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あそびの精舎を深める5つの視点ーー#2「アートと表現」

あそびの精舎を深める5つの視点ーー#2「アートと表現」

 

1997年にリニューアルをした大阪・下寺町の一画にある開かれた寺・應典院は2024年4月から、「あそびの精舎」構想を掲げた再始動をします。本構想は、子どもからお年寄りまで多世代がつどい、あそびから、いのち・生き方・暮らしといった「ライフコモンズ」を育むことを掲げます。だれもがわたしを生きられ、互いに思いやりあえる、そんなコミュニティをを目指して活動します。

 

https://asobi.outenin.com/

 

本連載「メイキング・オブ・あそびの精舎」では、この構想に込められた想いや背後にある哲学、私たちの目指したいことを5つの視点から紐解いていきます。この構想は、多様な識者の方々と対話を通じて、深められてきました。そこで交わされたことばのやり取りや思想の断片を5つの視点から切り取り、より深めていきます。連載の第2回は、「アートと表現」の視点からお届けします。

 

構想の対話パートナー

  • 医師:守本陽一さん
  • 人類学者:石倉敏明さん
  • 文化活動家:アサダワタルさん
  • 前應典院アートディレクター:小林留音さん
  • 教育哲学者:弘田陽介さん
  • 元應典院主幹:山口洋典さん
  • 現代仏教僧:松本紹圭さん

 

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「おじいちゃんとおばあちゃんと子どもがいっしょに地獄極楽の絵を描いていて、そしたら自然とおじいちゃんたちがあの世語りをはじめたんです。そのときの語りがとても豊かだった。死ぬこと、あの世のことをしっかりとらえつつ、どう生きるか。そういう光景が見たいんだなぁって。」

 

これは「あそびの精舎」構想を通じて、”見たい風景”を話していた際に出てきたエピソード。老人と子どもがともにあそび、おのずと死生観の形成につながっていく風景だ。

ものごとを異化する、宗教的な意義をもつアートの捉え

應典院のこれまでの活動ではとりわけ「アート」は重要視されてきた。「日々の中に見過ごしてしまう、そんなことをにグッと立ち止まり、掬い上げ、考え続けることができるのがアーティストという存在」と、應典院の元アートディレクターである小林留音さんは語る。小林さんが運営していた「キッズ・ミート・アート (以下KMA)」では、身体・造形・音楽・哲学対話など様々なアプローチでアーティストと協働し、大人も子どもも多くが参加した。

なぜ、お寺がアートなのか。10年に渡り應典院の主幹を務めた山口洋典さんは「アートという表現はだれかの思いを届けることで、ものごとの異化を促す。その思いは現代に生きる人に限らず、死者をはじめとした見えない存在かもしれない」と話していた。

死者も、思いも、目に見えない。見えないものとのあいだの橋渡しは、宗教の役割の一つだ。亡くなった祖先との関わりをつなぐ仏壇や、神仏へ祈りを届けることに代表されるように。しかし、見えないものを想像する触媒とは同時にまた、アートなるものだ。應典院はそうした重なりから、アートの可能性を模索し続けてきた稀有なお寺。

大事なポイントは「異化」作用だ。生死一如という言葉がある。生と死は分けられない。生きている状態(living)は、すなわち死んでいっている状態(dying)でもある。生きている刻一刻と、細胞も分裂し続けている。その一方、必ず死ぬことを引き受けることで、生き方が照らし返されもする。アートは、こうした生と死の反転や異化を可能にする。だからこそ、アートなのだ。死から生を見つめるための反転だ。

應典院は、葬式をしないお寺として始まった。しかし、葬式をせず演劇を中心にアートを媒介することで、一層のスピリチュアリティにちかづける。そんな可能性をアートに感じるのだ。単におしゃれでインスタ映えするアート作品ではなくて、ものごとの見方がそのままひっくり返ってしまうような、それによって自分と世界のかかわり方を考え直さざるを得ず、そこから生き直せるような気づきのきっかけが生まれる。

應典院はアジールとして社会的な当たり前の規範や秩序を宙吊りして、世俗と別の価値軸をもつお寺を志向してきた。ゆえに、異化=ものごとの見方の転換をはかるアートへの傾倒は必然だったかもしれない。

創造から表現へ。意志を超えて生み出される、表現の場

「アート」という言葉は、才能と創造性にあふれたアーティストによるもの…そんな印象は否めないが、KMAの背後にあった思想は「子どもと大人がいっしょに表現を楽しむ場」だった。文化活動家のアサダワタルさんは自らの活動の軸でもあるアートを、「これまでにない不思議なやり方で他者とかかわること」と捉え、また表現を「コミュニケーションのあいだに挟むもの」だと語った。たとえば、岩手の被災地住宅の分断をつなぎなおすために、コミュニティラジオを用い、震災以前に聞いていた音楽の話や暮らしの語りを引き出し、それを放送する。被災地住宅にいる人々は「被災者」のラベルを貼られて取材されることが多い。しかし、ラジオや音楽といった表現媒体をはさむことで彼らが「ひとり」の地平でつきあうことが可能になる。これも一つの表現である。

そう考えれば、アートはアーティストの作品ではなく、ひとりから生まれてしまう身ぶり手ぶりの表現そのもの。言葉にできない沈黙や悲しい時に思い切り泣くこと。楽しくて、歌い踊らずにはいられないこと。思いの丈を語り、笑いあうこと。すべてが表現だ。

そして、應典院はただの居場所やアートセンターではない。「表現」には生き生きとした空気感も感じるが、それだけではないはずだ。さきの生きづらさも含めて、表にでてきてしまう、その瞬間のその人の全体の表れ。それが「生みだされてしまう」場が應典院だ。

「夫を亡くして寂しいの」「震災があって、故郷を失ったから関西に避難しにきたの」そんな言葉が、目の前に対峙する他者からつぶやかれたり、「いじめにあっているので、死にたい」と突然の電話がかかってきたこともある…そう小林さんは應典院の出来事を回想した。

ここでいう表現は、どうしても発露せざるを得なかった、そこ以外では聞かれることのなかったかもしれない、声なき声とも言える。言葉にしきれないコトバが、その苦しさやもやっとした未知の感情が、渦をまき、溢れ出てしまう。その溢れ出た表現はまた、他者を揺さぶる。これが、小林さんの心に深く残っていた、というのはこの表現にそれだけ彼女のこころや生と死への向き合い方が揺さぶられてしまったからだ。

教育哲学者の弘田さんは、「アートとは神や仏、人智を超えた聖なるものの現れであり、生命や生活といったライフを満たすもの」だと語った。それは、偶然が重なり、目的や意志を超えたところにしか現れない。これを受けて秋田住職は、「表現」と「創造」を対比させて語った。創造は成果や意図をふくんだ”有為”、反対に表現とはおのずから出てきてしまう”無為”である、と。仏や死者といった人を超えた存在ゆえに、「はからい」を超えた思いがけない表現のにつながる。

先達としてのこどもの存在に導かれ、だれもが思いのままに表現するあそびの世界へ。

應典院がこれまでやってきたことは、その場で生まれる「自身や他者の、声なき感覚」に耳を澄ませ、僧侶や仏や死者とともに在ることで、はからいを超えて表現を促す環境づくりだ。さらに、表現されたものが他者とつながる回路になり、それを通じていのちに気づき自身が変容する。その小さな変容から、家庭や地域や職場が、ひいては社会が変容していく。

人類学者の石倉敏明さんは、人類学では感覚的転回(Sensory Turn)とも呼ばれる潮流があり、いかに五感をひらくことで私たちを取りまく世界と出逢い直すのか、が問われていると語った。「啓蒙的に子どもに何かを教えようと考えるのではなくて、その感覚の触媒として子どもの視点から、私たちがともに学んでいけることが多々あるのではないか」と。

いま、自分の内側の声を聴くことがなかなか出来ない時代だ。生き延びることに必死になってしまえば、今感じている実感も、生き延びるための合理性で蓋をしたくなってしまう。経済的な支配や、世の中の当たり前、他人の意見に従うことで、自らに鎧をまとうことで聴こえなくなった「声なき感覚」に出逢い、そのまま表に出していくこと。その先達が子どもたちではないか。

表現とはおのずから出てきてしまう”無為”な行為。筆者らにいま必要なのは、「親」や「会社員」といった肩書きや役割をとっぱらい、なんでもない<わたし>として、思うままに表現できる場。あそびの場だ。そんな場があることで、ひとりひとりが、きちんと泣いたり、笑ったり、葛藤をわかちあったり、生きることや死ぬことについて言葉を交わしたり。思いのまま表現するあそびの営みから、他者と生きる回路をつくっていく場だ。

実は、もともとは構想名も「まなびの精舎」だったところを「あそびの精舎」に切り替えた。しかし、やっぱり「あそび」がしっくり来るように改めて感じる。

人物(五十音順)

小林瑠音
(前應典院アートディレクター・神戸大学国際文化学研究推進センター学術研究員)