝)。

先日、應典院寺町倶楽部主催の「葬式仏教」再生論のトークセッションに参加する機会があった。葬式仏教がどうこうというより、葬式仏教のあり様を問いながら、仏教界において「参加」の復権の重要性が問われているのだと感じた。

実際、應典院寺町倶楽部もだし、私が事務局長を務める大阪ボランティア協会もそうだが、私たちNPOは、国に言われるまでもなく、小さいながらも「居場所」や「新たな人の輪」を作ることを大事にしてきた。先人のような橋をかける…という力仕事まではできなくても、自分たちが欲することや共感したことを実現できる場を自分らの手で作る営みを続けている。

国に言われたからではなく、自身の意思でもって、「公」という創造的役割の片棒をかつぐこと。これを当協会ではずっと「参加」と呼んできたが、時代が変わっても不易であることを、国の動きを見ながら改めて実感している。

水谷 綾 (社会福祉法人大阪ボランティア協会事務局長)

1968年生まれ、大阪在住。1997年に大阪ボランティア協会に入職し、2010年6月から同協会事務局長に就任。これまで、NPOの運営コンサルティング業務や研修活動、起業支援、企業市民活動の促進など、市民活動を推進するための事業に没頭してきた。好きなことは、よく食べること、気持ちよく走ること、思いっきり笑うこと。最近のマイブームは、大阪界隈の銭湯めぐり(いい湯探しはいいまち探し)。
大阪ボランティア協会 http://osakavol.org

Interview「面」
コトリ会議

(代表:笠江遼子さん、作・演出:山本正典さん、制作:牛嶋千佳さん)

space×drama2010にて優秀劇団に選出。
自分たちの「伸びしろ」を謙虚に見つめ、
成長の場と機会を次の劇団へと継承していきたい。

★まずは優秀劇団への選出、おめでとうございます。

山本「旗揚げして2年、具体的に『優秀』という言葉をいただけると、コツコツとやってきたことが認められたんだな、と感じています。」

笠江「ただ、責任も感じますね。今までは自分たちが面白いと思うことをやって来てました。楽しいこともしんどいことも多々ありましたけど、こういった賞をいただいたからには『なんや、おもんないやん!』って思われたくない。」

牛嶋「演劇祭の優秀劇団という形での評価は嬉しいですが、身が引き締まりますね。」

★今後の劇団像について何か話が進みましたか?

笠江「人と関わりのある劇団になっていこう、と。面白い作品を一緒に作っていく人をもっと増やし、自分たちの足らない点には多くの方々から意見を寄せて欲しいです。」

山本「僕は動員数を増やしたいです。今のままだと、公演の反応がどれくらいあったのかもつかみにくいですし、そもそも何ができたか分からない状況です。多くの方に鑑賞いただけるよう努力します。」

笠江「もちろん、それも大事。先程、人と関わると言った中には、当然お客さんも対象に含んでますからね!(笑)」

牛嶋「そうですね。私もいろんな人と関わりを持っていかなければ、と思っています。私は劇団では制作と役者と、2つの立場を持っています。どちらもまだ勉強が足りないという自覚があります。ぜひ、いろんな方に作品や劇団について意見を伺い、多様な価値観に迫っていきたいですね。」

★應典院での初公演が今回のspace×dramaでしたが、どんな印象が残りましたか?

山本「はい。一番は広くて高さのある本堂ホールです。そこで四方客席にしたのですが、空間の大きさだけで客席の形を決めてはいけないと反省しています(笑)。四方客席は四方囲みとも言われるのですが、通常の額縁舞台とは違って、前後左右からお客さんの視線が向きます。実は、経験を重ねていって、四方客席だけでやっていく劇団になれればと思っているんです。」

笠江「そうは言っても物理的に四方が向いていない小屋もありますよね(笑)」

山本「当然ですよ(笑)ただ、それ程、好きってことです!」

牛嶋「四方客席は演出面からも議論できますが、今回実際に演じて、私は役者としてお客さんとの距離が近く感じました。ただ、お客さんとの距離感は近すぎても遠すぎてもいけないので、難しいですね。」

笠江「確かに難しかったけど、私はテンションがあがりました。今、どう見えてるか、など考えるのが面白かったです。」

★来年の協働公演への意気込みを聞かせてください。

笠江「今後の課題を多くの方に指摘いただいています。ということは、まだ成長への伸びしろがあると思って、コツコツ努力し、成長し、面白い時間を皆さんに提供できるよう頑張ります!」

牛嶋「私は縁の下の力持ちの制作としても役者としても頑張って、劇団の成長に貢献していきます!また、来年の優秀劇団さんに演劇祭の成果をリレーしていかなければと思っています。」

山本「前回の優秀劇団のbaghdad caféさんは2年間で凄く成長されたと実感しました。コトリ会議も例外とならないよう、まずは着実な二面客席で臨もうかなと考えています(笑)」

笠江「とか言って、四方でやりたいとか言うでしょ?」

山本「いやいや、あえて二面客席でと。でも作品は決まってはいないので、分からないですが……。とにかく、精一杯やっていきます!」

編集後記〈アトセツ〉

「私、普段メモとか取らない人なんですけど」。これは10月16日と17日に應典院が共催した「生と死の共育ワークショップ」での、ある学生の発言だ。聞けば静岡から、鈍行列車を乗り継いでの参加という。関西在住の知人からの紹介がきっかけだったというが、彼女を駆り立てたのは何か気になった。

今年のテーマは「あなたは誰に看取られたいか?」だった。今年は、と表現からも明らかなように、年1度だが、この4年で一つの恒例事業となっている。シチズンシップ共育企画が主催で、東京の青木将幸ファシリテーター事務所との共催により、特に若者たちに深い問いを投げかけている。初年度は自殺・自死、2年目は葬送、3年目は老い、と、生老病死が取り扱われててきている。

看取りの問題を取り扱うにあたり、生野区の勝山で開設された菜の花診療所の岡崎和佳子さんがゲストに迎えられた。冒頭の発言はゲストトークの後に出た。推し量るに、現役で大学に学びながらも、後で思い出したいと思える環境に出会っていないのだろう。それは目の前で紡ぎ出される声で編まれていく物語を、必死に紐解きたい衝動だったように思う。

興味深いのは2日目になると一転してメモの分量が減ったことだ。理由は書くよりも聞くことに集中したためである。今後のために文字に遺すよりも、今の場面に浸ることの方に価値を置いたのだろう。異質な土地、空間、時間が彼女の日常にどんな影響をもたらしたか、関心は尽きない。(編)

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