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サリュ 第87号2013年9・10月号

目次

巻頭言
レポート「エンディングセミナー2013」
コラム 弘田陽介さん(大阪総合保育大学大学院・大阪城南女子短期大学 専任講師)
インタビュー 福谷圭祐さん(第一生命経済研究所主任研究員)
編集後記

巻頭言

毛皮の服を着て何になるのか。心の中が混乱しているのに、あなたは外面を飾ろうとしている。

『ダンマパダ』

Report「終」
人生の終わりを見つめる
〈終活〉と仏教との交わり

逝き方から生き方を見る

2005年以来、應典院の本寺である大蓮寺との協力のもと、應典院寺町倶楽部では、「エンディングセミナー」を開催してきています。物事の終わりを意味する「エンド」を現在進行形(ing)で捉えていこう、という趣向のセミナーでは、超少子化と超高齢社会を反映して、その時々で話題に上っている話題を取り上げてきています。今年は「終活」を取り上げました。文字通り、人生の終わりをどう迎えるかを考えて自らが取り組む活動のことを指しています。
メインゲストには、その名も「終活カウンセラー」というお仕事をされておられる武藤頼胡さんをお招きしました。武藤さんによれば、終活とは「人生の終焉を迎える準備」を通じて、「自分らしく今を生きる」営みとのこと。折しも結婚のための「婚活」に注目が集まっていますが、「結婚」した後が大切なように、「葬祭」の後に何が大事とされるのか、満場となった大蓮寺本堂に集った皆が、そんな問いに向き合ったのではないでしょうか。実際、武藤さんは、お母さまを送った経験を紹介され、「1つくらい家族に宿題を残してあげることも大切」と述べ、全てを自己完結させすぎないことも、「終活」では重要な視点となることが示されました。

「らしさ」を貫く反動

後半のディスカッションでは、應典院寺町倶楽部の山口洋典事務局長を進行役として、秋田光彦住職と、ビハーラ僧として医療の現場に携わってきた大河内大博さんを交え、武藤さんのお話をさらに紐解いていきました。ビハーラとはサンスクリット語で寺院や安住の場所を意味し、現代では仏教ホスピスといった意味で扱われています。大河内さんは新潟県の長岡西病院での経験を経て、市立川西病院などで、末期がんの患者さんたちと、最期の時間を大切にする活動を続けてこられました。人生の集大成を迎える時期に、後悔や自責の念を述べる方もおられる中で、大河内さんは「伝える」よりも「対話」することの意味を実感してきていると言います。
病院をはじめ、施設で死を迎える時代にあって、改めてお寺で死が語られ、扱われる社会にしないといけない、という議論が進む中、人は死を前にすると「迷惑をかけたくない」という問いに苦しんでいるのでは、という観点が浮かび上がってきました。秋田住職は、「スピードや成果を求めないお寺は、死に立ち向かい苦しむ〈あなた〉への関係性の構築が可能」と、死という現象や結果に向き合ってきた僧侶だからこそ果たしうる役割があると訴えました。充実した議論の後、会場からは「終活をする人ほど、迷惑をかけたくないと思っているでは?」「長男・長女など、家制度の名残が終活には根深く反映しているのでは?」「市民活動としての終活と布教活動を伴う葬送儀礼は相容れるのか?」「終活は個人でするのか、集団するのか?」「今後、葬儀会社の動きが鍵になるのではないか?」など、多岐にわたるコメントや質問が投げかけられました。最後、武藤さんは「らしさ」を貫くと、誰かに何らかの「迷惑」をかけることにもなるので「ごめんね」と言える準備も必要とまとめました。

小レポート

祈りや叫び、告白等を詩に…

去る8月2日、お盆の時期に恒例となりました「詩の学校」特別編「それから」が開催されました。今年で12回目を数えるこの催しは、毎月、應典院で開催されている上田假奈代さんによる詩作と朗読の会を、大蓮寺の本堂と墓地で開催する、というものです。場所を変えるには理由があり、お盆の時期ゆえに「死」を思い「詩」にしたためよう、という趣向です。そのため、墓地に入らせていただくということもあり、詩作の前には秋田光彦住職の法要と法話が組み込まれています。
今年の参加者は男性8人、女性5人の13人で、例年よりも小さな規模でした。しかし、そのぶん、それぞれが綴った言葉をじっくり味わう場が生まれました。ある人は祈りを、ある人は叫びを、ある人は告白を、まちの灯りと蝋燭の灯火の中で言葉にし、丁寧に読み上げられました。そして終了後、應典院で開催された交流会で、詩の背景が和やかに語り合われました。

小レポート

第一回未来の住職塾公開セミナー

7月24日に「未来の住職塾第一回公開講座」が「これからのお寺のコミュニティ作り~ 未来の住職塾と考える自坊のコミュニケーションのあり方」のテーマで行われ、たくさんの次代を担う僧侶の方が集まられました。
未来の住職塾サンガというコミュニティは宗派を超え、社会の目にも開かれたコミュニティの中で、他流試合を通じて一人ひとりが成長していくようなものであるとの井出悦郎さんの総括が印象的でした。應典院も様々な視点でお寺を点検し、新たな関係性を社会に問い続ける活動や寺業の重要さを感じました。

小レポート

インターン3名受け入れ中

6月からインターン生3名が應典院にて活動してくれています。京都造形芸術大学アートプロデュース学科から園部雄太さん、大阪大学人間科学部から白子美里さん、中嶋梓さんです。
それぞれ寺院建築、現代思想、教育工学など異なる専攻ですが、「情報化社会」をテーマにした寺子屋トーク、「終活」を扱うエンディングセミナーそして「子どもとアート」をつなげるキッズ・ミート・アートなど参加者の関心層も年代も異なる企画に携わっていただいています。キッズ・ミート・アートではスタッフ証や看板などのデザインと制作を担当いただきます。

コラム「育」

Kids meet artという出会いの場

8月30日・31日、應典院、パドマ幼稚園、大蓮寺において、キッズミートアートというイベントを開催しました。絵画・ダンス・音楽・ことばや武術の実践者を一同に招き、様々な仕方でアートに出会う複合的なイベントです。
このようなイベントは初めて行ったのですが、それは子どもがアートに出会う機会が実は少ないように思えるからです。「子どもと何かを製作する」という時に私たちはつい余計なことを考えてしまう。「製作物で一緒に遊び、感想を伝えましょう」というように。つまり、製作というアートをコミュニケーションに従属させてしまっている。アートって人間関係に関わるものだよという心性をこつこつと子ども心に植えつけています。
整体の野口晴哉氏はよく次のように話していたそうです。子どもの絵を褒めてはいけない、褒めると絵を描く楽しみを忘れてしまうと。人と人との関わりの困難さが至る所で露呈している今日、つい私たちはアートに処方箋を求めてしまう。しかし、アートを何かのために使うのはどうかな…というのがこのイベントの通奏低音です。
これには、「教育のためにアートを用いてはいけないのか」という異議もあるでしょう。古典主義の詩人シラーは美によって人間は成長すると考えました。それはきっと正しい。しかし、美に出会う契機は規律的な学校教育や商品化された作品ではないはずです。あくまで偶然に出会ってしまう。
今回の講師の方々はアートの先生ではありません。人生のどこかでアートに出会ってしまい、そのアートが人生のアートになってしまった人々です。そんな人々に子どもは出会います。しかし、そこでアートに出会えるかはわからない。それでも、これからの人生のどこかで出会えればよいのではないか。その旅の一歩になればよいのではないかと思います。

弘田陽介(大阪総合保育大学大学院・大阪城南女子短期大学 専任講師)
1974年大阪生まれ、駒川商店街の履物屋の倅として育つ。大学院時代はドイツ教育哲学を研究し、学位論文は『近代の擬態/擬態の近代 カントというテクスト・身体・人間』(東京大学出版会、2007)。長男が生まれた後、子どもと遊ぶ方法としての鉄道学を探求。その育児経験を『子どもはなぜ電車が好きなのか 鉄道好きの教育<鉄>学』(冬弓舎、2011)としてまとめる。またプロレス好きが高じて各種身体技法に手を染める。公益社団法人整体協会身体教育研究所・動法教授資格者。関西大学、徳島大学を経て、現職。

Interview「進」

福谷圭祐さん(匿名劇壇代表)

旗揚げ3年目の若手劇団ながら、
space×drama2013で優秀劇団に選出。
「ガラパゴス劇団」を語るその真意とは?

カフカの「変身」を演劇化したのが匿名劇壇の始まり。近畿大学の同級生で集まった当時のメンバーに、新しく2名の後輩が加わった。

今回の應典院舞台芸術祭space×drama(以下スペドラ)2013上演作品「気持ちいい教育」では、学校を舞台に知能指数が著しく異なる学生をイコライズ(平均化)しようとする特別教室を具現化。「ゆとり」世代である彼らが「ゆとり」教育を皮肉る社会派演劇かと思いきや、そういった時事問題は特に意識していないという。「基本コメディタッチでウェットなことはしない。一生懸命やらない」スタイル。

肩肘はらない飄々とした姿が印象的な福谷さんだが、スペドラ2013の劇評ブログには、彼がつくりだすセリフまわしのスピード感やことば遊びの完成度の高さに多くの称賛が寄せられた。「脚本と演出を担当していますが、実は僕は演出が得意ではなくて…。だから自分が戦えるところがあるとしたら、それはことばを書く『作家』としての能力だなという気持ちがあります。演出は誰か手伝ってくれ…と思いながらいつもやっているんですけど。」

匿名劇壇は劇団としては特殊な「専属プロデューサー制」をとっている。「次回公演の会場や俳優の使い方など、劇団全体をみれる立場から一歩離れた意見があるのがとてもいいですね。そのコメントをあまり反映できていないが現状ですが。」

2013年度優秀劇団として選出された結果に対しては、非常に冷静にふりかえる。「スペドラは、作品に対して評価を下す賞レースではなく、少し次元が違い場所で劇団(=作品=人間)を観ていると感じました。そして、それはきっとこれからも大事にしていくべき視点なのだろうと思います。」

他方、演劇として、今後の展望に話が進むと少し熱くなった。「稽古やセリフを覚えることが、ふと仕事っぽくなる瞬間があるんです。演劇をしていることが労働みたいになると何のためにやっているのかわからなくなってしまう。一日のアルバイト(労働)を終えて稽古場に行くわけなので、純粋に『楽しい場所』であることを大切にしたいですね。」

通常演劇界では他の劇団の役者が他の劇団の公演に出演する「客演」が一般的だが、自分自身の劇団のメンバーにはあまり外に出て欲しくないという。「匿名劇壇にしかいない俳優、匿名劇壇でしか使わない俳優というように、ガラバゴス化する方向で進化していきたいです。」

現在は、コンビニとカラオケのアルバイトをかけ持ちしながら脚本執筆に勤しむ日々だという福谷さん。将来は小説も書いてみたいと語る。

来年度のスペドラも今年と同じく4月から6月に開催となる。協働プロデュース劇団としてスペドラの今後を問うと新鮮な意見がかえってきた。「劇評ブログはもっとお互いに嫌なことでも指摘しあえるギラギラしたものになればいいなと思う。あとは誰宛に書いているのか、劇団向けなのかを統一したほうがいい。應典院の人たちの感想もききたい。」若手ならではの、実直なっ向き合い方で、スペドラ2014を牽引していく姿に期待が集まる。

 

 

編集後記〈アトセツ〉

NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」が人気である。題名の由来は、主人公が「海女」を目指すことと、人生の「甘えん坊」の掛詞である。物語は2008年、東北の架空のまち、北三陸から東京に届いた「嘘」のメールから始まる。そして東京から東北に惹かれた女子高生が、ふるさとを思い、ふるさとから思われながら、東京で珍道中を繰り広げる、という展開だ。
「あまちゃん」人気の背景には、約束された事件があると感じている。無論、高評を後押しする要素には、緻密な脚本、充実した劇伴音楽、個性的な俳優陣など、枚挙にいとまがない。しかし、9月末の放送終了が近づく今、視聴者の関心は東日本大震災がどう描かれるかに向いているのではないか。すなわち、ドラマという虚構の世界の中で事実がどう扱われるのか、だ。
今「あまちゃん」という虚構の世界から現実の世界を揺るがす現象が頻発している。例えば、実在する歌が劇中で紹介されると、その歌い方が「型」として定着し、架空の存在のはずの劇中歌が発売された。また、劇中で扱われた海女さんらのカフェを実際に建てようとする計画もあるという。まち興しを扱ったドラマが、まちを起こしたのだ。
虚実の頻繁な往復が起きる中、ふと、人生という物語で絶対と言えるのは「死」しかないと気づかされる。ドラマの中の震災は、現実の震災をどう描くのか。物語は2011年3月11日に近づいている。虚構の世界が、現実の「生」を問いかけてくる。(編)

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人物(五十音順)

弘田陽介
(大阪総合保育大学准教授)