サリュ 第79号2012年5・6月号
目次
レポート「コモンズフェスタ2011」
コラム 原尻淳一さん(マーケティング・プランナー)
インタビュー 古市憲寿さん(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
編集後記
巻頭言
無意味な句を伴える、一千からなる言葉よりも、聞いて心の静まりゆける、一つの意味ある句がまさる。
「ダンマパダ」
Report「点」
コモンズフェスタ2012「記憶を巡る旅」を巡って
文化の交差点として
2012年3月6日から15日まで、應典院全館で2011年度のコモンズフェスタが開催されました。既報のとおり、例年とは開催時期を変え、東日本大震災から1年を迎える3月11日を中間点に、各種のプログラムを実施して参りました。会期全般にわたり実施されたのが、本堂ホールでの木村幸恵さんの個展「クリスタルキャノピー|水晶天蓋」と、2階ロビー・気づきの広場での「阪神・淡路大震災+クリエイティブ タイムラインマッピングプロジェクト」でした。前者は感じることが、後者は想い起こすことが、それぞれに大切にされた空間を生み出していました。
かねてよりコモンズフェスタは「アートとNPOの総合芸術文化祭」と表現されています。その名のとおりに、多くの方々の協力と創意工夫によって、今回は12の催しが実施されました。実は今回、さしずめ3月11日までが「これまで」を見つめる、その後は「これから」を見据える、そのような企画構成が企図されています。少し、内容を追って参りましょう。
オープニングは木村さんとのご縁を結んでいただいた美術評論家・加藤義夫さんを招いてのアーティストトークでした。翌日の「お寺MEETING」はルポライターの高橋繁行さんと宗教研究者であり僧侶の安達俊英さんによる「葬式仏教」を巡る対話が、その翌日は古市憲寿さんご本人を招いての『絶望の国の幸福な若者たち』の読書会が行われました。そして金曜の夜は国連でも演奏された松葉曄子さんの被爆ピアノコンサートが、さらにあの日から1年を前に「2つの震災とコミュニティ」と題したシンポジウムが実施されました。こうして3月11日を迎えることになりました。
文明の転換点に立って
2012年3月11日をどう迎えるか。應典院再建計画の最中に起こった阪神・淡路大震災が、その後の管理運営のあり方に一定の影響を与えてきたこともあって、熟慮を重ねてきました。結果として、NPO法人プラス・アーツによる新しい防災訓練プログラム「イザ!カエルキャラバン!」を、應典院の本寺である大蓮寺、さらにはパドマ幼稚園と共に実施することにいたしました。400人ほどが集う中、14時46分には追悼法要が行われ、地域に開かれたお寺と語ってきた應典院が、文字通り地域の方によって活かされた一日となりました。
特別な一日を終え、企画は「これから」を見据えるモードに移りました。12日には「住み開き」を提唱するアサダワタルさんとマーケティングプランナーの原尻淳一さんによる仕事と暮らしを巡るトーク、翌日は尾角光美さんによる「失ったヒト・モノ・コトを大切にするワークショップ」となりました。閉幕の前日は上田假奈代さんによる「詩の学校」が木村さんの作品の中で実施され、最後は福島県浪江町の語り部の吉川裕子さんをお招きした「いのちと出会う会111回」で幕を閉じました。
哲学者の梅原猛さんは東日本大震災は「天災」や「人災」でなく「文明災」と呼びました。故郷を追われた吉川さんは「地震、津波、放射線、風評、人権、5つの被害を生きている」と語りました。2月のプレイベントを含め、改めて「死と生」を想ったコモンズフェスタ。次年度の構想を丁寧に練って参ります。
小レポート
本堂ホールに広がる
きらめく極上の世界 コモンズフェスタ2012にて、本堂ホールを会場に、木村幸恵さんの個展「CRYSTAL CANOPY クリスタルキャノピー 水晶天蓋」が開催されました。雨粒を芳醇に貯めこんだ蜘蛛の巣、銀河系をのみこむコスモス、あるいは数式や入力信号からなるサイバー仮想空間のようにも観える、その巨大インスタレーションによって、きらめく極上の世界が具現化されました。 木村さんは今回の作品で「内側と外側のリバーシブルな状態」を表現されていると語られます。「自分にとっての外側は、外側にとっての内側。これって存在の根源的な様相なんですね。」
宗教も芸術も「世界を問う、自明を問う、当たり前をゆるがす」存在。東日本大震災から1年という時期に、あらためて自己を回想し、時空を超え、目に見えない存在に祈りを捧げる空間が、ここ應典院に創出された10日間だったのではないでしょうか。
小レポート
大大阪時代の風雅を残す小学校
戦前の豪華な学校建築として大阪を代表する旧大阪市立精華小学校の歴史を振り返るドキュメンタリー上映会が、4月14日(土)本堂ホールにて開催されました。1929年に市民の寄付によって建てられ、1995年に惜しまれながら、122年の歴史に幕を閉じた精華小学校。当時の貴重な写真や卒業生のインタビューをまとめられた監督の若林あかねさんは、「大大阪時代の風雅と同時に、街や人の魅力を知ってほしい」と語られておりました。上映後は、在りし日を知る方々の座談会も。参加された卒業生も交え、当時を懐かしむ同窓会のような温かい雰囲気となりました。
小レポート
木曜サロンのリニューアル
2010年4月より、「毎週木曜の夜に應典院に来れば、何かが起きている」という理念で開催して参りました木曜寺子屋サロン「チルコロ」を、2012年度から改編することといたしました。第2木曜日の読書会と、第3木曜日の復興をめぐる座談会、さらには第5木曜日の特別企画が終了となります。
一方で第1木曜日はインターネットラジオの公開収録を継続いたしますし、第3木曜日は恒例の「いのちと出会う会」(8月・12月・1月は休会)です。今後も気軽に集い、語る場を設け、気づきと学びと遊びの機会を創出して参ります。
コラム「放」
コミュニティの復権へ
知的生産に関する書籍を書き始めたのは、龍谷大学で学んでいた時に故鶴見良行先生の研究方法に衝撃を受けたからだった。鶴見先生は読書カード、フィールドノート、写真の膨大なデータベースを構築していて、それを編集すれば、ほとんどエッセイや研究論文が書けてしまう「仕組み」を持っていたのだ。その後、梅棹忠夫先生の『知的生産の技術』を読むようになり、この方法を21世紀のツールで変換したら、どのようになるのか、を自身の仕事を通じて実験してきたのが、東洋経済新報社から出させていただいている「HACKS!」シリーズである。
さて、3月12日に應典院にて、アサダワタルさんとのクロストーク「まちHACKS!:<住み開き>は何を問う?」に参加させていただいた。自分の家をちょっとだけ解放する「住み開き」のコンセプトのもと、そこに集る人たちをまるでDJのように盛り上げていくアサダさんの場づくりは、音楽家らしいセンスが溢れている。しかも、自分の得意分野に「この指とまれ!」をする無理のない方法で、ちょっとだけ勇気があれば、誰でもできるソーシャルな試み。私もぜひ、自分の会社で「会社開き」を実験してみようと思った。 東日本大震災が起き、早1年が過ぎてしまった。いまこそ日本のコミュニティづくりを復活させなければならない。コミュニティこそ、古くて新しいリスクヘッジ。その手法としても、「住み開き」というコンセプトは活かすことができる。私の夢は、日本全体で「住み開き」のようなソーシャルな取り組みが展開され、それがクラウド技術と結びついて、コミュニティ経済を確立すること。そうすれば、ささやかながら個人にあらたな収入が生まれる仕組みをつくることができる。それが閉塞した日本をボトムアップすると共に暮らしを豊かにする方法だと思っている。みなさんも、身近な所で無理のない形で「開いて」みてほしい。
1972年埼玉県生まれ。龍谷大学大学院経済学研究科修士課程修了。広告代理店、エンタテインメント会社を経て、現在、株式会社ブルームコンセプト取締役。マーケティング・プランナー。『IDEA HACKS!』等、東洋経済ハックシリーズ、『アイデアを形にして伝える技術』(講談社現代新書)の著者。龍谷大学社会科学研究所共同研究員。龍谷大学経済学部アドバイザリーボードメンバー。日経ビジネススクール講師。環境省家庭エコ診断推進基盤整備事業検討委員。最新作は『IDEA HACKS!2.0』(東洋経済新報社)。
Interview「豊」
古市憲寿さん
(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
『絶望の国の幸福な若者たち』の著者として、
今注目を集める若き論客。若者をとりまく
新しい「縁」の在り方とは?
古市さんは著書『絶望の国の幸福な若者たち』で現代の若者像に切り込んだ。ユニクロなどのファストファッションで身を包み、家具はIKEAでそろえる。空き時間はスマートフォン片手にSNSで写真をアップし、確固たる貯蓄も将来設計も持たずとも、週末に友達とバーベキューを楽しむ…。ただ、自身(27歳・東京出身)は、この非消費的な若者感に、半分共感、半分わからないのが本音、とのこと。
先の見えない国内不況と政治不信、新興国の追い上げやガラパゴス化に追い打ちをかけるかの如く東日本大震災が甚大な被害をもたらした。そんな絶望の矢先に世に放たれた論著は、東京を中心に大反響をよんだ。
各世代の固有性や若者をとりまく現象に冷静な観察眼で迫る古市さん。「日本の高度成長期を経験し、持ち家率も8割ほどという今の50~60歳代が生まれ育ったのは昭和30年。一見爽やかで人情味に溢れていそうですが、衛生環境、乳幼児死亡率、平均収入など、人道的な観点からは決して豊かとは言い難い。」著書では、逆に今の若者たちのほうが物質的にも精神的にも幸福度が高いのではないかと投げかける。そんなに無理せずiPhoneが買えるし、多くの国にビザなしで渡行ができる。日本の豊かさは日本にいると気付かない。「『先行世代から受け継いだインフラ』と『半分こわいけど楽しみな将来』という意味では、少なくとも、この時代この国に生まれた若者は幸せなのではないでしょうか。」日本社会の倦怠感は、むしろ一定の成長を遂げた成熟化社会の現れ、と肯定的に捉えてもいいのかもしれない。
さらに、日本の未来については「グローバル大企業など国家以外のアクターが台頭し、国家の枠組みで物事を考えることが難しくなる」、と推測。同時に、「宗教」と「コミュニティ」の存在感が増すのでは、と問う。「社会の向かう先が、戦争とか経済成長など1つではない時代。そこで、拠り所としての国家ではなく再び宗教が出てくる。それは救済のシステムというより、居場所を創出する機能が反映しての結果です。」確かに最近では、シェアハウスやコミュニティカフェなど、家と職場以外のスポットで新たなネットワークをつくろうとする動きが顕著だ。應典院もそのひとつであろう。「現代におけるロマンとは『会いたいのに会えない』」と古市さんは語る。冒頭に示したとおり、道具が進化したことで、若者たちはいつでも会える感覚に浸っているためだ。だから逆に「会えない」状態が尊くなるが、会えなくなると不安に陥る。
「『地縁』『血縁』『社縁』があった時代は、それらがセーフティーネットになっていましたが、裏返しに窮屈さももたらしました。今は『選択縁』の時代。一個の集団にだけ所属する必要がなくなり、複数の集団を渡り歩きながら生きることができるようになったのです。」
ただ、若者に人気のオープンスペースも「結局は学歴やリテラシーなどが圧壁となって、同質的な集団になる」ため、本当の意味で「開いていない」と指摘。一方、国も「包摂」を福祉施策に掲げつつある。官と民のバランスが、公と私の縁結びを左右しそうだ。
編集後記〈アトセツ〉
2010年度から2年にわたり、公益財団法人JR西日本あんしん社会財団から活動助成を頂いてきた。その途中に東日本大震災を経験した。初年度から「グリーフ」すなわち喪失の悲嘆に対する支援の有り様を巡って多彩な活動を重ねてきた。ただ、震災の後はそこに「ロスト・チャレンジ」というテーマを重ねて、新たな取り組みを展開した。
思えば阪神・淡路大震災ではPTSDという言葉に注目が集まった。いわゆるトラウマである。しかし、言葉が先行すると、専門職や標準形のプログラムが前に立ち、逆にそれを必要とする方が「主体」でなく「対象」化されることがある。とかく、専門家の存在や専門用語の浸透は、定番メニューの確立をもたらす。
JR西日本財団からの2年度にわたる助成を経て、應典院寺町倶楽部では2012年度より「グリーフタイム」が協力事業となる。学生時代に母親を亡くした2人の若者により、2009年9月から奇数月第4土曜に催されてきたが、死別の悲嘆のみが扱われないのが特徴だ。喪失した大切な人や物とのつながりを想う時間をゆっくりと過ごせるよう、臨床心理士らが工夫を重ねている。
東日本大震災を契機に各地でグリーフケアの活動が盛んだ。今後、「愛」に「グリーフ」とルビが降られた歌詞も出てくるかもしれない。ただ、言葉の前に営みがあり、営みの前に悲しみがあった。あれから1年、「する」ケアより共に「ある」サポートが大事にされるよう、應典院では喪の時間を共に生んでいく。 (編)