サリュ 第94号2014年11・12月号
目次
レポート「第67回寺子屋トーク」
コラム 佐脇亜依さん(臨床心理士)
インタビュー 日髙明さん(NPOそーね代表)
アトセツ
冒頭文
report「当」 弱さの情報公開をもたらす
当事者が語ることの意味
誰もが何かの当事者ゆえに
去る9月21日、寺子屋トーク第67回「仏教と当事者研究2014 in Outenin」が開催されました。昨年度のコモンズフェスタの終了時に少女漫画家の一ノ瀬かおるさんから寄せられた問いを契機に、2月16日に公開打合せを開催した後、半年間で多彩な取り組みがなされました。北海道浦河町にある「べてるの家」に関する本の読書会(4月、5月、7月)「母娘関係」といった特定のテーマに絞った議論(3月~)現地への見学ツアー(6月)など、厚みのある活動を経ての本番でした。通常、寺子屋トークは3時間程度の講演会という形態ですが、今回ばかりは自ずと大きな場となりました。
午前中は劇団「満月動物園」による朗読とトーク、今回のために作成された「当事者研究すごろく」のワークショップが行われました。朗読では『加害者家族』(鈴木伸元・著/幻冬舎新書・2010年)の一部が用いられ、私を他者に開くことの意味を見つめる機会としました。トークには「べてるの家」から向谷地生良さんも加わり、自傷他害という観点を手がかりに、居場所のない苦しさには、規定をせず、制約を作らずに語ることで「自分の経験を恥じなくなる」可能性を掘り下げる時間となりました。その後のワークショップでは本堂ホールから2階ロビーへと会場を変え、観光家の陸奥賢さんの原案による「すごろく」を通じて、自らの失敗談を5人ほどで語り合い、「腹を割る」ことが自他共に気持ちを解きほぐすことになる、と改めて実感する方が多かったように見受けられました。
宗教と「私」が響き合う
午後には「べてるの家」メンバーにより、当事者研究の一環で行われているソーシャル・スキル・トレーニング(SST)の実演と、向谷地生良さんと釈徹宗さん(浄土真宗本願寺派如来寺住職・相愛大学教授)の対談が行われました。このSSTは、即興劇と捉えていただくとよいかもしれません。向谷地さんの言葉を借りるなら「問題の解決策を探るのではなく、問題の奥底の意味を見つめ、知恵を出す、演じてみる」時間でした。実は昼には、関西圏で当事者研究に取り組む方々の交流会を非公開で実施していたのですが、その一つである阪本病院(東大阪市)の「なかまの家」の方にも協力いただき、「パチンコ依存」に関するSSTが行われました。
後半の対談では、向谷地さんの問いかけを通じて「自分」が掘り下げられていく様子が、進行役の一ノ瀬さんによってホワイトボードに記され、それらに対する「新しい行動様式の可能性」を寸劇によって探っていく過程を観た釈さんが、向谷地さんに問いを重ねていきました。認知症の方々のグループホームも運営している釈さんは「表現する喜びに触れた」などの感想に続いて、「仏教では生きることが苦であるとしているから、苦悩は前提とされ、身体と精神を分けて考えずに身体技法を活用している」と時代を生き抜く上での仏教の観点を示されました。これらに対し、キリスト者でもある向谷地さんからは「言語を使っているからキリスト教的なのではない。医学的には自分で自分をコントロールするのが治療の目標とされる中で、生きていくことへの前向きな関心のために行っている」と、その背景が語られました。満場での開催となった今回、今後も皆さんの関心に寄り添って参ります。
小レポート
大蓮寺・應典院前住職
秋田光茂上人ご逝去
9月12日、浄土宗大蓮寺・應典院前住職の秋田光茂上人が、ご逝去されました。享年85歳。
光茂上人は、27歳という若さで大蓮寺住職とパドマ幼稚園園長を兼任し、戦後の復興と発展を担いました。教化事業として幼児教育へ情熱を注ぎ、日本仏教保育協会制定「持田賞」を受賞。1984年に総合幼児教育研究会を設立し、全国210以上の幼稚園・保育園を会長として牽引されました。昨年刊の『歓びの幼児教育』をはじめ、14冊もの著作を著されています。
また1997年には、大蓮寺塔頭應典院の再建にあたり、多大なご尽力をいただきました。2009年に両職を退いた後は、パドマ幼稚園学園長と應典院住職を務めていました。
9月16、17日に大蓮寺本堂で通夜式と表葬儀、10月15日にパドマ幼稚園学園葬が執り行われ、多数のご参列をいただきました。ありがとうございました。
小レポート
大阪キャンドルナイト
寺町倶楽部会員の呼びかけで、ガザ侵攻の犠牲者のために「祈りの場」をひらく「Osaka Candle Vigil for Peace in Palestine」が急遽、應典院気づきのひろばで開催されました。
京都大学の岡真理先生から「封鎖下のガザについて」のお話をお伺いした後、年齢や人種を越えた多様な人々が集まり、亡くなられた方と平和への願いをこめた祈りをともにする時間を過ごしました。岡先生のお話から、ガザ地区の完全な封鎖解除や占領の終了に向けて、遠くにいる我々が出来ること―知ること・想像すること・伝えること―を改めて強く感じました。
小レポート
大学生演劇祭という新たな試み
10月18、19日に、「第1回大阪短編学生演劇祭」が開催されました。大学で演劇をしている5団体、劇団冷凍うさぎ、劇団RINGRING、劇団二足歩行、Lily×来夢来人、小骨座が参加。45分のオリジナルショートストーリーで舞台に臨みました。第1回目の演劇祭なので、どのような演劇祭にするか、どうしたら盛り上がるのかを探るため、月に1度集まりながら作り上げてきました。全国各地で学生演劇祭が開催されている中、大阪でもこれを機にもっと大学生が演劇を語り、考え、自分たちで実行する。そんな演劇祭がこれからも続くことを願っています。
コラム「悲」
悲しみのための時間
「久しぶりに自死で亡くなった○○の事をゆっくり想う時間が持てました。助けられなかった後悔の念が消えることはないと思うけど、○○の魂とはこれからも語り合いながら生きていくと思います」
「この時間が唯一、自分と向き合い、素直なままの気持ちを受け入れられる時間という気がします」
「失くしたくない、大切にしたい存在が自分の周りにたくさんあると思いました」
2009年より應典院で始まったグリーフタイム。上記は参加者の感想の一部である。グリーフとは、大切な人やモノを失うことによる反応やその過程のこと。悲しみや罪悪感などの気持ち、生活や役割の変化は人それぞれ異なる。喪失の経験がその人の人生にどんな意味を添え、それがどう移り変わっていくかも、人それぞれ。グリーフタイムは大切な人やモノを失った方が、自分のグリーフを大切にできる時間や場所を作りたいといった想いから始まった取り組みである。
無理やり悲しみと向き合うでも、押し込めるでもなく、そっと、自分の気持ちを味わう時間。失った人と対話する時間。その時間を通して、今の自分の気持ちに気づいたり、これまでとの変化を感じたり、これからの人生に思いをはせたり…その人なりの営みがある。悲しむことは過去にしばられることではない。それは今の自分や周りにいる人たちを大切にすることにもつながる。これからもその人らしくグリーフを大切にできる場作りを続けていきたい。
佐脇亜依(臨床心理士)
1981年生まれ、大阪出身、鳥取在住の臨床心理士。福祉や教育領域での相談業務を経て、現在、鳥取生協病院に勤務。総合病院の精神科外来の業務を中心に働きながら、緩和ケア病棟でがん終末期の患者家族のサポートも行っている。應典院で開催している「グリーフタイム」スタッフ。
interview「哲」日髙明さん
(NPOそーね代表)
コモンズフェスタ2015企画委員として、
当事者性が立ち上がる場の創出を目指す。
その多彩な活動を成立させる背景とは。
「大学の先輩の影響で應典院を知って、秋田光彦住職に会いに行ったのがきっかけですね。その流れで小僧インターンをさせていただき、運営のお手伝いをしていました。当時学んだことは今の団体での活動にも役立っています。應典院に対しては『何がなんだか分からないけど、面白い動きが生まれる場』という印象を持っていました。2008年度以降は忙しくなり、少し足が遠のいていましたが。」
日本を代表する哲学者、西田幾多郎を専門に研究する背景には「近代的人間観」への疑問があるという。「仏教への関心から西田哲学の世界に入りました。私たちは『私は私である』『私とあなたは別の人間である』という論理を当然のものと思いがちですが、西田はそれとは別の形の論理が有り得ることを示そうとした人。近代以降の民主主義や個人主義では、『私は私である』と断定する人間観が主流なのですが、私とあなたを明確に区切ることで、他者の排除などの弊害も生まれていると思います。」
結婚と育児を経て、西田が示そうとしたことが実感として腑に落ちるところがあった。「自分の子どもに対して『私とあなたは別の人間である』とは思えないです。確かに別の人間なんですが、でも別じゃないっていうか。ある意味、子どもへの執着なのかもしれませんが(笑)。ニュースの捉え方も一変してしまい、子どもが事故で亡くなったと聞くと、親の辛さを想って自分の胸が苦しくなる。他人事のはずなのに自分事になっています。」
今年の春先からNPOとしても活動をはじめたが、当初からはっきりとした目標があったわけではなかったそうだ。「曽根で寺子屋を運営されている釈徹宗さんから、『建物の2階が空いているので何かしませんか』と声をかけていただいて。試しに友人たちと話し合ってみたら、全く関わりのなかった当事者研究に興味を持つことになり、なんとなくNPOの代表になりました(笑)。その時々の縁で他者とゆるくつながり、偶然に生まれた共同性を自分のものとして引き受けるのが、当事者研究の言う『当事者』ではないかと考えていて、それは『近代的人間観』とはまた違った在り方だと思う。僕たちも団体としての理念にあまり囚われず、縁に頼って行き当たりばったり活動していきたいです。」
コモンズフェスタでは、「とりつき妖怪大研究!」という企画を準備している。「分かりやすい合理的なものではなく、多様で定義不明なものの集合体がコモンズだと思っています。まだ企画内容を練っている段階ですが、個人的には単に妖怪をツールにした当事者研究をするのではなく、『何がなんだか分からないけど面白かった』と言われるようなものを目指したい。なにかの縁で應典院に集った人たちが、『私は私である』という構えを外し、ともに当事者性の立ち上がりを感じ合える場が実現すれば嬉しいです。」
〈アトセツ〉
今、まさにコモンズフェスタの企画検討が進められている。應典院再建の翌年から始まったお寺での総合芸術文化祭は、実行委員会形式から外部プロデューサーを招聘する時代、事務局主導の時代を経て、再び企画委員を募って共に創りあげるお祭りとした。東日本大震災を経ての原点回帰である。そして程なく、阪神・淡路大震災から20年を迎えようとしている。
企画を設計図と見立てて平面的に捉えるなら、さしずめ企画の立体化とは模型の制作にたとえられよう。事実、建築であれば構想の具現化のために模型づくりが効果的であることは容易に想像がつく。ところが、いわゆるイベントなどの場づくりでは、そうはいかない。有形に対する無形の企画では、むしろ理念を言葉にし、類似の取り組みを例示しつつ、それらとの相違点を明らかにしていく対話の場に理念が立ち上がっていく。
先般、大蓮寺・應典院の先代住職が遷化された。パドマ幼稚園を拠点に、動きとことばとリズムを大切にした全面発達の仏教保育を牽引した立役者であられる。今なお、担い手の立体感が現場に遺る。ロールモデル(模範的な役割)とはよく言ったものだ。
(編)