サリュ 第89号2014年1・2月号
目次
レポート「コミュニティ・シネマ・シリーズvol.20」
コラム 勝山修平さん(劇団「彗星マジック」主宰)
インタビュー hyslom(加藤至・星野文紀・吉田祐)
編集後記
巻頭言
怨みは怨みによって果たされず。忍を行じてのみ、よく怨みを解くことを得る。これ不変の真理なり。
『ダンマパダ』
Report「追」
地元が「被災地」となる中
記録が記憶の風化に抗う
震災前後の出会いが映画に
去る11月30日、應典院本堂ホールにて、映画『僕らはココで生きていく』の上映と、その作品にまつわる関係者のトークが行われることになりました。トークにお招きしたのは、下山和也監督と、物語の全般にわたって活動が追いかけられているシンガーソングライターの松本哲也さんでした。今回の上映もまた、2005年度から続く「コミュニティ・シネマ・シリーズ」の一環として位置づけられ、映画の製作者と鑑賞者をつなぐ場として実施されました。また、今回の開催で、シリーズは20回を数えることになったのですが、特に記念の回という位置づけではなく、内容面から判断して2回の上映と、上映後のトークを実施することに致しました。
今回の映画は、東日本大震災の1ヶ月後から2年あまりを取材したドキュメンタリーでした。下山監督はもともと盛岡を拠点に岩手県内の映像製作を行う会社にお勤めで、映画は本作が第1作となられるとのことです。逆に、監督として作品を仕上げることになったのは、それまでされてきた仕事柄、現地を訪れて取材を重ねる中、発災から1ヶ月を迎えた2011年4月11日に、岩手県山田町で目にした「いわて三陸復興食堂」の場に立ち会ったためでした。「食堂」という名前と開催時期から、「炊き出し」を想像されることが多いでしょうが、この取り組みは、単にあたたかい食事を共にするだけでなく、ご近所でつながりあっていた交流の場を再生させようという願いが重ねられていました。
風化と劣化のあいだ
発災後1年間にわたり、27の場所で50日の場が催された「いわて三陸復興食堂」の総合プロデューサーを担ったのが、今回お招きした松本哲也さんでした。松本さんは、平成の大合併により奥州市となった水沢市に生まれ、大船渡で育ちました。松本さんのご家族にまつわる波乱に富んだ人生の物語は、鈴木砂羽さんの主演による映画『しあわせカモン』(2009年)で追体験することができるのですが、今回の映画では、震災後に、多くの仲間たちと共に、表現の場と機会をつくることが、いかにして人々の「生」を取り戻すことができるのかに迫られます。それも、震災前から松本さんを知る下山監督が、被災地と呼ばれることになった地元・岩手を毎日のように駆け回る姿に関心を向け続け、一つの作品に結ばれたゆえんです。
トークでは、今回の上映は103分の作品でしたが、実は素材テープは800時間に及ぶとのこと。そして、今はDVDなどのソフト化は考えておらず、当面は監督が映像と共に会場に伺い、語りとセットで上映活動を続けていきたいと仰られました。それは「あまりに多くの思いを預かっている」ため、と。要は映画をつくろうと思って撮影を始めたのではなく、出会った人と場面を追いかけていったものが、この映画になった、という具合です。
上映とトークの後、鑑賞者の方々から、「大きな力を得た」、「大阪からできることは?」など、物理的には離れた被災地の現在を「我が事」に捉えた語りが続きました。会場には各会場で寄せられた言葉が書かれたメッセージフラッグが置かれ、そちらにも言葉が重ねられました。東日本大震災から1000日が過ぎた今、風化する記憶を劣化させぬよう、現地に思いを馳せて参りたく存じます。
小コラム
はじまりました!
「コモンズフェスタ2014」
今期のコモンズフェスタの全体テーマは「じゆうばこの隅~箱物(ハコモノ)と人物(ヒトモノ)が織りなす玄妙な世界」。箱物(ハコモノ)である應典院が、人と物で有機質な場となる19日間。
初日の12月8日には、遊び心満載なMIZUTAMA写真展『wearは食べない』(写真)が始まり、同時に今年の招聘作家hyslomによる1月の展示『大家さんの伝書鳩』にむけたプレ・ワークショップが開催されました。そこでは参加者と一緒に、二色が浜から大正区の鳩舎まで伝書鳩を飛ばし、その記録が映像で綴られました。
その他にも、若き独立数学者・森田真生さんによるトークで、「数学」を哲学的・音楽的に感じる「数学の演奏会」、そして全国に広がるフードバンクの活動を宗教者とともに考える「日常ユートピアの建立」など、様々な企画を「じゆう」に楽しむことのできるものでした。
1月からの後半「二の段」を重ねると、どんな「重箱」となるでしょうか。皆さまのお越しをお待ちしております。
小レポート
演劇祭の準備が始まりました。
2014年5月、6月に開催される應典院舞台芸術祭space×drama2014の第2回制作者会議が12月9日に行われました。
今年の協働プロデュース選出劇団の「匿名劇壇」を中心に、大阪芸大の学生劇団「劇団てんてこまい」、1986年創立「劇団大阪新撰組」、應典院で旗揚げした「斬撃☆ニトロ」、他劇場の演劇祭で優秀劇団に選ばれた「がっかりアバター」そして、特別招致劇団として「劇団太陽族」の参加が決まりました。協議内容はチラシやHP、企画コンテンツと幅広く、演劇祭を盛り上げるため悩みながらも知恵を絞っております。
小レポート
自分感謝祭で一年の締めくくりを。
去る12月25日、年末の恒例企画となっている「自分感謝祭」が本堂ホールにて開催されました。應典院主催の「音楽法要」として毎年12月に営まれており、参加者のみなさんによってこの一年の「感謝」と「懺悔」が綴られる機会となっています。
浄土宗のお勤めに続く、秋田光彦住職の講話の後、参加者お一人ずつ「懺悔」のカードのみ、鉢にくべられた薪の中に入れていきました。その後、持ち寄りの一品で来年の抱負などを語りあう暖かな場が持たれました。毎年お越しいただいてる方や初めての方も一緒に、新年の身支度をする貴重な時間となりました。
コラム「在」
「場」から得た幸福
去年、コモンズフェスタに参加して一番の収穫は、「場」についての責任感を感じながら脚本演出できたということに尽きます。
「場」はもちろん應典院。仏閣。ご本尊があり、宗教儀礼がなされる本堂が劇場となっているお寺です。そこで僕は、物理学者「アルバート・アインシュタイン」の物語を虚実綯い交ぜに上演することにしました。
何故か。きっかけは劇団員である小永井コーキの毛がモジャモジャで有名な「舌を出してるお茶目な写真」と似ていたから。そして物語は「神は存在しない」という物語に。奇跡には物理的な理由があるとした時、そのような結果になってしまったのです。
別にそれはテーマでもなんでもなく、僕が神仏を否定しているわけでも何でもないんだけれども應典院という「場」で上演しようと決めた際、曲がりなりにもそういった宗教的な「場」で神仏の存在を否定する以上は「場」や「存在」に失礼の無いように、芝居の物語として観客に楽しんでいただくために必要な要素なのですとご本尊に納得していただくために、いつまでも「どうすれば良いのだろう」と考え続けました。要するに天罰が怖かったわけなんですが…。
そうして考え続けることで、実在の人物、その歴史と背景、役者スタッフ観客との向き合い方や、フィクションへの説得力などを深めることができました。
お芝居の出来は観ていただいた方々に寄るので何とも言えませんが、超常的なものの存在に良い意味で慄きながら芝居作りを行え、物語の終盤に出した答えが、コモンズフェスタ2013のテーマ「自他を結び、過去と未来をつなぐ問題集」と繋がった時、とても幸福でした。
というわけで今年もコモンズフェスタに向けて僕は、慄きながら執筆するわけです。
ユニット「clickclock」代表。主に作・演出・デザインを担当。「空想にリアルを」を劇作テーマに掲げ、空想に現実としての「痛み」「喜び」を持たせた世界を創造中。劇団、ユニット、個人活動いずれも外部参加多数。
「一人芝居フェス・INDEPENDENT」「LINX’S」「gate#10」「エキチカヘブン」等。役者としても出演の他、フライヤーデザイン、演技指導にショーアドバイザーなど、多岐にわたって活動している。考えることが好き。空想することが好き。難しいことは苦手。
Interview「問」
hyslom(加藤至・星野文紀・吉田祐)
コモンズフェスタ2014の招聘作家として、展覧会
『大家さんの伝書鳩』にのぞむ。「遊び」によって
「わからないもの」に対峙する「問い」の魂を紐解く。
京都を中心に、映像・写真・立体物の制作など様々な様式を用いて表現活動を行うhyslom(ヒスロム)の3人。最近では、瀬戸内海の犬島に滞在して演劇公演に参加するなど、その活動範囲の広がりに注目が集まっている。
加藤(以下K) 3人とも同じ大学で僕は染色科であとの2人は建築科。hyslomとしての活動を始めたのは2009年からで、きっかけは僕の実家の近くの出来事でした。山の景色が大きく変化していることに気づいたんです。他の2人を誘ってその「現場」には何度か通ってみたんですが、行く度に何か変化があった。同じ斜面が少しなだらかになっていたり、天候によって地面の感じが違ったり。今まで見て来た景色、触れたものが変わる過程で様々な感情や興味を抱き、その時々の遊びや物語りを記録してきました。
K そもそもhyslomという名前は、Hysteresisという物理用語で「ある物に力を加えると、最初と同じ状態に戻しても、完全には元に戻らないという『履歴現象』」を指す言葉に着想を得ています。日々変わる「現場」の風景や質感を、自分達の身体で実感し、経験することを大事にしています。
|hyslomが「現場」とよぶ場所で行う「遊び」は、砂まみれでそりすべりをしてみたり、ドラム缶に入ってみたりと、一見、やんちゃな少年達が駆け回る放課後のワンシーンのようなのだが、実はその根底にはストイックなまでの「問い」の姿勢が内在する。
吉田(以下Y) 「これは触ったらどうなるのか?」「この土はどれくらい沈むのか?」同じ「押す」行為でも3人で押してみたら全然違う。僕たちが使う「遊び」とは「素材研究」でもあって対象を知る「トレーニング」でもあります。
K 先日、維新派の演劇に参加させてもらって、役者さんの「演じる」という行為にも関心を持ちました。「わからないもの」に対してどういう魂で対峙しているのか。「その人」に近づくためどんな作業をしているのか、知りたい。
|不可解なものに対して「触ってみる、ふれてみる」のがヒスロム、と語る。
星野 ものをどう知るかという意味では僕らがやってる「遊び」も、お芝居や映画などのフィクションも基本的には変わらない気がします。
|今回、コモンズフェスタ2014の招聘作家として、展覧会『大家さんの伝書鳩』にのぞむ。
Y まずは、鳩より先に作業場の大家さんであり競鳩家の任秀夫さんとの出会いがありました。
K 鳩たちは、自分の手から空へ飛び立ち、自分たちがわからない道を通っていく。それ自体に感動します。大きな岩を3人で動かしたらゆれたというのと同じような、根源的な喚起、あこがれ。鳩が上空でどう過ごしているのかという真実を実証的に知るよりも、手の中にあった鳩の体温が消えていく、その感覚の方が大事な気がしています。なぜ空を飛ぶことが美しいことだと思うのか、そういうシンプルなところからアプローチしたいです。
12月8日には実際に伝書鳩を飛ばしに行く企画を行った。この試みから波及する何かをどうhyslomの3人が落としこんでくれるのか。実際の展示は1月11日から始まります。
編集後記〈アトセツ〉
「ありあわせ」と「まにあわせ」は異なる。以前、企画を検討する場で、そんな問いかけを行った。ピンと来ないのであれば、台所と冷蔵庫を想像していただきたい。あるものを「活かす」のがありあわせ、あるもので「しのぐ」のがまにあわせ、と言えよう。
その場にある素材をきちんと料理できること、それは日曜大工にも通じる話である。その際「まにあわせ」ですませたものは、当然ながら、強度も低く、美観もすぐれないであろう。もちろん補修や修繕であれば、いち早く手をつけることが必要である。とはいえ、手早くこなす「まにあわせ」の水準では、当面の事態は収まったとしても、その状況が長引けば、後々に不満が募っていくであろう。
巧遅拙速という言葉がある。『孫子の兵法』の一つというが、相手と味方が明確な戦いの場面であれば、モタモタするよりはキビキビする方がよかろう。しかし、意地の悪い言い方だが「丁寧に」と「適当に」を対比してみたらどうだろう。必ずしも「遅くとも巧み」なものと「拙くとも速い」ものとの優劣は、単純にはつけにくいはずだ。
年は変わったが、年度は替わらない。今年度の應典院寺町倶楽部では、お寺の総合芸術文化祭「コモンズフェスタ」を「重箱」に見立てて、年内を「一の段」、年明けを「二の段」に分けて開催している。半年をかけて実行委員の皆さんと共に自由闊達に企画してきた。色とりどりに詰められた「ありあわせ」を楽しんで欲しいと願っている。
(編)