サリュ 第91号2014年5・6月号
目次
レポート「『仏教と当事者研究プロジェクト(仮)』公開打ち合わせ」
コラム 笹浪泉さん(調理師)
インタビュー 遠藤雅彦さん、高野正巳さん(東日本大震災復興サポート協会)
編集後記
巻頭言
たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。 「快楽の味は短くて苦痛である」と知るのが賢者である。
『法句経』
Report「究」
自らが自らを掘り下げる「当事者研究」の世界へ
お祭りからのはじまり
去る2月16日、應典院2階の気づきの広場にて「『仏教と当事者研究プロジェクト(仮)』公開打ち合わせ!」が開催されました。きっかけは1月18日のコモンズフェスタ「まわしよみ新聞をまわし読みする~コモンズ・デザインの可能性」の開催でした。クロージングトークを含めた演劇公演を除けば、2013年度のコモンズフェスタの最後のプログラムであったこの企画の終了時に、ご参加いただいた方から、「べてるの家の取り組みに学べないか」という提案を受けたためです。「べてるの家」とは、北海道の浦河町にある精神障害などを抱えた方々の活動拠点です。
「べてる」という言葉に聞きなじみのある方は少ないかもしれませんが、旧約聖書・創世記28章10|22節に出てくる地名(Bethel)で、「神の家」という意味があるそうです。なぜそうした由来が地域の活動拠点に名付けられたかというと、1984年に開設された「べてるの家」は、日本基督教団浦河伝道所の旧会堂が活動の場となったためです。なぜ教会が活動の場になったかというと、さらに時代をさかのぼって1978年、教会の近くにある浦河赤十字病院の精神科を利用していた(当時は「精神分裂病」と呼ばれていた)統合失調症の方々が、互いに交流し回復への思いを語り合う自助グループ「どんぐりの会」が立ち上がったためです。その後、当事者と支援者の関わりが広がり、今では障害の種別を問わず、多様な方々が集いながら、暮らしと仕事と支え合いの共同体となっています。
生きづらさと仏教の重なり
既に「べてるの家」の取り組みは多方面から注目され、本や映像などで各種の紹介がなされています。また、公式ホームページでも詳しく説明がなされています。そこには「理念」として「三度の飯よりミーティング」、「自分でつけよう自分の病気」、「昇る人生から降りる人生へ」など、ひとひねりされた言葉が並んでいます。これらはいずれも、「べてるの家」に集う方々が抱える心身の不調や人間関係の葛藤といった固有の生きづらさを、人生における「大切な苦労」と捉えていくことで紡ぎだされたものです。
冒頭に記した「公開打ち合わせ」は、コモンズフェスタで提案を受けた後、折しも「べてるの家」のキーパーソンの一人、向谷地生良さんのご子息で、運営に携わっておられる向谷地宣明さんが関西を訪れる機会があり、その折に應典院に立ち寄っていただくことになったためです。そして貴重な機会なので「その場をいっそ開いてしまおう」という運びとなりました。告知するには期間が短かったため広報は口コミが中心でした。結果は2階「気づきの広場」が満場となる34名のご参加を得ました。
そんな「公開打ち合わせ」を経て、まずは昨年度から應典院で始まった仏教医学の勉強会「楊柳の会」の終了後に、「仏教と当事者研究」というテーマのトークサロンを開催することになりました。また、不定期で読書会を開催すると共に、有志で「べてるの家」に見学に行こうと呼びかけもなされ、今後、具体化が進められていきます。ちなみに長らく應典院が会場となっている「大阪吃音教室」関係者も13名ご参加頂きました。これからの活動にご関心の方、事務局までお問い合せください。
小レポート
新スタッフ紹介
次世代の力へ
2014年4月より、秋田光軌と齊藤由華の二名が新たにスタッフとして参加しています。二人とも1980年代、現代社会のターニングポイントとなった時代に生まれ育った若者です。秋田光軌は大学卒業後、福祉領域の仕事に就いた後、震災や喪失の悲嘆を経験する中で、再び「学び」をと大阪大学大学院に進み、臨床哲学の博士前期課程を修了。同時に、浄土宗僧侶の教師資格を取るべく現在修行中の身です。齊藤由華は大学時代から、児童養護施設でのアルバイトや母子生活支援施設へのボランティアを経験し、卒業後はNPO法人山科醍醐こどものひろばにおいて、子どもの貧困対策事業に従事していました。
二人とも應典院寺町倶楽部での様々な企画に前向きに取り組みつつ、自ら感じる社会課題や取り組みたい分野を應典院で展開すべく、着実に足を地につけた歩みを始めました。新体制となります應典院の事務局をよろしくお願い致します。
小レポート
演劇祭の成功を祈って交流会
4月6日に應典院舞台芸術祭space×drama2014の交流会が開催されました。今年は4劇団の参加に加え、協働プロデュース劇団の「匿名劇壇」、そして特別招致公演として「劇団太陽族」をお迎えし、5月2日から6月9日まで開催されます。気づきの広場では各劇団が自劇団や作品を語り、それぞれに交流を深めていました。締めは、岩崎正裕さん(劇団太陽族主宰)から、劇団を続ける秘訣として「諦めないこと、諦めるもの」についてご挨拶いただきました。若手とベテランとの交流による切磋琢磨を楽しみにしています。
小レポート
宗教と歴史の町を味わう
春の風物詩である第18回なにわ人形芝居フェスティバルが4月6日に開催されました。一心寺界隈から下寺町までの一帯にある、約30ほどの寺院と神社を会場とするこのイベントは、今年で18回目を迎えました。皆さまご家族でスタンプラリーをしながら各寺院を巡り、開催されるショーやイベントを楽しまれていました。
大蓮寺の境内では、マジックショーやタイ舞踊といった様々な催しが開かれ、人形劇が行われた應典院は、多くのこどもたちで埋め尽くされました。昼すぎの14時46分には、東日本大震災復興祈願として希望の鐘が鳴り響きました。
コラム「食」
「仏教に学ぶ食の在り方」
2013年4月から、楊柳の会(講師:川浪剛さん)がスタート。道元禅師の『典座教訓』がテキストです。題名は堅そうですが、とても読み易く、台所に立つ者であれば誰でも興味を持てる内容です。仏道修行の主たる仏弟子の一人、典座の職にある人は修行僧たちの食事を整えることが役割。その職責の重要さが記されています。会では漢文の内容を順に読み進め、訳文や語義にちなみ、川浪氏の解説が理解と知識を広げて下さいます。1年が経ち、連続して参加して下さる方々と共に、日常に忘れたくない古人の教えが心地よい時間を作り出してくれています。
私は20数年前には現代栄養学一辺倒でした。食が衣や住と並び、ヒトの生活の三本柱に例えられはしても、各々が独立したものと捉えられている念が拭えませんでした。しかし『典座教訓』では、生活全般に、また気持ちの有り様にも触れられているところに感銘を受けます。それは食が独立して切り離されたものではなく、生活の基本全てが互いに支えあいながら成り立っていることを教えてくれ、時代を問わず、当たり前のことを当たり前にする奥深さを説いています。古くからの「禅の教え」と特別視しなくなる程に、日常に親しみやすい内容が魅力です。
そして「仏道=精進料理」にちなみ、動物性食品(乳、卵、バター)と砂糖は基本的に使用しないおやつ、「テラスイーツ」をご用意しています。テラには「お寺」と大地・宇宙を表す「Terra」の二つの意味を込めています。講義の合間にほっこりしていただく時間をとり、皆さんが「おいしい」とにっこりして下さる事がとても嬉しいです。食養生というと堅苦しいイメージかもしれませんが、私は日々の食事こそが養生そのものであることに、この1年の学びで確信を持っています。どうぞお茶を楽しみながら、先人の知恵を学ぶ気持ちでお気軽にご参加ください。
笹浪泉(調理師)
マクロビオティックを基本とした調理師、講師。10代で、栄養計算から料理の片付けに至るまでを学生だけで行う、自労自治の生活を送ったことが、今の自分を支えていると痛感している。「人生、何でもやってみることが大切」が信条。2人の出産・子育てを機に、食がヒトの体、心をも形成することを確信。現代栄養学に疑問を持ち、マクロビオティックを多方面で学ぶ。「~派」にならぬよう、自分が実践してきたことや本当によいと思うことを、ワクワクできる仕方で、後世を担う若い世代や子ども達に伝えていきたい。そのプロセスとして料理研究、教室、食育活動を生涯現役で続けたいと願っている。
Interview「防」
遠藤雅彦さん(東日本大震災復興サポート協会 代表理事)
高野正巳さん(東日本大震災復興サポート協会 副代表理事)
震災によって分断された心のつながりを、
どうつなぎなおすか。3年を経て、
関西での現状と今後に向ける想い……。
東日本大震災で被災された遠藤さんと高野さんは、それぞれ関西へ避難し、関西県外避難者の会福島フォーラムを結成。現在は東日本大震災復興サポート協会の代表理事、副代表理事として活動されています。應典院とは、2013年1月のコモンズフェスタで実行委員会に加わっていただいたことがご縁。防災ワークショップ「ぼうさい寺子屋」が、2014年3月に研修室Bにて開催されました。
遠藤(以下E) 被災して自宅を失いました。報道では放射能汚染はたいしたことないと言われていましたが、福島の現実とはギャップがあった。情報に対する信頼もなくなり、人のつながりが分断される感覚を味わいました。大阪に来てみるとどこか他人事で、災害に対する危機感や現地の臨場感がなく、あれだけの震災であるのに共感が得られない。そんな中で高野さんと知り合って、福島県の心の分断、あるいは東日本と西日本の分断という状況をどうにかしなければと、ネットワーク作りをしたいと思いました。南海トラフ巨大地震の危険性が叫ばれているにもかかわらず、東北のことを忘れてしまうという矛盾。支援される側と支援する側という関係ではなく、よりフラットな関係となることが重要です。
高野(以下T) 「ぼうさい寺子屋」は参加者と私たちとの交流の場でもありますが、実際に行動につながらないと意味がない。私たちの被災経験を伝えながら防災について考え、それが今後の備えにつながること、それがお世話になった関西に対してできることだと思っています。
―しかし、災害は実際に起きるまで現実味を帯びず、どう防災に対する意識づけをするかが課題ですね。
E はい。関西の大学でも、震災復興のボランティアサークルが倍以上に増えていたりします。興味関心が存在しないわけではない。あとは接点をいかに持つかです。
T 「防災」ということばのフィルターで、もともと意識の高い人たちしか参加してくれないようでは、僕たちの目的にとって不充分です。色々な切り口を試すなかで、多様な動機をお持ちの方々が集まれるような場にしていきたい。普段から地域のなかで課題になっていること、たとえばコミュニケーションの不足が、災害後も大きな問題となり復興を妨げます。私たち自身が日常のただ中で課題を発見し、解決していくことが大事です。
―震災から3年を経た、今のお気持ちを聞かせてください。
T これからの自分たちの生き方について考える用意ができてきました。避難者を助けたいという想いで活動を始めたけれど、支援に関わることで自分を犠牲にしてきた部分もある。協会としての活動内容や時期を明確にし、終わりを見据えていくことも必要です。協会が役割を終えた後、僕は蕎麦屋をやりたいという夢があるから、その開業に向けて準備をする。それが本当の意味で自分たちの自立でもあります。
E 僕は大学院に来ないかと誘われていて、関心はあるので考えていくつもりです。とはいえ、まだまだこれからなので、引き続き頑張っていきます。
2014年7月13日(日)には、コミュニティ・シネマ・シリーズvol.21の関連企画がお二人により行われる。「防災」ということばを更新するような、さらなる展開に期待が高まる。
編集後記〈アトセツ〉
スピン・コントロールという考え方がある。「政治的情報操作」と訳されることが多いようだが、その表現のとおりにメディア等によって、伝える側にとって都合のよいことだけが伝えられることへの批判として用いられる。特に「本当に大事なことを伝えていない」などと、否定的な観点で使われることが多い考えだ。無論、何が大事なのかの基準には、各々の価値観が反映するのは言うまでもない。
特定の何かに関心が集中すると、自ずから他のことに興味が寄せられなくなる。例えば、外部刺激による万能細胞の生成可能性、32年間続いた番組の終了、そうした報道の影で、伝えられないことがある。仮にそれらが「知らせたくないこと」だったならスピン・コントロールの悪用である。第一、「知らせないこと」が「知らなくていいこと」かどうかは伝える側が正解を握る問題ではない。
カタカナことばが続いて恐縮だが、最近「リテラシー」もメディア等で頻繁に紹介されるようになってきた。直訳では「読み書き能力」などと言われる。そして情報を鵜呑みにするな、という批判に用いられる。よって何かを読解し、他者に説明できるようになるという意味で「読み説き能力」と解釈するのがよいだろう。
時代が変われば、価値観は変わる。同じ時代でも世代によって物事の捉え方は異なる。そうした違いを超えて大切にされてきたことを應典院は大事にしたい。産声をあげた「仏教と当事者研究」は、仏教リテラシーへの挑戦だ。
(編)