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2017/11/12 應典院寺務局:「上方で考える葬儀と墓~近現代を中心に」を開催いたしました。

去る11月12日(日)、シンポジウム「上方で考える葬儀と墓~近現代を中心に」を本堂にて開催し、およそ120名の参加者で満堂となりました。このシンポジウムは、国立歴史民俗博物館の山田慎也さんを代表とする、科学研究費基盤研究(B)「現代日本における死者儀礼のゆくえ-生者と死者の共同性の構築をめざして」の皆さんが主催、浄土宗應典院が特別協力というかたちでの実施となりました。
社会構造の変動に伴って、家族葬や直葬、永代供養墓や樹木葬など、葬儀や墓のあり方も大きく変化しています。必ずしも多いとは言えない「上方(関西地方)の葬送墓制」に留意した研究成果を共有することで、新たな示唆を見出すことができるのではないか。そのような主旨で今回のシンポジウムは開催されました。

当日の進行は、土居浩さん(ものつくり大学)の司会のもと、「前近代」「近代」「現代」の3つのパートに分かれて行われました。「前近代」の木下光生さん(奈良大学)による報告「家の存続と葬送文化-貧困史と葬送史の接点-」では、貧困をめぐる村社会の「自己責任」が、葬送の形態や死後の世界の価値にも影響する有り様について、「近代」の槇村久子さん(関西大学)による報告「近代墓制の成立と都市の発展―現代の葬送墓制の上方の“先取り”」では、葬送の現場が村や寺社境内の枠を越えて広がり、都市施設としての公共墓地や火葬場の増加につながっていく展開についてお話いただきました。

また「現代」では、陸奥賢さん(観光家)から、大阪七墓巡り復活プロジェクトの取り組みについて報告がありました。梅田、飛田、千日など、近世に遺骨の埋葬場として定着していた「大阪七墓」の跡地を辿ることで、かつてそこで弔われた見知らぬ他者たちへの供養、言い換えれば「無縁大慈悲」としての供養のあり方を模索してきた陸奥さんの実践に、会場からも共感の声があがりました。
それぞれの報告に多様な視点でのコメントをいただきながら、3つのパートをつなぎ合わせることで、葬送の場が近世の村社会から公共的な都市へと移り変わり、そして現代において、近世へのまなざしを今一度捉え返しながら〈見知らぬ他者〉への供養が試みられるという、関西地方の変容を継時的に見つめることとなりました。

こうした広大なパースペクティブが展開された後、大蓮寺・應典院住職の秋田光彦からは、現在進行形のひとつの事例として、生前個人墓「自然」の取り組みを中心に、葬送を核に死生観を学ぶ拠点としての寺院運営についてお話させていただきました。
そして最後の総括コメントでは、森謙二さん(茨城キリスト教大学)から「文化的装置としての墓」について、鈴木岩弓さん(東北大学)から「現代人の死生観」について発表していただき、七墓巡りなどに触れながら全体を俯瞰する論点を示していただきました。
日本の墓は、死者を知る人がいなくなってもなお、慰霊の場として機能していると言えるのか。身近な人の〈二人称の死〉と、数多くの無関係な他者の〈三人称の死〉のあいだに存在する、〈二.五人称の死〉こそを考えるべきではないか。多岐にわたるこういった論点を本報告で取り上げることは叶いませんが、多くの参加者からご関心をいただいた今回の成果をもとに、今後も様々なかたちで研究が展開されることを願っております。

(應典院寺務局)

※「上方で考える葬儀と墓~近現代を中心に」住職のコラムはこちらから。

人物(五十音順)

秋田光彦
(浄土宗大蓮寺・應典院住職)
陸奥賢
(観光家/コモンズ・デザイナー)